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[エッセイ]「墓穴を掘る」という言葉がいつか無くなっても。



近い将来、空にだって墓が出来るかもしれない。


そんなことをふと思ったのは今年の六月の初旬、香川県で開かれている「庵治ストーンフェア」なる催し物に参加した時のことだ。

石材店を営む友人の付き添いという形で瀬戸大橋を越えて遠路はるばる向かったはいいが私の目的は昼に「うどんを食す」ただ一択だった。

そもそも石に関する知識など全くない、ただの石頭の私にとってその催し物は当初、心動かされるものではなかった。

だが、実際に参加してみると気づかぬうちに時間を忘れて楽しんでいる自分がいた。
「庵治石」と呼ばれる特産の石を使った墓石の展示が主だったのだが、その他にも硝子でつくられた光る墓石をはじめ多種多様な墓石が並んでいて本当に壮観だった。私はその個性的な墓石を眺めているうちにある疑問を抱いた。

「お墓はこれからどう変わっていくのだろうか」

ピラミッドや前方後円墳などのように権力を誇示するかの如く巨大につくられたものやタージマハルのように愛する妃を想ってつくられた美しい霊廟など歴史に名を残す墓から、手のひらサイズで持ち運べる墓まで「墓」は時代と共に色んな変化をしてきた。
そして、今また変化の岐路に立たされているように感じる。

良くも悪くも今の時代は合理化が進み古くからの慣習などは生きる上で不要と判断されることが多くなった。AI技術が発展して人間が生きていくために出来るだけ負担を省いていく過程で今の形態の墓は切り捨てられていってしまうのではないだろうか。

彼らはどれだけ優れていても情緒はない。
どこまでも合理的でより良き世界のために無駄を排除していく。場所をとるだけで管理も大変な今の形の墓は必要ないと判断される日もそう遠くないかもしれない。

そうなってしまえば例えばインターネット上に墓が建ってしまうことだってあるだろう。
つまり地面に墓穴を掘ってわざわざ埋める必要などなく「墓」はただの概念に変わってしまう。

「墓穴を掘る」その言葉の意味が伝わらない日はすぐそこに来ているのかもしれない。

でも、だからこそ私たちは古くから受け継がれてきた「墓」の意味を忘れてはいけないのだと思う。

そこに墓があるからまた会える人だっている。

死を経てそこに眠る人たちと残された生を紡ぐ者たち、両者を繋ぐ記憶の楔として太古の昔から私達の傍にずっと「墓」はあるのだ。
形が変わってもその役割を終えることは決してない。

#未来のためにできること

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