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『週刊 ゆきおとこ』 第83号

第 83号   2026/8/3 刊                  ▲ 雪男の記事一覧



― 上原良治さん  『きけわだつみのこえ』 より

 
 身の光栄 これに過ぐるものなし
 一器機 日本を偉大ならしめられん事を
 天国に 待ちある人あり
 自由主義者 ひとり去らん
 淋しき満足 一杯 
 
 
 

■ 掌編①  ― ヒロシマ ―

 
 8時14分

邪鬼が平安羅城門に上ると噂された 西国路の西では
 空鞘を過ぎたころの 石見の神々が
 正しき道はどちらか と尋ねる
地に剣あり
空に鞘あり
地に争うものあらば
 空は燃え立ちあがりて その者らを諫め納めんと欲す

水草の精霊に見送られて馬出をくぐり
 防空作戦室に潜る
この時にこそ
 菩薩に巡り合わねば と誰かは感じたであろうか

比治山の若きは 既に整い並び待ちて
 静粛に一刻が告げられるのを待つのみとなった

第何番の命まで進んだのであろうか
 紙屋に沿う憲兵卒は
 練兵に並びて その点呼を繋ぎ
 各々の 今の存在を確認してゆくところであった

二葉の第二総軍は
 琉球の悪夢を 今ここに再現されることとは知らされず
その贖いが無駄であったと解することなく
 皆が蒸発する瞬間を 正に座して待ち臨んでいる

その街の一日は 不断に始まっていた  しかし
 それは "普通の日常" では無かったはずだ
  誰もが怯え
  苦しみ
  できるなら そこを脱して
  逃げ出したいと思っていた  しかし
その者らは 一方で
 敵を
 人を
 自らと同じ家族を 殺そうと
 汗を流していたことを 忘れてはならぬ
神の勅命に従って進軍し 征服を望んでいたことを
戯曲を描いて 取り消すことはかなわない
 ― 神の手ですら
人の盾など伽噺
 ― よい出来だと勘違いしているのは
   法螺を綴った輩の筆と 左腕だけである
他者の命を奪わんとしていた者らと その子孫たちよ
うぬが命らが 先手を討たれたとて
 奪われたことを恨む資格はない

三條橋上空 9632m から天守閣を臨む
次の瞬間
 軍管を匿った己斐浦の城郭に
 小さな少年が飛び降りた

 
 8時15分

 


■ 詩訳   ― 『従軍手帖 第一部』  原作:松永龍樹



序.

すでに一年の野戦
鍵をかけられた精神
戦争は
僕に より多くを要求する
日本陸軍に最後の栄冠を与えん
僕は今 軍人以外の使命を自覚する

 
1.入隊

走馬灯の騒ぎ
心づくしの 最後のコーヒーの味

品川 レールをはさむあの崖に残雪
京都 瀬戸内海 すべてによろい戸
門司 異国のように しんしんと
ボロ貨物船は 玄界の波にはげしく揺れた
朝鮮 赤土 赤土の山 赤土の崖
 山という山にトーチカ
 「 弾が来るぞ! 」
小さなシナ街 幼い日の
 星空の下を みなだまって歩いて行った

 
2.新兵

速駆け 匍匐の毎日
まだ伸びない麦
内務とは不合理
軍紀とは欺瞞
意地だけが 僕を支えている
でたらめの員数
生気ないシナ街
ラマ塔の下の 言葉の通じない小孩

五月だというのに 池は沈鬱によどんでいた

 
3.討伐

潔癖は まだ僕を見捨てず

突然の匪情 出動! 
月下 自転車一部隊が六百の敵を追跡する
弾は 純粋なる緊張
弾が来る 突撃前進! 敵の逃げ脚は早い

撤退の夜行軍 倒れた兵士を負って
歩きながら 眠る

特別外出 酒保の汁粉に息をつく
だが それだけ!
それだけで いいのだろうか?

 
4.内務

初年兵 食欲だけで精いっぱい
駐屯地は のらくら
幹部は P屋と麻雀
空しい除隊の日数を数える

軍紀廃頽 見かねるばかり
戦陣訓? 懲罰令?
無意味な時間つぶしの反復

対上官暴行罪の連発
抗命罪 奔敵者の増加
軍は汚名にけがされぬ

 
5.書信

内地から 便り
しかし しみじみ思い入る余裕なし
公然と 自分を生かしうる日がくるまで

『学徒兵の手記』 ― 自由の相違
あのように 今の僕には許されていない

偽るくらいなら 無音を誇る
消去された思想と感情
厳重なる 僕の掟

けれど 思いやりある便り
精神の上の完全なるストップ
錆びつく自信
検閲官が その葉書をストオヴにくべる

 
6.暍病

夏が来た
くり返される討伐
一木の陰もなき 埃の道

暍病 ― 弾にあたるよりも
水が はなはだしく悪い ― 下痢
歩き出せば また 熱湯の中

精いっぱいのところで ついて行く
休止と 状況
もう10分遅れたら

 
7.兵隊

駐屯地 また 例の反省

兵士たちは 合理的で あなたまかせ
伝統の不文律 権力と服従
要領よく 年数だけを送る

内地への憧憬 自由の夢

戦闘 死との出会い
突然 だれも 日本の神になる
護国の勇士?
甘いセンチメンタリズム 自慰 青春の浪費

自惚れ ジャアナリズムに災いあれ!
向上への意思の喪失
兵士らの自慰が悲し
軍人である前に 世代たる

 
8.教育

幹部候補生 一般兵士 何ら異ならず
教育に インテリ向上への意思なし
 作戦要務令
 歩兵操典
 軍人勅諭
 戦陣訓
小学校と開きなし

術科 これで 対ソ戦闘を?
日本陸軍 教育なるもの なかりせ
弾雨下における体験のみに
合理的生活法のみに

古き 烈々の精神を失う
員数 階級の軍隊

茜空に雁
 すでに僕は
新たなる使命を考えていた

 
9.性格

中隊では
反軍的 体格劣等 意志薄弱
すべてに鍵をかけた でも 
履歴と 肌ざわりから 僕の先入観がつくられる

幹部候補生 採用
完全軍装の討伐中隊
 光の中に浮いた赤レンガ
  軽く揺れる柳
   埃だけが シナ
きびしい教育 ふたたび
思い心を引きずる

 
10.幹候

模範生
性格の変化が 体力までも変えた
気力による がんばり
ここの僕は 文学的優柔不断
機械のように為し 必要の程度だけの感激を装う
憂国の丹身とは
 偽りの涙
 嘘の感激
 いたずらな悲憤慷慨

 
11.不感症

情熱の喪失
ああ 軍服の下に 僕はハートを持たなかった
 戦友の自殺
 身に集まる集中弾
 惨虐なる拷問
 自らの銃剣の衂り
僕は 馬鹿のように不感症であった

あの日から 二重仮面
非現実の中の生活
夢には だんだんと
 あの人たちが 生き生きと

定家 雅経のリアルな肉体
僕は 平安歌人と膝を交える

真実 ここでは 死者の世界
自己嫌悪と人間嫌い
日ごと 強く 深く

 
12.使命

軍隊
まったく密度の異なる空気
感覚も 感情も いつわって

軍人
他の使命も欲望も捨てるべく
形式的で低級

軍隊改造の使命
使命とは 環境の中に定む
忠節 ただ一つ
陛下への帰一 ただ一つ
善意 ただ一つ

 
13.戦争

どんなものか わからない
いやなものか どうかさえ

戦闘の中にいると
ほんとうの体験がつかめない

 
14.軍隊

討伐戦闘は 兎狩り
ぐるっと囲んでおいて 砲火で追い出す
まるで 遊び半分
死は くだらぬ時に不意にやってくる

すべては この永久的常時のもの
絶対不自由の軍人世代

ノモンハン
重要なのは 組織と社会的アトモスフィアの科学化
ソロモンの苦戦
軍隊の実力の限度
兵士は近代の個人主義

僕の軍隊観
肉体と精神の孤立を否定
非科学的国軍の封建的モラル

皇軍の一員たる名誉
けれど 使命と環境との矛盾
底知れぬまでに
僕は ますます沈潜せざるをえず

 
15.観念

現実を遊離した観念
論壇文壇の無力
総合雑誌 思想界は 一度滅亡しなければならない

 
16.芽生え

"数えまい" とする努力
目をつぶれ 心臓よ凍結せよ
冷凍魚のように 冬眠!

終夜 掩体 黎明攻撃の演習
星ばかりが ギラギラと 裸で僕を刺した

この不満にもかかわらず
春は やはりめぐってきた
大空に過雁 遠い憧れの声
その翌日は
たちまち 苦しい矛盾の中
偽装の修練 企図の秘匿

 
17.卒業

雁の列 営庭の桃李
ドンチャン騒ぎを捨てて トオチカに登る
浅春の誘惑
遠くに蛙
大陸で 初めて自分を語る

保定を去る
埃の河北 緑の山東
偽装の生活との別れ
 
 

※『きけわだつみのこえ』 ― 松永龍樹さん より詩訳
 
 
  

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