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『週刊 ゆきおとこ』 第5号

第 5 号  2025/2/3 刊        ▲ 雪男の記事一覧



― ニーチェ 『日は沈む』 より

 
 わが太陽の午後
 頭上に熱く
 ようこそ
 にわかに吹く風よ
 冷やかなる午後の霊たちよ 
 
 

■ 古典鑑賞 ― 「謫居春雪」 菅家後集 より ―

  
 盈城溢郭幾梅花
 猶是風光早歳華
 雁足黏将疑繋帛
 烏頭点著憶帰家

菅原道真 - 菅家後集 『謫居春雪』 より

城に満ち 廓に溢るるは いくばくの梅花なるや
なおこれ 風光にして 華の歳には早しも
雁の足 のらりくらりと来たり 帰京の許しを得たるか と
ならば烏の頭に 梅の枝を突き刺して 家へ帰るらん

菅原道真公 (845 ~ 903) の辞世の詩と言われた、遺言「叙意一百韻」最後の七言絶句

御存知のとおり、道真公は橘氏と藤原氏の政争に巻き込まれて、901年、大宰府へ左遷
左遷といっても、ろくな援助も与えられず、今でいうシベリア送りのような状態で九州に流された
大宰府で綴ったとされる「菅家後集」には、謀事の主犯である藤原時平らへの恨み辛みが、背筋が凍るような厳粛な漢詩で幾重にも重ねられている

さて、最後のこの七言絶句
梅の花が出てくるが、これが詠まれたのは、秋 ― 本節の前には、九月も尽きた、五十八歳の秋 ― とある
梅の花と思ったのは幻や、梅花の季節には早すぎるから と、自覚している
もはや、匂いだけが感じられて、つまり、目が見えてないのかもしれない
だから、これ風光 ― 老衰の、あるいは病床の、ある種の減退する感覚の中で、あるはずのない架空の梅を感じ取っている

のらりくらりと飛ぶ雁の足元に、何やら白いものが見えた気がする、そのたびに、
ああ、帰京の許しの便りがやっと届いたのだ、と、思う
これも、幻聴・幻覚の境地
ならば、頭の白くなった烏(あり得ない事の喩え)の、かざしに梅の枝をつきさして、家に帰ろうか
最後は、自棄的になって、狂気に落ちている

最後まで、恨みを続けて、呪ってラスト・メッセージとするのかと思いきや、遺言は、一人の詩人のファンタジーで終わっていた
道真公の辞世が、恨みのネガティヴな言葉ではなく、ポジティヴな希望で終わっているのには、救われたような気がした
この、現実と夢想との曖昧な空間を、私は好きだったりする

 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける  (古42)

ニ十七歳年下の紀貫之が詠んだ一首
ここの「人」とは、まさに菅原道真公のこと
醍醐天皇に勅命を賜った紀貫之には、あまりはっきりと言えない状況だったのかもしれないが、上の、道真公の最後の思いを受けて、「詩」で返答、霊を慰めている 



■ 連続小説 ― アレックス (5) ―


小軽米を離れて もうすぐ三年が経とうとしていた
アタシは 東京の大学に通うようになってから毎朝
 通学途中に 湯島天神にお参りするようになった
いつかきっと オレに戻れますように と
 ずっと そこのところは諦めていない
 ― まるで 道真公にとっての京の都のように

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