【ゲーム考え事】対戦/協力の構造
今回と関連のある前回の記事はこちら
◆1.概要
前回の構成要素(パズル、インタラクション、ランダム性)を踏まえ、ゲームの最も大枠の構造、すなわち、対戦型か、協力型か、(あるいはその他か)という部分を見ていく。
◆2.ソリティア
ここでは、狭義としてはプレイヤー1人のみで行うゲームとして、広義としてはそのようなゲーム構造を持つゲームとする。
広義は「パンデミック」などを指す。ルールとしてプレイヤー1人で遊ぶことができないが、本質的には遊ぶことができる。プレイヤーが複数人いる意味はなく、1人でも4人でもそこで行われることに差はない。逆に言えば「ザ・マインド」のようなゲームは、1人で遊ぶことはできないだろう。
あるいは、インタラクションがないゲームでは、本質的に複数人でプレイする意味がないものも存在する。こういった構造のゲームを、本記事群ではマルチソリティアと呼称することもある。
ソリティアにおける最大の問題点は、パズルにしかなり得ないという部分である。もちろん、ランダム性は存在するのだが、インタラクション(競り)が存在しない以上、最適解が存在してしまい、解かれてしまうゲームになってしまうのだ。ランダムに生成したパズルを解くというのが一般的な構造になっており、異なるゲームでも根幹が同じになってしまう。
ランダム性というのは、確率が計算できるものだ。そして、その利益がわかっている以上、本質的には期待値が算出できる。もちろん、期待値が最も高い選択肢を選び続ければハイスコアが出るわけではないが、そうでないやり方をして、ハイスコアが出てしまったとして、それはギャンブルと何が違うのだろうか。そうならない(ランダム性だけで決まらない)ようになっているのならば、それは結果としてパズルになる。
パズル作家がゲームデザイナーとは異なる文脈で語られるように、パズルはゲームの一要素であって、ゲームそのものではないのだが、アナログゲームのソリティアでは、パズルと同等のものになってしまいがちだ。
なぜならば、アナログゲームは長くても数時間程度で終了し、複雑な処理やリアルタイム性がほとんど実装できず、取れる表現方法が限られているためだ。データの処理の秘匿などもほとんどできない。
この分野において、デジタルゲームは、アナログゲームに対する絶対的な優位性があり、アナログゲームが勝る部分は少ない。コンポーネントなど、その僅かな勝る部分をどう生かすのかが、大切になってくるように思う。
◆3.協力型ゲーム
ここで言う協力型ゲームは、プレイヤー全員が同じチームとなってゲームに挑み、勝敗がプレイヤー全体に対して判定されるゲーム、とする。
多くの協力型ゲームが出ているが、純粋な協力型ゲームというのは、コミュニケーション(インタラクション)を阻害する構造があり、それを乗り越えるというゲームのみになってしまう、と考えている。
たとえば、「ザ・マインド」や「ザ・クルー」と言ったタイプのゲームだ。お互いの意思疎通がルールによって阻害され、それを乗り越えることで、ゲームをクリアする。
では、それ以外のゲームは、なぜ、純粋な協力型ゲームではないと考えているのだろうか。
まず、前述した「パンデミック」のようなゲーム。これはソリティアである。プレイヤーが複数人存在する意味は、事実上はなく、皆で同じ問題を解いているだけだ。コミュニケーションがルールで阻害されていないのならば、情報は統括した方が有利になるので、統括されるし、指揮系統も一つになる方が良い。結果として、ソリティアになる。奉行問題が発生するゲームというのは、こういったゲームだからだ。本質的にソリティアなので、奉行が全てを統括するのは理に適っている。
「スピリット・アイランド」や「イーオンズ・エンド」のように、個々の情報量を多くして、プレイヤー間の情報共有を難しくし、上記のような統括がされにくいようにしているゲームもあるが、されにくいだけであって、本質的にはソリティアでしかない。そこにランダム性があったとしても、期待値の計算はできるので、それが奉行問題の対策にはならない。
次に、「Shadows over Camelot」のように裏切り者が存在していたり、協力はするが、個々に目標があるようなゲーム(準協力型ゲームとも呼ばれる)の本質は対戦型ゲームである。確かに、裏切り者がいるのか、いないのかがわからない、という場合は、ゲーム構造が不明瞭なまま、ゲームを進める必要がある、ということにはなるが、協力型ゲームとは言い難い。
つまり、コミュニケーションが十全ならば、それはソリティアになってしまうし、役割による阻害をするならば、対戦型ゲームになってしまう。コミュニケーションの阻害そのものを主題にしたゲームのみが、純粋な協力型ゲームとして成立するのではないか、と考える。(反証を募集しています)
コミュニケーションを阻害しつつ、ゲーム自体を複雑化することもできるのだが、その最適化パズルがコミュニケーション阻害要素よりも強ければ、それは結局パズルで決まるゲームになってしまうし、コミュニケーション阻害要素の方が強ければ、本来的にパズルは必要ないことになってしまう。
だからこそ、「ザ・マインド」「ザ・クルー」のようなサイズ感で、異なるルールや体験をもたらすゲームだけが、協力型ゲームとして開発されるのだというのが筆者の考えだ。
ただ、「スピリット・アイランド」や「イーオンズ・エンド」、「パンデミック」の人気からもわかるように、実際的には、ソリティアで十分であるし、中重量級の協力型ゲームというのはそうならざるを得ない、と個人的には考えている。奉行へのコストを甚大にしつつ、本質的な阻害はしないままに、協力型ゲームとするのが現実的なデザインであるように思う。
しかし、それはソリティアの、結局はパズルでしかない、という問題も孕んでしまい、デジタルゲームとの競合も発生すると感じる。ソーシャル傾向の強いプレイヤーにとっては、他人と同じ卓を囲むというデジタルにはない体験ができるので、ソリティアと比べて、その点に優位性がある。
◆4.対戦型ゲーム
ボードゲームにおいては、最も一般的な構造であり、分野にもよるがデジタルゲームに対して、蓄積の優位性がある分野であると考える。各プレイヤーがそれぞれ競い合うようなゲームだ。
前回の記事も含め、特筆しない限り、基本的にはこのような構造のゲームを一般的には取り扱う。
他の構造に対する優位性としては、なんとしても競りが存在しうることである。多くのゲームに対する入力は、何らかの資源(手番のようなものも含め)を何らかの資源に変換するものだと言える。つまり、コストと利益であって、パズルとしては、そこで最適解が求まってしまう。競りを加えることにより、コストや利益が変動し、プレイヤー間での読み合いが発生する。それにより、最適解が常に変動する。解かれないのだ。
とはいえ、競りにも多くの問題があるため、一般的なゲームでは制限が欠けられており、それゆえに限界もあるのだが、ゲーム全体をパズルそのものとしないために、大きな役割を果たしている。
結果として、多くのアナログゲームは、対戦型の構造を取っている。
また、軽視されがちだが、プレイヤー人数にも着目したい。
たとえば、2人ゲームと、3人ゲームでは、性質が大きく異なる。
妨害の要素を考えればわかりやすい。2人プレイの場合、相手の損はそのまま自分の得である。3人以上の場合、関係のないプレイヤーが漁夫の利を得てしまうため、妨害はよほどのことがないと利益にならないが、2人ではそうでないのだ。妨害をしやすく、お互いに足を引っ張り合いやすい。
ゲームの特徴は、得点側、つまり、インフレ側にあるのであって、妨害自体にはゲーム固有の面白さがないことも多い。しかし、妨害の楽しさに引っ張られて、面白いと判断されてしまう危険性がある。2人プレイも可能なゲームでは、注意したい。
また、交渉のような要素は2人だと成立し得ない。騙し合いにしかならないからだ。利益の差が、実際の利益でしかない。
他にも、2人プレイならば、キングメーカー問題が本質的に発生しないなど、3人プレイ以上とかなりの差がある。留意したい。
また、3人と4人、4人と5人にも、それぞれ数理的な関係の差は色々と生じる。これらのバリエーションにおける問題を解決するのは至難の業だ。プレイ人数による最適化、というのは見た目よりもかなり難しい。
結果として、インタラクションが発生する場面を制限して、それぞれがソリティアをやるようなゲームが増えている。その傾向は変わらないだろう。
◆5.チーム型ゲーム
複数人が同じチームになって、その中での勝敗は共有するような構造だ。人数が非対称のこともあるし、ゲーム中にチームが組まれるような仕組みを持つゲームも多数存在する。協力型ゲームと対戦型ゲームの両側面を持つ。
協力型ゲームに比べて、最も差が生じるのは、事実上の裁定者が存在することだ。「ディクリプト」のようなゲームを思い浮かべればわかる。相手が聴いているからこそ、相手には伝わらず、味方には伝わらないような文言を考える必要が生まれる。「ボルカルス」も、コミュニケーション阻害の裁定を事実上、相手チームが担う。
このように、ワードやコミュニケーションのような曖昧な要素を相手が事実上、判定することができるという点で、協力型ゲームに優位性がある。
中重量級ゲームでは、ゲーム中に同盟を組む、というような形で実装されることはままあるが、最初からチーム型になっているのは珍しい。
なんといっても、人数がかなり制限されるという点が大きく、1~2人プレイを求められる現代には厳しいためだと考えられる。
しかしながら、まだまだ、未知のデザイン領域があるようにも思われる。
◆6.まとめ
パズル、インタラクション、ランダム性という構成要素を踏まえ、ゲームの大枠の構造について考えた。
ソリティアや協力型ゲームに関しては、インタラクションがなくなってしまい、様々な制限を抱えたボードゲームでは、デザインが難しい側面があると考える。
また、協力型ゲームに関して、コミュニケーションゲームでない限り、実体としてはソリティアか対戦型ゲームと同等になってしまうのではないか、という点について言及した。
対戦型ゲームは一般的な構造ではあるが、その中でもプレイ人数によってゲーム的な作用は大きく異なり、幅広いプレイ人数に対応するためには、インタラクションを制限したソリティアになるため、そういったゲームが増えているのではないか、と考えている。
チーム型ゲームは、協力型ゲームに対して部分的に優位性があるが、プレイヤー人数の要求からか、あまりゲームデザインが進んでいない印象を受け、更なる発展が期待できる。
