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創作大賞2026【1996年からのエントリー】高校時代のエッセイ『必殺湯呑み茶碗の変遷

今から30年前、1996年。
高校生だった自分が書いた文章が出てきた。
いま読み返すと、拙いし、表現が微妙なところも多い。それでも、この頃の自分にしか書けない文章のような気がして、最低限の誤字だけ直し、記念エントリー。
18歳だった「ぼく」へ。そのエッセイ、30年後に公開できたよ。

必殺湯飲み茶碗の変遷

幼少の頃から、ぼくは湯飲み茶碗と仲良しである。好きな湯飲み茶碗で何か飲む、というのは、まあ一般的にはまことに気持ちの良いものなのである。

一般的に、と断ったのは他に何かイライラの要因が散在していない限りにおいて、ということである。

小さい頃からの幾つかの時代には必ず心に残る湯飲み茶碗というのがあって、何故か心に明るい思い出になっている。

幼稚園に通っていた頃、ぼくはSL機関車の絵の湯飲み茶碗を愛用していた。これで飲むココアは、当時のぼくにとっては最高にごきげんの良くなる飲み物であった。ココアを飲んで幼稚園へと走ってゆく朝は、何か全身がとても熱く、限りなくいい気分になれていた。

小学校へ上がると同時に、SL柄の茶碗に変わり、デザイン化された飛行機や船といった「子供の好きな乗り物」の描かれた茶碗というのを親に買ってもらった。
SLの厳しいシンプルな絵と比較するとそいつはどうもシンプルではあったが少女マンガ的シンプルさで慣れるのに少し時間が必要だった。

ぼくが「お茶」を体験したのもその頃であろうかと思われる。「お茶」は小学低学年のぼくにとって未知の飲み物で、早く大人のように「お茶」を飲みたい!とひそかに熱望していたのであった。

しかし、「お茶」の味は意外なものだった。その緑色をした(緑茶である)熱い熱い飲み物は、うまくとも何ともなく、ぼくはたじろいでしまった。
冷やして飲むのか?と思い、そいつをしばらく放置しておくと、三十分程後になる頃には、ほどよく冷えた。
けれどもそいつは前にも増してマズくなっていたのである。そしてぼくは、この緑色の液体をどこかで、見たことがあるぞ、と強烈に思っていた。

「お茶は公園の池の水だ」
とぼくは周りの奴に向かって絶叫した。ぼくにとって家の水を飲んでいるような気分というのはまことにイヤで、それからしばらくぼくは緑茶キライになっていった。

三代目の茶碗に移るまで、どういう訳か間があった。小学校を出るか出ないかくらいの時期まで新しい茶碗は現れなかった。それが経済的理由によるのか、二代目が壊れなかったからなのか、その理由というものがとにかく今でも分からない。

三代目は大きなドナルドダックのマグカップだった。これは大きくてしっかりしていてすぐに気に入った。紅茶に熱狂しだしたのも丁度この三代目がやってきてからだったような気がする。レモンティーやミルクティなどはかんたんに自分で作れたから、誰の手も借りずに楽しめる道楽、といったところだった。

ところがある日、ぼくはいつものようにマグカップの中に紅茶を用意したあと、レモン果汁とミルクを一緒に入れたらどうなるのだろう、という思いにかられ、入れてしまったのである。よく観察してみると、白いブヨブヨした浮遊物体が大量に出現した。
そこでぼくは何を考えたのか。マグカップの中のその異様なレモンミルク紅茶略してレモミル紅茶を思い切って捨てて、そのあとに牛乳をどぼどぼどぼ、と入れた。その中にレモン果汁を入れてスプーンでかき回したのである。
間もなく、思っていたとおり、白いドロドロしたヨーグルトへとそれは変化した。砂糖を大さじ一つと半程入れると、見事なヨーグルトになった。甘くて酸味が効いていて、刺激的な味がした。風邪のときこいつを飲むと熱が下がる、ということも何度かあった。

中二の頃に四代目が突然やってきた。四代目もマグカップでスペースシャトル・コロンビアの絵が描かれていた。
この頃にはもうぼくにとってめずらしい飲み物、というのは極端に減っていた。四代目でもいろんな物を飲んだ筈なのに、これといった思い出はなく、どうやらこれから作っていかなくてはならないみたいである。

中三の受験シーズンになっておもしろい茶碗が出現した。
冬になって、朝大量のコーヒーなどを飲んで学校へ行くと、特に朝礼なんかあったりすると、トイレが近くなったりして困った。
「もう朝は何も飲んで行かないかんね」
と母親に告げると
「それじゃあ、これで飲んで行きなさい」
と言って何か食器棚の奥からガサゴサと取り出してきた。
それは小さな取手のついた小さな茶碗、というのか、非常にめずらしいものだった。
どれ位小さいか、というとピンポン玉1コ入れたら一杯になってしまうようなものである。その小さいカップで何とか受験シーズンを過ごした訳だけど、今でもそのカップには頭が上がらない。

高校に入って、五代目の本格湯呑み茶碗が登場した。それには「伊藤博文」から「海部俊樹」までの日本国歴代総理の顔がイラスト的に描かれていた。ニュースや新聞で、たまに本人そっくりのイラストが出てくるけれど、あのようなものだと思ってもらえれば良い。
それは少しブキミで、少し自信と誇りに満ちていた。

高校に入ってぼくはハーブに挑んだ。ハーブティーなんてウソクサイ、女みたいでイヤだ、と思っていたのだけど飲んでみると、コーヒーや紅茶ほどキツイ味がなく、かといってお茶とも少し違う味だった。ほんのりと香るような清らかな味、とでもいうのだろうか。とにかく全身がホッとするような飲み物である。
ニチレイが販売していた「ハーブ園」というのがあった。あれもそれなりにいいと思ったが、自分の家の庭に植えたレモンバームで入れたハーブティというのは、しみじみうまかった。

湯呑み茶碗の変遷に伴い進展してきたぼくの人生ってというのはまだまだ先が長い筈で、結局何代目までになるのか、自分でも楽しみである。そしてその茶碗と共にぼくの前に現れる様々な飲み物に対して、常に誠実さと謙虚な心をもって臨んでゆきたい、と思うんでありますね。

1996年 坂西航(18歳)
#創作大賞2026 #エッセイ部門

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