んで、それ誰が担うの問題
現在、日本にはさまざまな社会問題が山積みになっています。
貧困。格差。犬や猫の殺処分。物流の2024年問題。倒産増加。超少子高齢社会。気候変動。政治関連の数々の問題。
考えるだけで憂うつになるような、思考停止してしまうような数々の問題たち。
結局これらの問題ってどうすればいいんでしょうか。誰が解決するのでしょうか。
■倒産を食い止めるのは僕なのか
倒産する百貨店に対し、「悲しいと言うくらいならもっと買い物をし続ければ良かっただろ。悲しいとか今更言うな」という内容のコメントをする人がいました。
理屈は間違ってません。
ですが個人個人の買い物だけでなんとかできるはずが無いじゃないですか。1人や2人が買い物する金額を上げてどうにかなるはずが無い。では50人なら?500人なら?5,000人なら?
では5,000人が客単価を上げて百貨店が存続できるほどのサービスや商品ってなんでしょう。
そもそも客単価を上げられる5,000人が、その地域に居続けられる街並みや住みやすさ、個人個人の年収ってどれぐらいあればいいの?
要するに、「つぶれて欲しく無いならもっと買い物しろよ」という無思考な暴言には、すでに数々の社会問題が折り重なっています。
言うは易く行うは難し。
理屈は合ってる。でもその理屈を実際に実行するためには次から次へと問題が露呈していく、ということです。
■殺処分ゼロ達成は理想論だけで足りるのか
犬や猫の殺処分ゼロについても構造は同じです。
「ペットを死ぬまで見届けろよ。出来ないなら飼うな」という考え。
理屈は間違っていません。全飼い主が看取ることが出来れば殺処分ゼロが達成できるでしょう。
ですがペットを手放す理由は人それぞれです。そして手放した動物がその後余生をどこで、どのように過ごすのか。
例えばペットの老人ホームのような施設を建築することで殺処分を無くす。これらはペット税などで解決できる問題です。
【参照記事】殺処分ゼロのための予算はどこから?-ペットと公共心 1-(松沢呉一) -2,023文字- | 松沢呉一のビバノン・ライフ (targma.jp)
ここで障壁となるのは、ペットを飼っていない我々にも、動物嫌いな人たちにも、平等に税金が掛かるという点。それを許容できず、許容できない人たちを説き伏せられず、「ペットを死ぬまで見届けろよ。出来ないなら飼うな」という理想論だけ吐き続けることに何の価値があるのでしょうか。
正論をぶちかまして気持ち良くなっているその間にも。自身の正しさをアピールしているその間にも。殺処分は行われています。
■解決すべき無数の問題
そしてさらに、「倒産問題」も「殺処分問題」も、数ある社会問題の中の1つでしかありません。
数ある社会問題を、同時に、公平に解決することなど出来ません。
そもそも解決する優先順位を決めることさえできないのです。
なぜなら我々には誰を救うのかすら決められないからです。
5年後の我々を救うのか。50年後の近い子孫を救うのか。500年後の遠い子孫を救うのか。我々には決められません。
5年後の我々を救おう!
【反対意見】50年後の子孫の資産を前借りするだけだろ!
では50年後の子孫を救おう!
【反対意見】これまで必死に生きてきた人たちを見捨てるのか!
では500年後の子孫を救おう!
【反対意見】50年後の子孫が食いつぶしてしまったら500年後の未来まで存続できないぞ!それに今更生活レベルを下げられない!
要するに、我々は「数々の問題から優先順位を決めること」はおろか、「いつの時代に照準を合わせるか」についてさえも決められないのです。
■んで、それ誰が担うの問題
我々は「んで、それ誰が担うの問題」から抜け出せません。
喫緊の問題が目の前に数々そびえ立っているのですが、見ないふりしか出来ていないのが現状です。
もちろん個人で出来る部分には限界があるため、政治に期待する部分は大きいでしょう。そして何もしない政治に対し怒りをぶつけても、現在の政治にしたのは我々です。政治すら変えられない我々の問題がまず存在します。
問題は見えていて、解決方法も分かっている。
だけど実行が出来ない。
責任を負いたくない政治家しか選べない国民。
そして責任の所在探しに必死な国民。
「失敗したらどうするのか。責任は取れるのか」と、そんな構えでいるので誰も手を挙げません。
(例えば、地震予測に対して「外れたらどうする!」と非難することは、地震学者のモチベーションを大きく損なわせ地震予測そのものを失わせてしまうでしょう)
そして問題を解決するために誰も動かずに、最悪の道を最悪だと理解しながら歩み続けています。
弱者から死んでいき、負担は次の富裕層や世代に移っていくでしょう。それらが最下層として位置付けられていくでしょう。
やがて超超富裕層が生き延びるために、それ以外が最下層となって衰退していくのでしょう。
気候変動は今後ますます激しくなっていくでしょうから、食糧や土地の奪い合いが激化することでしょう。
個人的には新NISAを激推しする前にやることがあるんじゃないか、と思ってしまいます。
ふるさと納税も、地方の活性化に役立っているのかよく分かりませんし。
結局誰もやらないんですよ。
僕もそうです。
何をどうやってもずっと自民党が政権を握り続けるでしょうし、自民党に依存せずには回らない社会となっているのでしょう。
■日本終了の未来予想
『人類が絶滅する6のシナリオ もはや空想ではない終焉の科学』という本が大好きです。この中ではウイルスやテロ、気候変動、コンピュータの暴走などについて考察しています。
日本の危機的状況はそれらに加えて政治、食糧、地震などいろいろな方面からも考えられるでしょう。
政治はわかりやすいですね。
急に「国民を第一優先!アメリカの言いなりにはならない!」となりそうですか?なりそうだと感じられるのであればそのまま自民党と共に沈んでください。
食糧は最近の米不足騒動でより身近に感じられるのではないでしょうか。
農家のみなさんを尊重しない社会づくりがもたらした結果では?
地震もいつか来ると言われてます。
僕は青森出身なのですが、青森が温暖化したらかなり住みやすくなる気がします。2021年ドラマのドラマ『日本沈没-希望のひと-』でも青森は沈みませんでしたし。青森って割と未来の日本の要になる候補地のひとつなのでは、と密かに考えてます。
ですが「ここに居れば絶対安全」というのが無いのが大地震です。
こればかりはどうしようもないですよね。
つまるところ、政治が今のままでは日本はどうしようもならない、と感じます。社会問題を解決できない政治。僕らはそれに頼って生きている。これのどこに明るい未来があるのでしょうか。
政治を変えるか、政治に頼らず生きていくか。これしか無いというのが「終わってる感」ですよね。
「日本はこのままだと滅亡する」「滅亡しない」と言い争ってること自体がものすごく平和ですよね。
もうそんなことで言い合ってる場合ではありません。
かなり遅れている状況でしょうし、もう手遅れという問題もいくつもあると考えています。
それでも何か変えなければならない。
そのためには選挙が一番我々の負担が少なくて済みます。
全部の社会問題のひとつひとつに関与することが出来ない我々市民には、すべてに関与可能な政治を操縦するしか生き残る道は無いのです。
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チップ!ありがとうございます!
これからも社会平和に貢献する記事を書き続けます!