元禄時代の衣装くらべに学ぶ、着物デザインの本質
江戸時代、とりわけ元禄期。
長い平和と貨幣経済の発達により、町人文化は一気に花開きました。
その中心にあった娯楽が歌舞伎です。
役者が舞台で着用する着物や帯の結び方、色柄は瞬く間に評判となり、流行に敏感な商家の娘たちがすぐに取り入れました。
まさに現代で言えば、セレブリティがトレンドを創るのと同じ構図です。
町人たちのファッション熱は、幕府が発する奢侈禁止令さえも形骸化させるほどでした。
その熱狂を象徴する文化が「衣装くらべ(伊達くらべ)」です。

見た目の良さ、派手さ、豪華さを競い合うこの催しは、単なる見栄の張り合いではありません。
それは「美意識の競争」であり、同時に「美意識の共演」でもありました。


1700年頃成立の『武野燭談』には、豪商石川六兵衛の妻と京の難波屋十右衛門の妻の対決が描かれています。
京の妻は、緋繻子に洛中の図を縫い取った絢爛豪華な小袖。
対する六兵衛の妻は、黒羽二重に南天をあしらった一見控えめな装い。
しかしその南天は、砕いた珊瑚を一粒一粒縫い付けたものでした。
派手さではなく、細部に宿る創意。
見せびらかすのではなく、気づいた者だけが息を呑む仕掛け。
軍配は江戸に上がりました。
ここにあるのは、豪奢の勝利ではなく、発想の勝利です。
しかし六兵衛の妻はやがて度を越します。
その結果、将軍徳川綱吉の怒りを買い、夫妻は家財没収のうえ遠島となりました。
美は時に権力を刺激するほど影響力があるものです。
自由な創造は、常に社会との緊張関係の中にあります。
一方で、庶民の暮らしは実に堅実でした。
着物は何度も洗い張りされ、仕立て直され、子へ、孫へと受け継がれ、最後は古着として売られたのです。
古着商は江戸市中に1200軒以上。
江戸の町は、完全な循環型社会でした。
つまり江戸の着物文化は、
・富裕層の大胆な創造競争
・庶民の徹底した循環活用
この両輪によって支えられていたのです。
さて、現代に目を向けてみましょう。
現在の着物業界を支配している言葉は何でしょうか。
「売れ筋」
「無難」
その背景にあるのは、「皆に好まれる」ことを最優先する発想です。
しかし、それは必需品の論理です。
今や贅沢品となった着物にとっては、その思考は最も危険な発想なのです。
贅沢品とは、本来、少数派の情熱から生まれるものです。
多数派に迎合した瞬間、それは「誰の心も震わせないもの」へと変わります。
江戸の衣装くらべが教えてくれるのは、流行は多数派からは生まれないという事実です。
つまり流行は、ファッションリーダーが作るのです。
石川六兵衛の妻は、売れ筋を着ていたのではありません。
誰も思いつかなかった発想を着ていたのです。
もし着物が、個性を削ぎ落とされた「儀式用衣装」へと矮小化され続けるならば、市場は縮小していくしかありません。
事実、現在の和装市場はその現実を示しています。
着物がファッションであるならば、
本来、自由であるべきです。さらに変化するべきです。
江戸時代、
歌舞伎役者が流行を創り、町人が競い、幕府が止めようとしても止められなかった。
その熱量こそが、着物デザインの価値を高め、市場を広げました。
今、私たちに必要なのは、
「売れるものを作る」発想ではなく、
「面白いから着たい」と思わせる発想。
「着る人が主役になれる衣装」という視点。
少数派の美意識が、常に時代を動かします。
衣装くらべは元禄時代の出来事ではありません。
時代が変わっても、人は美を競う存在です。
だからこそ、
着物は再び「競われる存在」に戻らなければなりません。
正しさを競うと戦争になりますが、美を競うと平和に成るのです。
それが、江戸が教えてくれる着物デザインの本質です。
コンセプター
成願義夫
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをお願いします。
着物業界の為、着物ファンの為、これからも様々に活動してまいります。