風呂上り、汗が止まらない夜
1.風呂に入ったはずなのに
一日の終わりに風呂へ入る。
この季節になると、それだけで一つの仕事を終えたような気分になる。
ぬるめの湯にゆっくり浸かり、肩まで沈めて目を閉じる。エアコンで冷えた身体も、昼間の暑さで疲れた頭も、少しずつほどけていく。
「やっぱり風呂はいいな」
誰に聞かせるでもなく、そんな言葉が口をつく。
ところが、問題はそのあとだ。
脱衣所へ出た瞬間から、また汗が流れ始める。
タオルで拭いても拭いても額に汗がにじみ、首筋を伝い、背中を流れていく。
せっかく風呂でさっぱりしたはずなのに、また汗だくになる。
毎年のこととはいえ、この時期だけは「風呂上り」という言葉が少し信用できなくなる。
そんな夜は考えるより先に冷蔵庫を開ける。
缶ビールを一本。
プシュッという音が静かな部屋に響く。
最初の一口は喉ではなく、身体全体が飲んでいるような感覚だ。
冷たさが胸のあたりまで一気に落ちていく。
ようやく汗も少し落ち着いてきた。
窓を少し開ける。
昼間ほどではないが、まだ外の空気は生ぬるい。
遠くで救急車のサイレンが鳴り、どこかの家ではエアコンの室外機が休むことなく回っている。
夏の夜は静かなようで、意外と音が多い。
その音を聞きながら飲む酒は、不思議と一日の終わりを実感させてくれる。
誰かと飲む酒も楽しいが、一人で飲む酒には「今日も終わった」という安心感がある。
年齢を重ねるほど、その安心感のほうがありがたくなってきた。

2.本を開くタイミング
ビールを半分ほど飲んだ頃、本棚へ手を伸ばす。
風呂上りは読書が進む日と進まない日がある。
今日はどうだろう。
一ページ読んではグラスを持ち、また一ページ読んでは窓の外を見る。
そんな読み方でもいい。
若い頃は「何ページ読んだか」が気になった。
今は違う。
一行だけ心に残れば十分だと思っている。
本は競争ではない。
読んだ冊数でも、知識でもない。
その日の気分と静かに付き合ってくれる相手なのだ。
酒も同じである。
酔うためではなく、一日を閉じるために飲む。
だから本と酒は案外よく似ている。
どちらも急ぐものではなく、ゆっくり味わうものなのだ。

3.扇風機の風に吹かれて
エアコンは控えめにして、扇風機だけを回す。
風が汗ばんだ腕をゆっくり撫でていく。
さっきまで止まらなかった汗も、ようやく引いてきた。
この瞬間が好きだ。
風呂上り直後ではなく、汗がおさまり、酒が半分ほど減った頃。
身体も心もようやく落ち着き、本が少しずつこちらへ近づいてくる。
外では虫が鳴いている。
昔は夏といえば子どもたちの声が夜まで聞こえたものだが、最近は静かな住宅街が多くなった。
それでも虫の声だけは昔と変わらない。
人の暮らしは少しずつ変わっても、季節は律儀に巡ってくる。
そのことに少しだけ安心する。
本当は、風呂上りくらい汗をかかずに過ごしたい。
エアコンを強くすれば済む話なのかもしれない。
それでも私は、この少し面倒な時間を嫌いになれない。
汗を拭きながらビールを飲み、窓の外を眺め、本を開く。
そんな何でもない時間が、一日の終わりをゆっくりと形づくってくれる。
若い頃なら、「暑い暑い」と文句ばかり言っていた気がする。
歳を重ねると、不思議と暑さそのものより、その暑さの中でどう過ごすかを楽しめるようになる。
風呂上りに汗が止まらない夜。
決して快適とは言えない。
それでも、冷えた一杯があり、静かな部屋があり、手元には読みかけの本がある。
それだけで十分だと思える夜がある。
そんな夜を何度も重ねてきたからこそ、今日という一日も悪くなかったと思えるのだろう。
グラスの底に残った最後の一口を飲み干し、本を閉じる。
時計を見ると、もう眠るにはちょうどいい時間だった。

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