酒の失敗は、歳をとってから面白くなる
1.若い頃の酒は、だいたい背伸びから始まる
酒にまつわる失敗を思い出そうとすると、決まって苦笑いから始まる。
今思い返せば、恥ずかしいことばかりだが、なぜか思わず笑ってしまうような出来事も多い。
若い頃の酒というのは、だいたいが「飲みたい」よりも「どう見られたいか」で選ばれていた気がする。
喉が欲していたわけでも、味わいたかったわけでもない。ただ、その場にいる自分を少し大きく見せたかった。それだけだった。
たとえば、友人と遅くまで飲み歩いた夜のことだ。
終電を逃し、家までおよそ3キロ。タクシーに乗るほどの距離でもない、という謎の判断力がそのときの自分にはあった。酔った勢いで歩いて帰ることにしたのだ。
途中までは、やけに気分が良かった。夜風も心地よく、世界は少しだけ自分に優しく見えていた。
しかし、気がついたときには道路脇の側溝に足を突っ込み、見知らぬ家の壁にもたれて眠り込んでいたらしい。
早朝、新聞配達の人に不審そうな顔で起こされ、何事もなかったようにその場を離れたが、胸の奥には得体の知れない恥ずかしさだけが残った。

2.酒の失敗ではなく、勘違いの失敗だった
また別の夜。大学の卒業式の謝恩会でも、やらかしている。
当時、ようやく付き合うことができた彼女がいた。嬉しくて、浮かれていて、そして馬鹿だった。
「酒に強い男」に見せたかったのだと思う。
無理をして、背伸びをして、周りのペースに合わせて飲み続けた。結果は、想像どおりだ。
彼女の目の前で深酔いし、その夜の記憶は途切れ途切れ。
後日、関係もあっさり終わった。
今なら分かる。あれは酒の失敗ではなく、勘違いの失敗だった。
酒を飲めることが大人だと思っていた。強い酒を平気な顔で飲むことが、余裕だと思っていた。
でも実際には、ただ自分の限界を知らず、認める勇気もなかっただけだ。

3.失敗は消えないが、形は変わる
こうした話を並べると、いかにも若気の至りで片づけられそうだ。
実際、その通りでもある。あの頃の自分は、間違いなく未熟だった。
ただ、不思議なもので、30年近く経った今でも、これらの失敗はふとした拍子に顔を出す。
酒を注ぐとき、グラスを手に取るとき、あるいは「もう一杯どうですか」と勧められたとき。
あの夜の側溝や、謝恩会の空気が、微かに混ざってくる。
もちろん、失敗しなくなったわけではない。今でも酒でしくじることはある。
ただ、同じ失敗を、同じ形で繰り返すことはなくなった。
それは反省したからというより、あの頃の自分を、ようやくそのまま引き受けられるようになったからだと思う。
若い頃の酒は、だいたい見栄と一緒に飲んでいる。だから失敗する。
それ自体は、もうどうしようもない。
けれど、時間が経つと、その失敗は少しずつ形を変える。今の酒の飲み方の中に、静かに溶け込んでいく。
あれから長い時間が経った。酒との付き合い方も、夜の過ごし方も、ずいぶん変わった。
完全にうまくなったわけではない。ただ、これ以上悪くしない方法だけは、少しずつ身についてきた。
その話は、次の章でご紹介する。

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