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パステルカラーの恋 13

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 明日から師走になる11月最後の日、ジュリアは桜の入院するM市総合病院の前に降り立った。薄いロングのカーディガンにモノトーンの上下、スリムなパンツが脚の長さを強調し、高いヒールのパンプスで颯爽と歩く。もともと高身長なのでそこに居る者を圧倒する程のオーラを放ち、ひたすら前だけを見据えて進む。
 ロビーを横切り東病棟の3階へ。エレベーターホールを抜け休憩スペースの角、ナースステーションに着くとジュリアは担当の看護師に話しかける。
「香山桜の担当医の先生をお願いします」
「はい、失礼ですけど、どちら様でいらっしゃいますか?」
「ジュリア・マッケンジーと申します。これを・・・」とジュリアはバッグから持参した封書を渡す。
 看護師はそれを受け取り、封筒を見てちょっと驚いた顔をした後、
「分かりました。ちょっと、お待ち下さい」と走って行く。

 5分後、ジュリアは担当医の案内で桜の病室に通された。持つべきものは人脈だ。
「香山さんは今眠っておられますが……」担当医の小山が言った。
「目覚めるまで待っていますので、お構いなく」
「分かりました。あの……、香山さんとは……、どの様なご関係で?」
「婚約者です」
「え!? あ、そうでしたか。あっ……、え?……」
 小山医師はまだ何か訊きたそうにしていたが、ジュリアがソファに腰掛け目を閉じたので、一礼して部屋を出て行った。

 ナースステーションに戻った小山医師はナース長の相川に声掛けられる。「香山さんのご家族に連絡しなくてよろしいでしょうか?」
 小山は顎に手をやりながら、暫し考える。
「少し様子を見よう。何しろN大医学部部長のH先生からの依頼だからな。断れない。それに桜くんの婚約者だと言ってる」
 えっと絶句して相川は驚き、ジュリアの出で立ちにその場にそぐわぬ妙な違和感を覚えて、胸騒ぎがするのを抑えられなかった。

 小山が病室を出るとジュリアは改めて桜の様子を目にした。
 頭部全体を包帯で巻き、右頬上部は大きなガーゼのような布で覆われている。点滴やその他の管が何本も繋がれ、さながら人造人間のようだ。傍らの心電図が単調な波型のラインを描き出し、その下の数字は脈拍か血圧か何かの数字であろう。
 ざっと見たところ特に異常はなく、規則的で安定した呼吸をしながらスヤスヤと眠っている。穏やかというより無表情だ。一体何を感じて眠っているのだろう。ジュリアは桜の傍に近寄り顔を覗き込む。こうして見る限り平安そうなのだが……。
 もう少し眠らせたままにしておいてあげようと、ジュリアは再びソファに身を沈める。そして少しの間を利用して瞑想を始めた。

 それは小さい頃の想い出、ハワイの海だろうか、砂浜には沢山の人がさんざめき夏の明るい日差しに照らされて、それぞれのんびりとバカンスを楽しんでいる。
 抜けるような空の色と青い海が交差する。波間ではサーフィンする者、ヨットで沖に漕ぎ出す者、水上スキーでしぶきを上げる者、こちらも賑やかだ。
 その中をジュリアもサーフィンボードの上に乗り、風を切って走る。白地にピンクの模様のあるウェットスーツがよく似合う。ボードが波の上でザーッという心地良い音を残して、ひたすら疾走して行く。海岸の風景が風に乗って次々と後方に過ぎ去る。誰もが動きを止めてジュリアに注目している。笑顔で手を振る者や歓声をあげる人達さえ。
 波は留まることを知らず、ジュリアを乗せたボードはどんどんと海洋の遠く沖の方まで水面を掛け抜ける。いつしか周囲には誰もいなくなり貨物船やタンカーが行き来するのを遠くに眺める。それでもジュリアを乗せたボードは波の上を軽快に走り続けて行く。
 やがて陽が傾き、あたりは茜色に包まれる。茜色が朱色に、朱色がピンクに、ピンクが紫に、紫が藍色へと変化して行く。その中を尚もジュリアは疾走する。時間の流れさえ感じさせない程に。
 気付くと空には星が瞬き始め、辺りはすっかり深い藍色に包まれる。水面にキラキラした夜光虫やホタルイカの群れが現れジュリアの行く手を灯す。
 やがてあちこちに氷山が現れ、それまで海だったところは一斉に氷の大地に変貌する。ジュリアはボードに乗ったまま、どこまでも広がる氷の上を滑る。地上から全ての音が消え去り無音の世界になる。
 いつしか氷山さえ遠ざかり、一面に続く氷の平原をただ一人滑走する。ジュリアはもはや人ではなく、小さな光に覆われた人の形をした氷の妖精と化す。それはまるで銀盤の上を軽やかに滑るフィギュアスケーターを思い起こさせた。
 空には降るような満天の星々、その先は果ての無い宇宙。氷の大地と宇宙はどこかで接点を持ち、光の妖精は、静寂の中をひた走り、シュプールを描き、空と大地の交わる所まで行き着くと、突然たくさんの光の粒を撒き散らし、大きな光の玉に姿を変え、星空へと駆け昇る。
 それは一番北の天高くに輝く一等星をめざして一直線に、シュルシュルと打ち上げられた花火の様相で高々と天球を駆け巡る。それに鼓動した様に周囲から無数の流星達が寄り集まり、さながら一本の大きな光の柱となって、その姿を天体に映し出す。
 そして、先頭をひた走る光の玉が北の一等星に辿り着いた瞬間、ビッグバンが訪れたかの如く、夜空いっぱいに光の粒達が砕け散って広がった。それらは夜空いっぱいに大きな花を咲かせて、ゆるやかに雪の様に、霧雨の様に、ちいさな尾をひいて氷の大地にに舞い落ちる。空から降る数億の光の粒達だ。
 大地に舞い降りた光の粒達は暗く沈んだ世界を光の花で埋め尽くし周囲を明るく照らし始めた。

「う、……、うっ……」
 小さな声が聴こえた。見ると桜の表情に動きが見られる。
 瞑想を終わらせたジュリアは、立ち上がり、桜の耳元に顔を近付け、小さく桜の名を呼んでみる。
「うっ……」
 桜はほんの少し眩しそうに目を開いたが、ぼんやりとあらぬ方向を見ている。
「桜、分かる? 私、ジュリアだよ」
ジュリアの声掛けに桜は無反応だ。
「桜、そろそろ目覚めて。美和をあのままにしておいてもいいの?」
 少し声に力を込めたジュリアの言葉に、僅かだが桜の瞳が反応した。
「桜! しっかりして!」
 ジュリアはしっかりと静かだが強い力を持った声で桜の魂に訴えかけた。そこではじめて桜の目はジュリアを捉えた。だが、その眸にジュリアは映るもののぼんやりと霞が掛かっていた。
 ジュリアは右手の指先で桜の頬をピシッと撥ねる。それは頭部の傷に支障が伝わらない程度の力加減で。しかしそれだけで充分にその鋭くて愛しい痛みは桜を貫いた。驚いた顔で桜はジュリアを見る。
 その刹那、ジュリアは桜の唇にそっと自分の唇を触れ合わせた。聖母マリアが我が子に愛という感情を目覚めさせるのに似た行為であった。
 桜は不思議な物を見たように身体を硬直させて行った。目から鼻へ、口から耳へ、頭から首へ、やがて手や足が小さく震え、再び腹部から胸を伝わり喉から声を発する。
「……美和!」
 桜ははっきりと言葉を口に出した。ふたつの目はしっかりと大きく開き、ジュリアは桜の瞳の奥に確かなものを見届けると、ナースの呼び出しボタンを数回押して病室を出て行った。

 ナースや医師達がバタバタと桜の病室に駆け寄る足音を聴きながら、ジュリアはエレベーターホールに戻り、ロビーに降り立ちエントランスを抜け、玄関ドアを出るとパーキングエリアまで戻って行った。
 赤い流線型のクルマ。ジュリアは助手席側のドアを開き、「待たせたわね」と一言告げ、シートに身体を預けて、大きく息を吐いた。
「上手く行った?」
リクライニングレバーで倒していたシートを元通りにさせ、緑川アイが運転席から声を掛けた。
「分からない、やるだけの事はやったわ。後は桜次第」
「うふふ、氷の大地を滑走したご気分はいかが?」
「ありがとう。最高だったわ」
 2人は軽いキッスを交わす。そして、楽しそうな笑みを浮かべると、アイはサングラスをかけ、クルマを始動させた。そして、パーキングを出て国道に出るとびっくりする様なスピードで走り去って行った。

 一方、ジュリアの去った病室では、
「不思議だ。何があったのだろう」
 小山医師は首を傾げた。桜は微笑んで応えた。
「いいじゃないですか、無事に戻ったんですから」
「あ、相川さん、早くご家族に連絡を」
「はい、分かりました」
 ナースステーションに戻ったナース長の相川が書類を捲り、電話のナンバーをプッシュする。
 数回コール音が鳴ったあと、相手の声が聞こえる。
「あ、もしもし、香山さんでございますか? 病院の相川です。今からすぐにこちらへ向かっていただけませんか?」
 電話の向こうで驚いて息をのむ音がした。
「桜に何かあったのですか?」早口で問い掛ける。
「いいえ、悪い事ではありません。桜さんの意識が平常に戻りました。もう心配は要りません」
「えっ……」
 桜の母は受話器を握り締めたまま。絶句する。
 その手は小さく小刻みに震え出し、メモ帳を置いたテーブルの上にポタリとひとつふたつ、涙の滴がこぼれ落ちた。

続く

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