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パステルカラーの恋 14

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 長くて辛い入院生活も後少しだ。このところ私は毎日リハビリに励んでいる。
 師走に入り、気が付けばもう年の瀬がすぐそこに迫って来ている。焦りはするがひたすら耐えて、私は小山医師を驚愕させる程のスピードで日に日に回復して行った。来週には退院出来ますね、医師からそんな言葉を聞いた時、人知れず目頭を滲ませてしまった。
 早く美和に連絡をという想いでいっぱいなのだが、眼の調子があまり良くなくて、パソコンやテレビ、ましてやスマホなどが禁止されている。病院の廊下にある公衆電話で外部との連絡は可能なのだが、これまでスマホ頼りにして来た罰か、美和やジュリアの連絡先さえスマホが無いと分からない。
 家族にその想いを伝えてはみたが、なぜだかあまりいい返事を貰えなかった。母や妹はほぼ毎日顔を見せるが必要な事柄以外は話さず、それから父は殆ど顔を見せないが、もしかすると何かあったのかも知れない。私が美和の名前を口にしようとする度、遮る様に別の事柄を口走り鉾先を変える。事故を起こしてしまった自分のせいでもあるが、ここはまるで刑務所に入れられている様な気分がする。もちろん医者や看護師、介護士達、それからリハビリを担当してくれているスタッフの方々には大変良くして貰って有り難いのだけれど、自由がない。毎日が病室と診察室、そしてリハビリ室の限られた空間を移動するのみだ。しかも歩く時は松葉杖が必要となる。早く怪我を治して退院する以外、自由は得られない、そう覚悟をしリハビリに励んだ。

 その日の夕方、珍しく妹の菫が一人で着替えを持ってやって来た。菫はまだ大学生で自宅から県内の私立大学に通っている。兄妹の仲は良くも悪くもない。少し気の強いところがあるので、私は妹と接する時、あまり刺激を与えないように心掛けている。
「珍しいね、お前が一人で来るなんて、母さんはどうした?」
「さあ? 何か用事があるみたい」
 母は生け花の教室を持っている。教える方だ。流派は忘れたが師範という立場にある。何かと用事もあるだろう。
「そう」私は気の無い返事をしておいた。
 菫はいつも母がやるとおり、着替えを所定の場所に置き、代わりの洗濯物を袋に詰め込む。それから窓辺に置いた花の水を取り換える。手慣れた手順だ。菫もまた生け花の心得がある。それだけに花に対して注意を払っている。花への注意ではない。それを見る人に華道の家元としての品位を保たなければいけない。誰が見る訳でもないのにと無駄に豪華な花を見る度、私は溜息を吐く。確かに部屋を明るくはしてくれているのだが……。
「あのなあ、菫、ちょっと訊いてもいいか?」
 さっさと用事を済ませて帰り支度をする妹に私は声を掛けた。
「何?」
「俺の意識が戻る前、その間に何かあったか?」
「何かって?」
「誰か訊ねて来た、とか……」
 ははーんとでも言いたげな顔をして菫は荷物を置いて、ベッドの側に寄って来た。
「来たわよ!」
 菫は何かを宣言する様に高らかにきっぱりと言い放った。
「誰が?」
「お兄ちゃんのカノジョよ」
 菫はカノジョの部分にイントネーションを置き、かすかに笑みを浮かべて好奇の眼を光らせた。
「美和のことか?」
「認めるのね」
「こうなったら、仕方がないよ」
「開き直り?」
「いや、いずれは話そうと思ってたことだ」
「どういうつもり?」
「俺にとっては大切な人だよ。元気そうだったか?」
「そりゃ一人でここまで乗り込んできたんだから、元気なんでしょ」
「お前には美和がここへ乗り込んで来たように見えたか?」
「それは言葉のあやだけど、私は反対よ。お兄ちゃんがあんな人と付き合うのは」
「なぜ、あんな人だなんて言い方をする?」
「え? だって普通そうじゃない?」
「普通ってなんだ?」
「そんなこと知らないわよ。お兄ちゃん前に付き合ってた綺麗な人に振られたから、やけになってるんじゃないの?」
「お前、そう思ったのか?」
「違うの?」
 私は、前途困難を思わざるを得なかった。
「その逆なんだ」
「へえ……」
 妹は、不思議そうな顔を残して帰って行った。その時点ではまだ私も菫も例の手切れ金の件は何も知らずにいた。

 翌週、ようやく私は無事に退院の日を迎えた。歩行するのに暫くは松葉杖が必要だが、実に喜ばしい日だった。あのおぞましい事故から約2ヶ月も過ぎていたのだ。ここに美和がいてくれれば尚更その喜びは倍増するのだが、仕方ない。お世話になった小山医師から長時間でなければパソコンもスマホも問題ないとやっとお許しを得た。私のスマホは実家に預けてあるらしい。暫くは実家暮らしだ。
 実家での生活は楽ではあったが、何か窮屈な気がしてならなかった。父も母も怪我の心配はしてくれるものの、あまり私と話をしたがらない。何故か大事な話をしようと思うと視線をすっと逸らされてしまう。唯一妹だけがたまに私の部屋を訪れては、何かと問い掛けて来る。
 その晩も菫はやや神妙な顔をして私の部屋を訪れた。
「お兄ちゃん、ちょっと訊きたいんだけどさあ」と、何やら勿体ぶった物言いである。
「何だよ」
「お兄ちゃんが意識を取り戻した時、誰か来てたんだって? 例のカノジョではない別の人が、あのナース長の相川さんて人に聞いたのよ」
「ああ、あの事」
「病院ではお兄ちゃんの婚約者って言ってたらしいわよ。そうなの?」
「違うよ」
「じゃどういう関係? すっごく綺麗でモデルみたいな人だって聞いたけど」
「モデルだよ」
「え!? ほんとにそうなの?」
 私はジュリアとの関係を菫に教えてやった。ついでに美和との慣れそめも。意外に興味深そうに話を聞いていた菫ではあったが、
「ふーん、そうなのね。なんか、私にはよく分からないけど」と頬を膨らませる。
「そりゃ、そうだろうな」
「カノジョに連絡はしたの?」とやけに真剣な眼で訊いて来る。
「退院して実家に戻った事はメールしたんだけどね。返事が来ない」
 私は退院して実家に戻ったその夜に美和とジュリアにそれぞれメールを入れた。ジュリアからは良かったねと一言返事があったが、美和からの返事が来ないままになっている。
「あら、そう……」菫は何やら言いたげに迷いながら下を向いた。妹のそういう態度は珍しい。
「どうした?」
 訊ねると菫は何とも複雑な困った様な表情を浮かべ、
「う~ん、あのね。私聞いちゃったんだ。パパとママが話してるところ」と言う。
「何の?」
 結局、逡巡しながらも菫は、偶然立ち聞きしてしまった父と母の会話を語りだした。
 そこで私は初めて、父が美和の家に百万円の見舞い金を持って行き、翌日すぐに突き返され、もう私を美和に会わせない様に懇願したという、その話を耳にした。
 私は、その刹那、怒りと悲しみに打ち拉しがれて、全身に震えが走るのを感じた。ポタポタと突然大粒の涙が床を濡らした。
 そんな私の姿を見て、菫はすぐに「ごめん」と一言叫んで、私の肩に手を回そうとした。だが、私は「触るな!」と鋭い声をあげて片手で妹を突き飛ばした。菫は驚き顔を真っ赤にさせて逃げる様に部屋を出て行った。
 私はすぐさま、松葉杖を手に取り、父と母のいるリビングへ駆け込んだ。
 
 その時のやり取り、親子の言い合い、掴みかかる私の精神状態をここに記すのはとても無理だ。思わず私は父を殴ろうとして泣き叫ぶ母にしがみつかれて、その場に倒れ込んだ。松葉杖が弾き飛び、リビングは修羅場と化した。
 私は意識を失ったかも知れない。何かに絶望したように止め処なく涙が溢れた。気が付いたら自室のベッドの上で朝を迎えていた。
 私が家を出る決心をしたのは、その日の事である。昨夜のこともあり、体調はすぐれなかった。頭痛もがんがんして目眩もした。それでも、とりあえず一人になりたかった。杖を頼りに荷物を背負い、外へ出てタクシーを呼び、自分のアパートの住所を口にした。
 美和からのメールの返事はないまま。電話をしようと何度も液晶画面に指を近付けるのだが、その度に突然指先が激しく震え、押せないままに時間だけが過ぎて行くのだった。

続く

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