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月灯りのミウ  10/16

(第10話)ユタカの話


とにかくそこは居心地の良い場所だった。本当はそのまま半永久的に飽きるまで、いつまでもそこでボーッと何もない時間を過ごしていたかった。
しかし残念ながら、そこにいては人生は進まないのだ。
歳を取らず時間も経過せず、現実世界に帰ると元の日付の朝に目覚めるのだから、嫌になる。

俺は最初はどうでもいいような出版社に勤めた。それなりに楽しくそして忙しく過ごしていたが、結局、小さな世界の中でちまちまとしかやれないことに嫌気がさし、独立を決めた。
独立と言っても出版の仕事をしたかった訳ではない。
単純に趣味を仕事にしたくて、俺はアメリカンロックを一日中聴いて美味い酒や珈琲の飲めるカフェバーを開いた。店内は楽器やビリヤード台、ピンボールなどのゲーム機など自分の好きな物で埋め尽くした。

それは男の夢だったかも知れないが、経営者としての俺の資質は向いていなかった。
楽しかったのは最初のほんの数ヶ月の間だけで、徐々に経営は傾き始めた。そして、やがて支払いが出来なくなり、店を閉めざるを得なかった。
店の権利を売却する事で債務を履行すると、残ったものは数枚のLPレコードだけという悲惨なものだった。僅かな預貯金と下宿のような小さなアパートに引っ越し、近所のパン屋で下働きの労働を余儀なくされた。
もう夢を失くした俺は、死を覚悟した。
覚悟したものの最後にその前に旅に出ようと思った。

いや、実際の旅に出る金など無かった。
俺が旅立ったのは、あちら側の世界。
そう渋谷のホテルの部屋で午前3時、月灯りの中、鏡の向こうに入り込む。あの白いモヤに包まれた世界だ。
その世界を知ったのはもう5年以上前のこと、ミウと付き合う以前、別の女と泊まりで来たとき、偶然にそれを発見した。
最初は確かに戸惑った。夢でも見てるのかと何度も思った。パニックにもなりかけた。
しかし、何度か繰り返す内にあちら側の世界にも何人かの住人がいることを知った。

彼らからもたらされた情報を元に、ある程度その世界の特徴を掴んでいった。
この際、何故そんな世界が存在するのかという根本的な問題は考えないことにした。あるものはあるのだ。それを受けとめる。
そして、その世界に行ける人間は誰でもという訳ではないということが分かった。
具体的なことは分からないが、何かを持っている。または選ばれた人間しか入れない。そういう事らしい。
俺には何があるのか、と問われるとはっきりこれというものは思い浮かばないが、とにかく選ばれたのだ。何かを持っているのだ俺は、そう思うと何だか自分は特別な人間の様に思えて来た。

それからは盛んにそこに入り浸り、そちらの世界での生活を楽しんだ。
白いモヤの中で何もせず楽しむなんてことが出来るかと思う人がほとんどだろうが、案外そんなことはない。誰かと話したい時は話が出来るし、黙っていたけりゃ黙っていればいい。どんだけでも眠っていられる。好きなだけだ。
そして帰ろうと思えばいつでも帰れる。こんな自由なことは無かった。
強いて言うなら入り口をもっと見つけたいくらいで、俺はその情報を探し求めた。
その結果は今は言えない。それは俺だけの秘密だから。

さて、そんな中でミウがこちらの世界にやって来たのには少々驚いた。
ミウも特別な人間だったらしい。この場所のことをある程度教えてやり、現実世界に帰るようやんわりと勧めた。
そしてまたすぐに(実際には1ヶ月半、経ってかららしいが…。)やって来た。それも別の男を連れて。一緒に入ったらこちらでも一緒にいられるらしいと…。それは初耳だった。
もちろん連れて来るには相手も特別な人間である必要がある。誰でもという訳には行かないのだ。
でも俺としてはあまりこちらの世界を荒らされて欲しくないという気持ちもある。

店舗を売却した時に自分はもう死んだと思った。先にも述べたが今は旅をしてる途中だ。
現実世界では生きて行かれない俺が単純に一時凌ぎで逃げ出してひと休みしているだけの世界だ。
それを俺は旅と呼んでる。
ここでは思考だけで自由に旅が出来る。
思うだけで世界中のどこへでも行ける。
空も飛べるし、海の中を潜ってどこまでも行ける。
このバーチャルリアリティーな体験を取得するのにいろんな人の経験談に耳を傾けた。
そしてその技術を取得した俺は、この世界が最高の遊び場であるのだ。
あくまで仮想現実を楽しんでいるだけの事だが、死を目前にした俺には丁度都合のいい疑似旅行であった。

こちらにいるのは現実逃避、長い長い暇つぶしだ。
それは分かっている。
分かっているけど、良いじゃないか。ここは時間のない世界なんだから、どれだけ居ようと俺の自由だ。それこそが俺の特殊能力かも知れないと思った。

でもこうなったら仕方ない。とりあえず一旦現実世界に戻り奴らに会ってみるかと思った。
何を企んだ訳でもない、単なる好奇心だ。
ミウのために、なんて言うと重過ぎるから、それは言わない。
奴らはどんな特別なものを持っているのだろうかという、個人的な興味、そんなものだ。
そう思って俺は戻った。
クリスマス頃の俺の部屋に。


続く


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