パステルカラーの恋 16 最終話
昨夜、久しぶりに美和からメールが届いて、居ても立っても居られなくなった私は、今日の診察を終了するとタクシーで駅に向かった。
松葉杖は片手で使うクラッチ杖というタイプの物に変わり、少し慣れる必要はあるが、動きやすく、多少は身軽になった気がする。
怪我の具合もかなり良くなって来た。ここ数日発熱して寝込んでいたのだが、それも治り体調は格段に回復していた。
電車に揺られ、美和の住む街にたどり着いた時には、すっかり夕暮れが近付いていた。クリスマスという事もあり、そこそこに賑わう商店街や街の通りを、私はクラッチ杖を頼りにひたすら歩いた。
そして今、私は美和の家の玄関前まで来てしまった訳だが、ここまで来ておきながら、どうにも玄関チャイムを押すのを、躊躇してしまっているのだ。この期に及んで全く情け無い話だ。
美和に怪我をさせてしまった私を、この家の方々が温かく迎え入れてくれるのかどうかという不安がある。そこに持ってきて香山家の両親がした行為、要請などは、私自身も到底許し難く、一体どんな顔をしてこの玄関先のチャイムを鳴らせば良いのか、思案に暮れていた所であった。
そんな私の背中を押してくれたのが、何を隠そうピザの宅配便のお兄さんであった。
私が玄関前をうろうろしている所にそのお兄さん、いやサンタクロースの衣装を身に纏っていたので、もしかすると本物のサンタだったのかも知れない。少なくともその時の私にはそう思えた。
サンタクロースは静かに私の前に歩み寄り、にこやかな微笑みを浮かべて、ピザをお届けにあがりました、と言う。
「この家の方ですか?」という問い掛けに私は思わず頷き、料金を支払ってしまった。
彼は私の片手でついた杖姿を多少心配してくれたのか、私の代わりに玄関チャイムを鳴らしてくれた。そして、「ありがとうございました。メリークリスマス!」と元気よく笑ってそう言うと、宅配バイクに跨り、そのまま、あっと言う間に走り去ってしまうのだった。
そこにガチャリとドアが開いて私は美和のお父さんと顔を見合わせて、暫しお互い唖然とその場に立ち尽くした。私の手に持っているピザを見て一瞬不思議そうな顔をしたお父さんであったが、すぐに成り行きを理解した様で、片手を広げて待てのポーズと、もう片方の手で口の前に人差し指を立て、黙ったまま奥の部屋に忍び足で戻って行った。
玄関でピザを持ったまま固まっていた私の前に、お父さんに連れられ、お母さんが顔を覗かせた。私の姿を見て一旦驚きの声を挙げたが、すぐに笑顔を見せた。
お父さんもくすくす笑っている。
そして、その背中越しに美和の顔が見えた時、私は何とも言えない表情で照れ笑いを浮かべてしまった。
「よく来たね。ちょうど、これからクリスマスパーティーだ。早くお入りなさい」「どうぞ、どうぞ」
お父さんとお母さんはそう言って、笑顔で私を家の中へ迎え入れてくれた。
美和はそんな場面をまるで夢でも見てるかの様にポカンと目を丸くして見つめていた。
こんな風にして私と美和の再会はクリスマスのサプライズ的に行われ、温かい部屋の中へと場所を移動した。
ご両親の私への接し方は以前訪問した時と少しも変わっておらず、何事も無かったかの様に振る舞い、座を盛り上げてくれて、私をリラックスさせた。
はじめは美和の戸惑いが手に取れる程に伝わった。
それを打ち破ったのもお父さんの一言であった。
シャンパングラスを手に持ち、
「新しい出会い、再会に乾杯だ。この夜の出会いに文句をつける奴など、私が許さない!」
と、ポーズをつけ、高らかに宣言した。
すると、お母さんまでが、
「許さな〜い!」と笑って合いの手を入れる。そしてグラスを持ち上げた。
お母さんは、美和に目をやり、乾杯を促した。
美和もすぐに頷いて、グラスを手に持ちそこに合わせた。
そして全員が私を見て目で合図する。
私も渡されて手に持っていたシャンパングラスを、無心でそこに差し出した。
4つのグラスがテーブルの上に集まり、カチンカチンとそれぞれ小さな音を立てた。
そしてお父さんの合図と共に全員で、乾杯をした。
「かんぱ〜い」
「メリー、クリスマ〜ス!」
祝いの言葉が部屋にこだまする。お母さんも、美和も笑顔になって声をあげる。私もそれにつられて声を出した。
「メリー、クリスマ〜ス!」
全員が揃って笑顔でみんなの顔を見回して、更に大きな笑顔を見せる。もう言葉など何も必要なかった。
素晴らしい夜だ。
素晴らしいクリスマスだ。
素晴らしい家族だ。
そうだ。その通りだ。
私達はみんなキラキラとした笑顔で乾杯を繰り返した。
美和の表情も一変して心からの笑顔をその顔いっぱいに浮かべていた。
本当に有難いと心から思った。こんなに温かく迎え入れて貰えるとは正直思っていなかった。
暫く味わっていなかった温かい家庭の幸せな空気に包まれ、私はなんだか心がポカポカして来て、ほんの少しだけ体が宙に浮いてるのじゃないかと思った。
美和は私の怪我の具合を気遣ってくれた。心配要らないと、私は笑って見せた。
美和の怪我の様子も訊ねてみた。
額の傷も順調に回復しているとのことだった。良かった。
そして私達は本当の家族の様に打ち解けて、美味しい料理に舌鼓を打った。
「きよしこの夜」や「ジングルベル」の歌をみんなで歌った。
ケーキを切り分け、ピザもいただいた。
ささやかだけれども、世界で一番温かいクリスマスを私は生まれて初めて体験した。
私の心の中で燻っていたものは一気に弾け飛んでしまった。
楽しいパーティーは夢の様で、ふわふわした時間の中、過ぎて行った。
食後、私と美和は2階にある美和の部屋へ移動した。階段を上るのに少し工夫が必要だったが、要領を掴めば何の問題も無かった。
「本当にビックリしたわ」
美和は楽しそうに柔和な笑顔を浮かべてそう言った。
「驚かせるつもりはなかったんだ。ごめん」
「謝らなくても良いのよ。わたしも連絡を控えていたし、申し訳なく思っていたから」
「悪いのはうちの両親だ。本当に申し訳なかった」私は頭を下げた。
美和は黙って首を横に振った。
「お父さん、お母さんには改めて後でちゃんと謝罪をさせて貰うよ」
「そんなこといいとは思うけど、それでさくらの気持ちが少しでも和らぐのなら、分かったわ」
「ありがとう。美和」
「何?」
「手に触れてもいいかい?」
当然よ、とばかり美和は私の手を両手で挟んだ。
私は胸の奥から熱いものが込み上げて来るのを感じて、思わず美和を抱き寄せた。
美和は眼を閉じ、私に身を任せた。
ひとしきり愛の交歓を済ませた後、私達は会えずにいた時間を埋めるかの様に、お互いのその時々の状態について語り合った。私は先ず意識が戻らなかった間中のことを美和に伝えた。
「信じられないだろうけどね、僕はずっと病室の天井辺りからベッドで寝たきりになっている自分自身を見下ろしていたんだよ。幽体離脱みたいだろう。最初は自分でも信じられなかった。
魂はここにあって、目も見えるし音も聞こえる。でも魂だけの僕はそこから動けないんだ。人が来る度、必死になって僕はここに居るよって呼びかけたんだけど、誰の目にも僕は見えていないし、声も届かない。時々うわ言を言う僕自身の実体にも呼びかけて、どうか動いてくれ、とか、喋ってくれって叫びまくってた。
実体の方の僕は記憶もあやふやに乱れていたみたいで、時々目を開けるんだけれども、どこかうつろでぼーっとしている。そうかと思うと何か変な夢を見ては、うなされて突然大声を出して泣き叫んだり、その度に医者が飛んで来て、鎮静剤みたいな注射を打たれたよ。
美和が病院に来てくれた時も何か感じてたんだ。だけど病室の天井に張り着いたままの僕は動けなかった。本当に済まないと思った。
それから数日が経った頃、ジュリアがやって来た。平日の昼間だったかな。実体の方の僕が眠っているのでジュリアは窓辺に近いソファに座って何か目を閉じて瞑想みたいなことを始めたよ。
不思議な事にその内容が僕にも伝わって来るんだ。
最初は青い海の上をジュリアがサーフィンしているんだけど、どんどん沖の方まで走って行ってね。夕方になって、夜になって、空にいっぱい星が見えたら、氷の平原みたいなところを光の玉みたいになって、どんどん凄いスピードで走り抜けて行くんだよ。それがそのまま地平線の端の方まで行ったら、今度は光の束になって、夜空に駆け上がるんだ。 え? 美和どうかした?」
時々合槌を打ちながら私の話を聞いていた美和は、ジュリアの瞑想を話し出したところから急に、驚愕の色を顔に浮かべて、両手で口を押さえて小さく震えていた。
そして、こう言った。
「わたしも見たの」
「え? ジュリアの瞑想をかい?」
「瞑想とは知らなかったけど、多分同じ時間だったと思うわ。白昼夢を見たのよ。今のと同じ場面」
私達はとても不思議で信じられない出来事に心底驚いて、お互いの顔を見合わせた。
「じゃ、その後の、大きく夜空いっぱいに砕け散って、光の粒が落ちて来るのも見たんだね」
美和はコクリと頷いた。
「薄暗かった氷の平原がいっぱいの光の粒で埋まって行くのよね」
「そうだよ。やはり、同じ夢だ。不思議だ」
私達は途方に暮れた。でもとりあえず、私はそこから先の話を続ける事にした。
「それでね、その後、瞑想を終えたジュリアが実体の方の僕に近寄り、顔を寄せて、僕の名を呼び掛け、頬を指先で弾いて、それから、唇に触れたんだ。
そうすると、その瞬間に天井にいた魂の方の僕が、すーっと下に降りてゆき、自分の身体の中に吸い込まれて行った。
手や指や足の先の身体中、隅々にある神経細胞まで、電気が走る様に僕の魂と身体はひとつになった。
そして元通りに意識を取り戻したんだ。身体も動かせる様になった」
一連の話を終えた私達は暫くの間、言葉を失くして、ジュリアが行なった瞑想の意味や、その不思議な体験について考えた。
「病院の外には多分アイちゃんがいたと思うよ。それを感じた」
「アイちゃんとジュリアとさくらとわたしが、何か精神世界みたいなところで繋がっていたって事かしら?」
「もしかすると、そうかも知れないね。何故だろ?」
私はふと、東京でアイちゃんに突然キスされた事を思い出した。
え? もしかして美和も……?
そうだとしても、それが何か関係があるのだろうか?
しかし、その話はもうそれ以上考えても無駄な事だと思った。この世界には人知を超えた不思議なパワーが存在するのかも知れない
「いつかまたジュリアのところへ会いに行こうよ」
「うん、そうだね」
私は美和の机に置いてある簿記検定試験の問題集を目にした。
「これだね、今の美和の目標は」
「そう、これから先の果てしない目標。先ずはそこから」
「うん、とっても良いと思う。応援してるよ。頑張って」
その日は美和の両親のすすめもあって、私は美和の家に泊めて頂く事になった。流石に美和と同じ部屋で寝る訳には行かず、同じ2階の別の部屋に布団を敷いて貰った。
でも夜更け遅くまで美和は私の隣にいてくれたし、これからの事なども話し合った。
今は家を飛び出した格好になっているけど、必ず一度家に戻ってご両親と和解をして欲しい。美和はそう言った。私は美和に、
「うちの両親を許してくれるのかい?」と訊いてみた。
「許すも許さないもさくらのご両親は、さくらの幸せを考えてしたことじゃない。当たり前の事よ」
「そんな風に言ってくれるんだね。そうだなあ、もう少し時間が経ったら、よく考えてみるよ」
「前にさくら言ってたじゃない」
「何を?」
「あれは確か、中華飯店で私が倒れちゃった日の事だわ」
「あの時?」
「わたしが将来の事を考えて悩んでいた時、さくらはこれから二人でじっくり考えて行こうって言ったの」
「あ、思いだした。そうだったね」
「だから、私達は、これからまだどうなるか分からないけど、それぞれの家族と仲良く出来るように頑張りたいのよ」
「う~ん、そうだね。難しいかも知れないけど、結論を出すにはまだ早いからなあ」
「そうよ。わたしは簿記の勉強をして試験も受かって経理の仕事をちゃんと出来る様になる。さくらは早く怪我を治して職場復帰ね」
「うん、それは大丈夫」
「いろいろ困難な事はこれまでにも沢山あったけど、こうして少しずつ乗り越えて来たのよ。わたしの今やるべき目標も見えて来たから、これからも頑張れば、きっと何か良い事に巡り合えそうな気がするの」
美和はそう言って穏やかな表情を浮かべた。
最初に出会った頃に比べると随分と美和はたくましくなったと思える。この半年間いろいろな出来事があったけれど、よくここまで来れたなと私は思う。
私がそんな事を考え、胸を詰まらせジーンとしていると、突然
「あれっ?」
と美和が素っ頓狂な声を上げる。
「何? どうした?」
「いや、さっき何か、引っかかっていたんだけど?」
「何が?」
「さくらが意識を取り戻した時の話で……」
「何か気になる事でも?」
「そうだ。ジュリアが唇に触れたって言ったよね」
「え? ああ確か…、そだね」
「ジュリアの何がさくらの唇に触れたの?」
「は? ……いや、そ、それは……」
私の隣で横になっていた美和は、がばっと置き上がって私に覆い被さり、顔を近付けた。
窓から差し込む月明かりが美和の顔を照らし出す。
「キス……、したのね」
「いや、あれはキスじゃないんだ。何かの儀式みたいなもので……」
美和は少しだけ首を傾げて、
「そう? ホントに?」と訊いた。
「神に誓ってもいいよ」
美和は私の瞳を覗き込み、ふっと微笑む。
「そう、じゃ許してあげる。その代わりこれを受け取って」
そう言って美和は私の唇に自分の唇を押し当てた。そして舌と舌を絡ませ、お互いの口内を唾液で濡らし、激しく求め合った。
新しい朝が来るまで。
終
