①メレン・トーマス・ベネディクトさんの臨死体験
末期がんで死亡した後に蘇ってから、臨死体験の間にもたらされた、そして生還してからもずっと続いた高次元からの情報をもとに様々な発明をし、特許もたくさん取得したメレンさん(故人)の体験談はアメリカでは様々なメディアで取り上げられ、著作も2冊あります(どちらも未邦訳・絶版)。私はとにかくこの人のお顔(というか、顔つき。表情)が好き。それと話しぶりが好き。
そんなメレンさんがラジオのインタビュー番組に出演したときの音声を翻訳してお届けします⭐️2009年ごろのインタビューだと思われます。
元の動画→ 1 https://youtu.be/9WxGC2uPj5M
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番組MC ジョージ(以下、G)
今夜は驚くべき夜になるでしょう。1982年、メレン・トーマスは末期の脳腫瘍で亡くなり、そしてそのときの体験について語るために生き返りました。
ケアを受けていたホスピスで彼は死亡しました。少なくとも、1時間半の間バイタル・サインがなかったのです。そしてそれから再び肉体に戻ってきたのです。メレンは最も数多くの研究対象となった臨死体験者です。臨死体験をして以来、彼は科学的研究プロジェクトに献身的に協力してきました。
さて2年ぶりの登場となります。メレン、また来てくれて嬉しいよ!
メレン(以下、M )
呼んでくれてありがとう。
G 調子はどうだい?
M 最高だよ。
G 新しいオーディエンスのために、君について少し教えてくれないかな。君の人生と、何が起こったのか、君が何をしているのか。
M もちろん。1981年の終わり頃、私は末期の脳腫瘍だと診断されたんだ。当時の技術では手術不可能で、治る見込みは無く、余命は6〜8ヶ月と宣告を受けたんだ。僕には全くそれを受け入れることが出来なかった。何のスピリチュアルな精神的支柱もなく、神を信じていなかった。無神論者であったとすら言えないほど、その方面に全く関心がなかったんだ。
当然、自己中心的な生活を送ってきたし、だから自分がこんな状態になってしまった時は、全くどうしていいか分からなかった。「なぜ私がこんな目に合わなくてはいけないんだ!」と思ったよ。ありとあらゆる人を責めた。神を含めて。神を信じていなかったのにね(笑)
しかし、経験から今では理解している。私が癌になったのは、私はこの世界が私が生きている間に滅亡してしまうと信じていたからだと。人間こそがこの地球における癌だと信じていたんだ。人間が地球をむさぼり尽くしてしまうだろう、爆発させてしまうだろう、汚染し尽くしてしまうだろうと本当に信じきっていた。
臨死体験の中でライフ・レビュー(人生の振り返り)をした時にはっきりとわかったのだが、私が人間は地球の癌であり、自然が間違った方向に進んで人間という癌を作り出したのだと思っていたからこそ、脳腫瘍を発症したんだ。
だから私はいつも、自己実現的予言や自分持っている世界観に気をつけろと人々に言っている。他の何よりもそれが自分自身に影響を与えているんだ。
G それは間違いない。自分の生き方や行動は、人が思っている以上に自分に影響を与えると思う。君はその生き証人だ。その状況とどうやって闘った?どうやって復活したんですか?
M 闘わなかった。私は完全に叩きのめされていたから。このことに対して全く準備ができていなかったんだ。がん専門医から、もし彼らの勧め通り化学療法や放射線療法を行った場合、約半年で植物人間になってしまうと言われた。
つまり、医者は実際、私の生存の可能性を見限って、私に家に戻って安らかに残りの時間を過ごすようにと伝えていたんだ。時間があるうちに、世界と和解しなさい、と。
だがその時、私は家に帰って死にたくなかった。それは私にとって最悪のことだった。それで途方に暮れてしまった。当時、私は自営業のアーティストだった。すると有難いことに(訳注:そのまま訳すと「恩寵によって」)友人がホスピスの訓練を受けた女性を紹介してくれて、彼女がボランティアで私の世話をしてくれることになった。
そして私は引っ越し、ホスピスに入ることになったんだ。それまでホスピスという言葉も聞いたことがなかった。臨死という言葉も聞いたことがなかった。形而上学とかそういうものには一切興味がなかった。
私は、死ぬということは、明かりが消えるようなものだと信じていた。それで終わりだ、と。また同時に、私はとても不機嫌な人間だった。私はとても怒りっぽい人間で、世話をしてくれた女性に本当に辛くあたってしまっていた。その時は知らなかったのだが、彼女はクリスチャンで、私はそうではなかった。
有難いことに彼女は何度も私の魂のために祈ってほしいと提案してきたのだけど、それは私を怒らせるだけだった。そしてあるとき、彼女はとても真剣に、魂の救いのために祈ってほしいと言ってきたのだが、私は彼女を罵倒し、わめきちらし、持てる力を振り絞って家を飛び出し、歩道の端まで歩いて気がついた、
「いったいどこへ行くつもりなんだ?もうお前の道は終わっているんだぞ」と。
そこから引き返して家に戻るまでの道のりは、人生の中でもっとも長い道のりだと感じたよ。家に戻ってドアをノックすると、もちろん彼女はドアを開けて私を中に入れてくれた。それ以来、彼女は二度と私に祈るように言わなかった。そして二度と言い争うこともなかった。そんなふうだったから、私は全然幸せな人間ではではなかったんだ。
G メレン、死が差し迫っている状態とはどんな感じだったんだ?死が迫っているとき、つまり、自分の死が近づいていることを自覚しているとき、それが差し迫ってくるのを感じたのか?
M その点では、私はとても幸運だった。私の症状は、絶え間ない痛みを伴うものではなかった。完全な痛みに襲われ、疲弊しきってしまうような時や、失神したりといったことはあったが、一過性のものだった。医師から末期だと告げられた瞬間から、降りられない列車に乗っているような気分だったんだ。
G 片道切符で。
M ああ。
G 死んでいる間に覚えていることで、何か奇妙なことはあったかい?生き返ったとき、自分を変えてしまったと感じたようなことは?
M ああ、もちろん。私が死んだのは早朝だった。気がつくと、突然、体の外に出ていて、周りは真っ暗で、自分の体を見ていた。
それはとても鮮明で、まったく奇妙なことだった。まるでここにいるみたいだった。
そして、自分の体から波打つような光が出ていくのを見ている自分に気がつき、私はとても混乱し、廊下を走って世話人を起こそうとした。だが、私は彼女を起こすことができなかった。
そしてまた気がつくと私は部屋に戻っていて、自分の体が死んでいくのを見ていた。
そして、おそらく皆さんが死の瞬間と考えるであろう瞬間、人生の見直しが始まった。今でいうライフ・レビューだ。その時はそれが何なのかは知らなかったが、自分の死の瞬間から、生まれる前、出生前までさかのぼって、自分の人生の見直しが始まったんだ。それで、胎児には意識があることを知った。
そして、人生の場面が刻々と過ぎ去るのを眺めていると、自分の周囲に人生の情景が鮮明に映し出されるようになった。
私は起こっている出来事を、物事の両面から見ることができた。自分がしてきた良いことも、無知からやってしまったことも、すべて見えた。
そしてまた、自分の周りに愛が入ってこないように壁を作っていたこともわかった。
その時、私は愛とは何なのか全然知らなかったんだ。そして、私を愛してくれようとしたのに、それが伝わらなかった人たちがいたことも知った。素晴らしいはずの機会を逃してしまった。
そして、私の人生が子供時代へと遡り続けるにつれて、家族の力関係によって起こるあまりにも多くのことを目の当たりにした。
私の父はアルコール依存症で、私の人生が過去にどんどんさかのぼり続けるにつれて、実際に状況がどんどん悪くなっていくのが見えた。幼い頃、実父はアルコール依存症で、ひどく暴力的で、母と私が死んでまうのではないかと思ったことが何度もあったんだ。
これらはすべて、まったく忘れていたことだった。潜在意識の中にしまい込み、抑圧していたんだ。それが全部出てきた。止められなかった。まるで地獄のようだった。
そして気がつくと、私は母のお腹の中にいて、非常にはっきりとした意識があった。すると、私を身ごもっているときに父が母を殴っている映像が浮かんだ。父が母を殴るたびに、私は傷ついた。そして、死んでしまうのではないかという母の恐怖が、私の中を駆け巡った。
私の世界観は生まれる前から決まっていたんだ。こうしたことのせいで、母の中にいたときの私の世界観は、この世界は危険で悪い世界になるだろうというもので、男というのは悪い生き物で、とても危険な存在だと信じることになった。そして、私はこんな世界に生まれようとしていた。
このことが、生まれてから1年以内に起こったある出来事につながったと思う。母が教えてくれたのだが、私はベビーベッドの中で、乳幼児突然死で一度死んだんだ。
このような環境、このようなひどい世界に子どもたちが生まれてくると、それに耐えられなくなることがある。彼らはただ逃げ出したくなるんだ。私もそうだった。私は病院に運ばれて、実際、死亡が確認された。
②に続きます。
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