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「やるべきこと」の中でしか、「やりたいこと」を見つけられなくなっていた

私は物心ついた時から、「やるべきこと」の中に「やりたいこと」を見つけるのが得意でした。

確か、内定をもらった就職試験の面接でもそういうことを意気揚々とプレゼンした気がします。

面接官の反応もよく、無事に内定をいただきました。「あ、これっていいことなんだ!」とさらに輪をかけて、その考え方をますます大事にするようになりました。

例えば、
仕事で経理を担当するときは、
「数字がぴったり合うと気持ちいい!」とか、
「もっとラクに計算できるツール作ろ」とか。

家事や育児でも、
「ゆでたまご、一個何秒で剥けるか選手権」とか、
「ウタマロでどこまでシミ汚れ落とせるか、ビフォーアフター写真撮ってみよ♪」とか。

せっかくやるなら、どうせやるなら、
楽しい方がいいに決まってる。
自分がやりたくなるような、楽しくやるような工夫をしよう、と。

だから私はずっと、
「やるべきこと」「やりたいこと」は重なっている方が幸せだと思っていました。

やらなければいけないことの中に楽しさを見つけられた方が、人生が豊かになる気がしていたのです。

それはそれで、間違いではなかったと思います。

でも、体調を崩した時に気づいたことがありました。

それは、「やるべきこと」の中でしか、「やりたいこと」を見つけられなくなっていたことです。

仕事はやらなければいけない。
家事もやらなければいけない。
育児もやらなければいけない。

だから、その中で「やりたいこと」を見つけよう。

その考え方は前向きでした。

ただ、「やるべきこと」の範囲が広がれば広がるほど、その中で見つける「やりたいこと」も増えていきました。

いつのまにか「やりたいこと」タスクをこなすのに夢中になっていました。

「やらされているんじゃない。自分がやりたくて、楽しくてやっているんだ。」

そんな気持ちを、免罪符にしていた気がします。

そして結果的に、体調を崩し、
ほぼ寝たきりになりました。

仕事もできない、家事もできない、
回復するためには、とにかく休むこと、「やるべきこと」から離れること、と。


その時、初めて考えました。

「やるべきこと」の外側にある、「やりたいこと」って何だろう?

頭の中に何も浮かんでこない。

「やるべきこと」から離れた途端、
やりたいことが分からない。

そこで、もう少し自分に問いかけて考えてみることにしました。

私はもともと、「どうせやるなら、お得になることをした方がいい」と思うタイプ。

育った家庭が経済的に裕福ではなかったこともあるし、単純に貧乏性なのかもしれません。

だから、ポイ活も懸賞も大好きでした。
楽しいし、お得になる。

「やるべきことではないけど、やったら得をする。」

これかもしれない。
私の「やりたいこと」って。

でも寝たきりになった時は、それすらしんどくなっていました。

スマホの画面を眺めながら条件を読み、
「このポイントをもらうには何をすればいいんだっけ?」と考える。その小さなタスクをこなすことができなくなったのです。

横になったまま、
「やりたいことって何だろう?」と考えてみる。

…何も浮かばない。

横になったまま、何がやりたいか考えてみるものの、生きているだけで精一杯の状態。
「ポイ活もままならないしな」と、なるべく体と頭に負担をかけないことを優先するため、「やりたいこと」探しもふわっとさせたままにしておきました。

そして、それから少し回復して動けるようになった頃、小学生の娘が言いました。

「ピアノ習いたい。」

たまたま家の近くの個人ピアノ教室に空きがあり、先生との相性も良さそうで、体験レッスン一回目で入会を即決しました。

私はピアノ経験ゼロ。
小学生の頃、ピアノが弾ける友達を尊敬の眼差しで見ていただけでした。

自分も弾けるかな?なんて考えたこともありませんでした。

でも、その時ふと思ったんです。

ピアノ弾けるようになったら、楽しいんじゃないかな?

40歳だけど、娘と一緒に練習したら、娘と同じくらいには弾けるようになるんじゃないかな?

仕事のためでもない。
家族のためでもない。
お得になることもない。

ただ、自分がやってみたいこと。

そう思って、私は娘と一緒にピアノを始めました。

一日5分でもいい。
ピアノに触ろう。
楽譜を読んでみよう。
娘のレッスンに付き添って、先生の言葉を横から吸収してみよう。

発表会なんていらない。

家のピアノで、自分の指が鍵盤の上をなめらかに動くのを見てみたい。

ただ、それだけでした。

最初は娘のライバルとして機能していました。
「ママはここまで弾けるようになったよ。」
「え、まだ左手の譜読みしてないの?」
そんな感じで、いい勝負をしていたんです。

でも現在3年目。
子どもの吸収能力についていけるわけもなく、
今では完全に追い抜かれました。

娘の演奏を聞いては、
「すごいねぇ。」
「ここの指番号教えて?」
「ここってどうやって楽譜読むの?」
と聞いています。

それでも私は、今も一人で家にいる時にゆっくりピアノを弾いています。

そこでようやく気づきました。

本当にやりたいことって、
「お得になること」ではなく、
「お得にならなくても続けたいこと」
だったのかもしれないな、と。


人生は、生産性でできているわけではない。

コスパ、タイパ、効率化、どれも今でも大好きだけど、そればっかりでもないよね、と。

たまには、
誰にも褒められないことをこっそり楽しむ。

上達が遅くてもいい。
役に立たなくてもいい。

娘に教わりながら辿々しく弾くピアノみたいに。

今日も私は、娘よりずっとゆっくりな速度で楽譜を追いかけています。

でも、それが楽しい。

そんな時間が、これからの私の心地よさにつながるのかもしれないな、と思っています。

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