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昨夜の奇妙な夢⑯~夢の世界で起きたことを、できるだけ正確に書いてみる~


夢の内容:

海辺の道を一人で歩いている。

目の前に地下への入り口があり、中に入ると急に天井が低くなり、自分の背と同じ程の高さになっている。

「いつもの高さより低くなっている。」と夢の中で歩きながら、違和感を感じている。

その先はさらに狭く、低くなり、腹ばいにならないと通れなくなっている。

進むか、引き返すか、迷っていると、急に後ろから大量の水がおしよせてくるのが見え、私はここで水におぼれ苦しみ死ぬんだ・・・と静かに夢の中であきらめている。

だが、次のシーンでは、なぜか、その地下道の外に立っているので助かっている。

すると、昔の同僚(男性)とその友人(部下らしき男性)が急に現れる。

「ここの天井の高さが急に低くなっていたんだけど、わかった?」と同僚に聞くと「そうだね」と彼もいう。

「30年ぶり位に合ったのだし、お茶しに行かない?」」と聞くと、彼は他の場所へ行きたい。という。

少し海辺の砂交じりの狭い道を3人で歩いていくと、目の前にゲームセンターが現われ、彼はそこへ入っていく。

同僚は椅子に座り、無言で目の前のゲームを始める。

「これをやりたかったのね。」と私はあきれ気味に言い、黙って見ている。

私は彼のゲームを見ているだけなのでだんだん、飽きてきて、「彼女とはどうなったのか?」聞くと、彼は「夜、仕事で遅くなる。」と彼女に電話すると大抵、彼女は家にいないので怪しい。などと、ゲームをやりながら言っている。

彼の斜め右のエリアには、昔の別の同僚達数名がゲームをしながら、楽しそうに会話しているのが見える。

突然、みんないそいそと帰り支度をするので、なんだろう?と思ったら、ゲームセンターは17時で閉店になるようだった。

彼が「飯でもいく?」というのだが、私は「ご飯お仕度あるので家に帰る。」というと、彼は残念そうな表情を浮かべていたので、罪悪感を感じたが、家の近くの交差点で別れた。

この時は彼の若い部下の姿は見当たらない。

次のシーンでは、狭い自動車展示場に私はシルバー色の日産セドリックを運転して入り、縦列駐車をしている。

さっきのゲームセンターで右斜めにいた同僚の一人(先輩)が、先導するので「自分についてこい。」という。

車を出してついていくと、途中の老舗の和菓子屋のような場所で先輩がとまり、店に入っていく。

「どうかしました?」と聞くと「腹減ってない?」と先輩がいい、「弁当買ったから食べていこう。」とお弁当を手に持ちながらいう。

店の周りをみると駐車場がないので「車はどこへ止めますか?」と聞くと「この先に駐車スペースあるから。」というが、「わからなくなるので、車に乗って教えてください。」と先輩へお願いする。

お弁当やらバックパックやら荷物の多い先輩を自分の車の後ろに乗せ駐車スペースに向かう。

夢の解釈:

この夢の登場人物の過去の同僚達全員は新卒で働いていた自動車メーカーのメンバー達でした。
ある意味、過去を懐かしく思うと同時に「飯でもいく?」と言われ「ご飯お仕度あるので家に帰る。」とはっきりと断っているところで過去との切り離し(今まで生きてきた自分とのさよなら)が出来ている。またはする準備がある。という意味かな、と感じた。
彼と共にいた若い部下は私の過去を意味している?のかな?と感じた。
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絵画紹介:

今回もシュルレアリストとって、重要な「メタフィジカル・ペインティング(形而上絵画)」の創始者のイタリア人画家のジョルジョ・デ・キリコの作品紹介です。

天才ピカソでさえも、キリコの才能を恐れた。と言われている画家です。

そして彼は多くのシュルレアリスト達にインスピレーションを与えたのですが、シュルレアリストとの活動は90年ほどの彼の人生の内わずか10年ほどで、その後、キリコは古典主義へ回帰していきます。

シュルレアリストたちとは異なり、彼は古典建築や芸術に深い情熱を抱いていたといわれています。

これは彼がギリシャで幼少期を過ごしたことや、彼の両親がイタリア人だったことが理由なのでは?と個人的に考えてしまいます。

今回の作品「The Roman Villa」は、1920年から22年にかけてキリコが「ローマの別荘」をテーマに描いた一連の絵画のうちの1点です。

この別荘の頂上に置かれた彫像は、ローマ時代のオリジナルを忠実に再現したものですが、しかし、彼はそれらをより近代的な建物の上に配置することで時間の停止したような感覚を呼び起こし、また、視線が下向きであるにもかかわらず、視線を上方へと誘導することで、緊張感を高めています。

この絵画は、午後遅くの静けさが降り注ぐような雰囲気を醸し出し、物思いにふける女性が室内の陰から姿を現す一方、二人の男性は絵画の枠の外で繰り広げられる光景を見つめています。

1922年までに、デ・クリコはシュルレアリスムに多大な初期の影響を与えたにもかかわらず、当初のインスピレーションを捨てたとしてシュルレアリストの創始者、ブルトン達から批判を受けることとなりました。

この絵画は、多くのシュルレアリスム達にとってあまりにもノスタルジックすぎるものであり、彼らはこれをキリコの才能の衰えの兆候と見なしたようです。

彼の古典主義への回帰後のスタイルは人々に受け入れられず、批評の嵐でした。

それでも、キリコは周りが描いてほしいものではなく、自身の描きたいものを素直に描き続けるという、偉大な画家であり、彼こそがアーティストの鏡であるように感じます。

目についたので、1人の批評家のマウリツィオ・ファジョーロ・デラルコのジョルジョ・デ・キリコのスタイルに関する小論を紹介します。

目に見えるものをそのまま受け入れず、それを超越していく。それこそが形而上絵画の本質だ。

GIORGIO DE CHIRICO (1888-1978) The Roman Villa, 1922

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