乗車資格 - Not Genius , but Beloved.

「でさ、とても残念なお知らせがある」
 初音がそう言って自分のおなかをさすってる。
「オレさ、天才だったみたいなんよ」
 そんなことあるはずがない。だっていつも言っていたじゃん。わたしたちは他人に選ばれることのない、才なき者達なんだって。だから毎月発生するこの痛みは、単なる自然現象で、それ以上の価値を持たないただのマイナスイベントなんだって、そんなふうに笑っていたじゃないの。
「だから、これでお別れなんだ」
 清潔な駅の構内で、自動合成された音声が発車前のアナウンスを始める。女なんだか男なんだかわからないよう、周到に混ぜ合わせられた声が弾丸型の列車から離れるように伝える。
「まもなく夢の島人類保存カプセルへの弾丸列車バレットが発車いたします。危険ですので白線の内側におさがりください」
「元気でな、四詩子ししこ
 くるりと踵を返そうとする彼女に手を伸ばすわたしは、でも、その瞬間だけは彼女の敵でいなければならなかった。

 選ばれることは不幸だ。自分がなにかを選ぶ自由のある時代は終わり、自由意志そのものから価値が失われた。けれどまだ、選ばれていないということはモラトリアム的な自由が消去法的に保障されているということであり、自由意志ほど高尚ではないが少なくとも選択そのものを他人に制限されるようなことはされずに済む。
 要するに、価値がないということが、わたしの感情を誰にも否定させないことに重要だということ。
 この考え方に賛同してくれる数少ない同志に鎌倉初音がいた。
 ある特定の辞典をこよなく愛する変態のあつまり、ジーニアス同好会に彼女はいた。特定変異遺伝子型を示す赤く透き通った髪色が、彼女に春を思わせた。初めて会った時からわたしは、彼女と自分が同じ性別であることに強い違和感を覚えるほどだった。もしこの世にまだ神が生き残っていたのならば、わたしは革命闘士として名乗りをあげて、娯楽用動画共有システム上に思想性の強い自動生成動画を毎日アップしていたに違いないと思う。それが法に触れればなおよしという破滅的な気分で。そんなふうに価値のない女であればいつまでも他人に選ばれることなどありえないという思いで。
 窓際で外を眺めたり、音楽を聴きながら放り投げた辞典の一ページをまるまる音読したり、雑巾でガラスを拭いたりする彼女に秘めた思いを伝えたのは、時点の404ページが開かれたその日だった。
 まるで機械みたいな読み上げを終えたわたしに、なんの話をすればよいか迷った顔をした初音が、なんとなしにノートの表紙を撫でながら言った。「桐寂って、四詩子っていうんだ。なんだか、モンスターみたいな名だな」
 彼女の手つきはとてもやさしかった。ノートに嫉妬するほどに。そして彼女がわたしの名前をモンスターだといったのだから、じゃあわたしは本物のモンスターになってやろうかななんて思ったりしたものだ。
「そういう初音は歌を歌いそうじゃない。歴史的に見てもそういう音をして いる。織田が燃やされたり、依田がフォースを導いたりするようにさ」
 モンスターというより出来の悪いスクリプトで動かされてる人工知性みたいな理屈だな。
「その理屈で言うなら、いい国を作る運命にあるのでは?」
 笑って話を流す初音の表情に、ドキドキしたし、焦りもした。いつか初音は、それも遠くない未来に初音は、きっと誰かに選ばれてしまうんだろうな。それは恐怖だった。子供の頃から何度も想像する恐怖に似ていた。人類なんて地球の歴史から見ればほんの新参者だ。そんな人間の意識がなんらかの原因で宇宙にほうりだされて、そのまま永遠の孤独を与えられたら。そういう想像の中にある恐怖と同じレベルのものだった。考えるたびにわたしは震え、心臓の周囲が不安で縮こまる。
「そんなもの作らなくていいよ。ここでずっと辞典をほうり投げていようよ。それでいいんじゃないかな。これからもずっとそうしていれば、きっと誰もわたしたちを選ばない」
「選ばれし者の重圧から逃げる気かな、桐寂」
「四詩子でいいよ。わたし、名前通りのモンスターだから」

「もし人間に運命なるものがあるとしたら」とわたしは端末に話しかけている。それが自動的に文字起こしされていた。自動文字起こし機能は十分に育っていて、わたしの声だけを的確に拾いあげてそこに文章を作り上げる。かつてのように自分が文字起こしに適切な話し方に調整してやる必要はない。すべてを学習させ、相手に直させる。主が人間であり機械が従であるという形式を一切崩してはならない。それが機械知性と人間の、意識あるものとそうでないものを明確に分け隔てるための方法だ。
「もっともわかりやすく表れるのは、その人間の性別である」
 モンスターの話すことに、不思議と初音は興味を持った。ジーニアス同好会では、辞典を投げ飛ばして特定のページを開く技能と、それとは別に他人の中にある才覚をなにかひとつ愛するという会則がある。理念は知らない。興味もない。でもそれが、わたしという人間が初音を好きになるきっかけで、初音という人間が桐寂四詩子に構う理由となった。よい運命だ。
「男に生まれたものは女を選ばなければならぬ。その女に奉仕せねばならぬ。子を産ませるために種を捧げなければならぬ。多くの子を産んでもらわねばならぬ。そのすべてを生涯育てねばならぬ。そして役割を終えたならばできるだけ早く偶発的に去れ。それこそが道理だ」
 一息に言い終わる。水を飲む。初音が頬杖をついてこちらを見ている。
「ゆえに女は選ばれなければならぬ。男に奉仕させねばならぬ。選ばれたからには子を産まねばならぬ。多くを産まねばならぬ。そのすべてを生涯食わせねばならぬ。そして役割を終えたならばゆるりと眠れ。それこそが道理である」
 だからわたしは、と続ける。
「だからわたしは、選ばれたくない。だれにも、なににも。わたしに愛なるものはないから。だれ一人として愛することがないから、だれにも愛されることなく選ばれることもない、そんな孤独として生きていかねばならないの」
 話し終えた頃、初音の指がわたしの頬を撫でていた。思わず握った彼女の指からひやりとしたものを感じた。濡れている。理由なんて明らかだった。
「そんな悲しいことを言っているから悲しくなるんだと思う。人間は悲しいから悲しいことを言うんじゃなくて、人間は悲しいことを言うから悲しくなるんだ」
「そういう歌詞でポップを歌うといい。きっと初音はスタアになれるよ」
「変な発音だ。ならなくていい。というより、ならない方がいいんだろ? その、スタアってすごく人気があるみたいだし」
「どうして、そう思う?」
 きっとわたしの期待は表情に出ていたのだ。餌を乞う燕の子みたいに欲しがりだった。
「友達がそばにいないのって、寂しいからな」
 塩味の雫混じりでわたしの寝癖を直す手。
 握りしめてそのあたたかさを覚える。
 いつまでも忘れないと思った。

「なあ、大人になってもいっしょにいる方法はあるかな?」
 真っ赤な紙に白い粉で、彼女の共有型個人識別番号と、もうひとり別の人間の番号が書かれている。
「わからない」
 とわたしは答えた。
「そんなのわかんない。この先、一生だってわかりたくない」

 初音が天才だということはわかっていた。天才とは天に与えられた才能であり、それは不変で、本人の意志とは関係ない。
 他人に選ばれるのは天才だ。
 ジーニアス同好会にいて、ずっとそばで彼女のことを見ていた。彼女は標準型の人格を備えていた。わたしのように逃げたりしない。彼女はわたしが後ろ向きで全力疾走すると、それについてきて、話を合わせてくれた。だいたい月に一度のペースでイライラしたりしても、決して怒ったりしなかった。自分だってつらいはずなのに。だから資格があることは十分にわかっていた。
 発射された弾丸列車バレットのうしろを姿を思い出しながら、わたしは印刷された名簿に横線を引く。鎌倉初音の名前を削除する。きっといい国作れるよ。たとえユーモアのセンスが破滅していてもね。だってそれはいい母の条件と干渉しないからさ。
「選ばれたかったな」
 それは、だれに?
 わからない。
 でも弾丸列車バレットにわたしの席はない。欲しいと思わないものに資格はないから。
 ただ、彼女に選ばれて、ずっとここにいて欲しいだけなんて、そんなものはなにも生み出さないから。
 もうだれもぬぐってくれない涙を流しながら辞典ジーニアスを投げ飛ばす。

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