Loop Mania -きえた消失世界に【7話】ホワイトアウト【#創作大賞2026 #ホラー小説部門】
凪咲さんに肩を貸してもらい、事務室から出たらすぐ左側にホールがあった。
ここは告別式が行われる場所になる。
ドアを出てすぐ真正面には受付があり、参列者の方がここで記帳を済ませる。
ここで香典を納めたら、ホールへと足を運ぶ段取りになる。
長男の貴敏さんの妻・加世子さんが受付を担当するらしい。
折りたたみ椅子に座って式が始めるのを待っていた。
加世子さんはわたしと目が合うと、軽く会釈をしてくれた。
わたしも軽く会釈を返す。
なんだろう?
加世子さん……なにか黒い影が見える。
身体全体を包み込む空気が、他の人と違って、黒く燻んでるような気がした。真っ黒のワンピースの喪服のせいだろうか?
すこし訝しげに見ていたら、
「大丈夫?」
凪咲さんがわたしの顔色を伺いながら、心配そうに聞いてきた。
「さっきの言葉、ちょっとびっくりしたよ」
「えっ?」
咄嗟に声に出てしまった。
凪咲さんは、わたしの家庭のことはまったく知らない。
そんな人からしたら、わたしの発言は普通におかしく思えるのだろう。
わたしは少し顔を伏せたあと、精一杯の笑顔を見せた。
「大丈夫です、もう慣れました……」
ついつい本音が出てしまった。
凪咲さんは何か言いたげな表情を浮かべたあと、少し視線を逸らす。
「なんかさ、亜梨子ちゃん、かわいいから構いたくなってくるな」
少し涙ぐみながら、肩に置いた手を握りしめてくれた。
なんだろう……何でなんだろう?
凪咲さんと話してると、なにもかもが普段の自分と違う感情が沸き上がってくる。
そう考えてたら、何かわからない、とりとめもない不安が押し寄せてきて、わたしは咄嗟に握ってくれた手を突き放してしまった。
「あっ……」
ほんとは優しさが嬉しかったはずなのに、それ以上はなにも言えなかった。凪咲さんはわたしが急に突き放したため、びっくりしたのか、「あっ……ごめん……」と一言だけ呟いた。
わたしの震えた姿を見て、凪咲さんは“触れてはいけないものに触れてしまった”と悟ったような表情を浮かべた。
そして、何かに気づいたようにわたしを一瞥すると、気まずさを隠すように手で涙をぬぐう。
「亜梨子ちゃん、ごめん、先に控え室に行ってるね」
と言い残し、スタスタと歩いて行ってしまった。
わたしは何も言えず、凪咲さんの後ろ姿を見送る。
そして、その瞬間は突然やってきた。
わたしの足下に、例の黒い煙が突然現れた。
その煙は次々と現れ、わたしを取り囲むかのように、わらわらと蠢いていた。
「……!?」
驚きのあまり、わたしは声が出なかった。
そして、かすかに声が聞こえた。
(な……なぜ……し……た)
そうつぶやいたあと、黒い煙の口が開き、気持ち悪い笑みを浮かべて、足に絡みついて来た。
「あれっ?凪咲さん……?」
無言で通り過ぎていく凪咲さんに、気がついた兄はわたしの方へ振り返った。
「えっ……!?」
兄がわたしを見て、動きを止めた。
その目には、はっきりと黒い煙が映っている───そう確信した。
不意にそんなことを思った瞬間、足元の煙がぞわりと身体の方へ這い上がってくる。
(な……た……ない)
再び、耳元に低く響く声。
冷たく、意志を持ったような何かが、わたしの脚を這い上がってくる。
「いやっ……やだ、やめて……」
包帯を巻いた左足が痛む。
動けない。
声も、うまく出せない。
「おにいちゃん……た……たすけ……」
目の前の異様な光景に、兄も言葉を失っているようだった。
わたしの声にようやく我に返ったのか、ひと呼吸おいたそのあと、兄は走り出した。
「亜梨子っ!」
その手がわたしの手を掴んだかと思うと、次の瞬間にはホールの中へと引きずるようにして駆け込んでいた。
黒い煙は一瞬わたしの身体から離れた。
だがすぐに、ずるずると這うようにして足元まで迫ってくる。
まるで執念深く、意志を持った何かのように。
そして——兄の身体にも、煙がまとわりついた。
「うわっ!?」
たまらず兄が叫んだ、その耳元で声が聴こえる。
(お……なん……ます……)
低く、くぐもった声がいくつも重なり合い、唸るように響く。
黒い煙のあちこちで、小さな稲光がピリピリと走った。
まるで怒っているようだった。
ホールの中には長男の貴敏が、奥の祭壇の前で関係者と打ち合わせをしており、突然の騒ぎに気がついてくれた。
「こらっ!やめろ!消えろ!」
黒い煙を吹き払おうと身体を動かしてるが、煙は一向に動きを止めず、わたしの足に絡みつこうとしてくる。
「博之くん!どうした?」
妙な動きをしている兄の姿に、ただごとではないと判断したのか、貴敏がこちらへやってくる。
痛む足をかばいながら逃げようとしたが、うまく動けずに並んでいた来客用の組み立て椅子にぶつかって、よろけてしまった。
そして、その瞬間、パン!!と音を立てて、部屋の照明の一つが突然破裂した!
破片が、身体に降りかかってくる。
「きゃっ!」
ガラス片が頬をかすめ、小さな傷から血が滲む。
ほんの一瞬、沈黙が辺りを包んだ。
思わず閉じていた瞳を開くと、天井に大きな黒い煙が轟々と低いうなりをあげて蠢いていた。
小さな稲光が発光した瞬間、それはそのまま空間の亀裂に吸い込まれて、黒い煙は消えてしまった。
足下にいた小さな黒い煙も、その瞬間消滅して消えてしまった。
騒ぎを聞きつけた親族たちは、控え室からみんな出てきた。
「どうした!?」
「なんだ、なんだ!?」
思い思いの言葉を口にして、ホールへと駆け寄ってきた。
わたしは突然起きた出来事に整理がつかず、頭が混乱してしまい、意識が遠のいていった。
薄く開けた瞳から、兄の顔がうっすらと浮かび、その顔はまるでわたしの天使のように見えた。
こんな風景、前に一度見た記憶がある……。
咄嗟にそんなことを考えたが、おぼろげで曖昧な記憶のまま、思考が閉じてしまった……。
薄れゆく記憶の中、只々わたしを呼ぶ声が遠くに響き、わたしは暗闇に飲み込まれてしまった……。
「亜梨子!?亜梨子!?」
博之は亜梨子の身体を両手で支え、必死に呼びかける。
しかし、亜梨子の身体はぐったりした状態で、意識を失ったようだ。
「どうした?いまの音は……」
母の弟・文哉が先に駆けつけ、そしてすぐに状況を把握した。
倒れている亜梨子を見て叫んだ。
「博之くん!どうした?亜梨子ちゃんは!?」
凪咲はすぐに亜梨子に近づき必死に叫ぶ。
「亜梨子ちゃん!」
他の親族たちは、みな遠巻きに見守り立っていた。
そして、タイミングが悪く、参列者が集まり始めてきてしまった。
受付に数人並び始め、急いで加世子は受付を始める。
「なにやってんの!? ほら!早く救急車呼びなさい!!」
そして、遅れてカノ子が登場した。
遅くに現れた瞬間、罵声を浴びせる。
カノ子の定番なのだろうか?
事務員の人たちは慌てて返事すると、事務室へ戻っていった。
相変わらずの迫力である。
貴敏はすぐに駆け寄ってきたが、割れた照明と破片を交互に見比べると、不思議そうに亜梨子を眺めた。
「あれっ……?」
気がつくとわたしは真っ白の場所にいた。
なにもかもが白く、景色は遠くまで続き、どこまでも広がる地平に、目眩を覚える。
わたしは真っ白で汚れのないワンピースを着て、どこへ向かうともなく歩いていた。
そしてなぜか、裸足だった。
足の裏に感じる感覚は、大理石のように冷たくて、ほのかに暖かさを感じる、なんとも言えない感触だった。
「いたっ!?」
包帯を巻いた左足が痛む。
「ここは……?」
きょろきょろと周りを見渡すが、なにもなく白い。
その景色はどこまでも遠くまで広がっていた。
そして、地平の境界線の上に広がる鮮やかな青い空がとても美しかった。
しばらく空を眺めると、なんか穏やかな気持ちが身体を包み込む。
なんてすがすがしい気持ちなんだろう?
現実世界とは違い、黒い部分が何一つなくまっさらな空間。
ここはわたしの居場所のような気がした。
…………続く
