【毒母】「私の子だもん!」が苦しかった
帰省すると、誰かしらに声をかけてもらう。
小さな地域だから、
昔から私たちを知っている人も多い。
「立派に育ったね」
「いい女の子になってぇ〜」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しいし、
感謝しかない。
でも、その時の母の言葉だけは
どうしても引っかかる。
「私の子だもん!」
「これ、私の子!」
「立派になったでしょー!」
何気ない会話だと分かっている。
親として誇らしい気持ちもあるのだろう。
それでも私は、
その言葉を聞くたびにモヤモヤしてしまう。
自分が育てたみたいに言わないでほしい。
私は母に育てられたとは思っていない。
私を育ててくれたのは環境だ。
おじいちゃん、おばあちゃん。
友達やそのお母さん。
先生。
地域の人たち。
親戚。
たくさんの人たちが手を差し伸べてくれたから、
私たちは大人になることができた。
もし母が実家に戻っていなかったら。
もし周りの大人たちが見守ってくれなかったら。
私たちには全く違う未来が待っていたかもしれない。
事情を知っている人たちは、
「よく真っ直ぐ育ったよね」
と言ってくれる。
その言葉は嬉しい。
だって私たち自身もそう思うから。
よくここまで生きてきた。
変な道に進まずに済んだ。
たくさん傷ついて、
たくさん悩んで、
それでも前を向いて生きてきた。
私も妹も頑張った。
だから母が誇らしそうに
「私の子だもん!」
と言うたびに、
少しだけ苦しくなる。
母がすごかったわけじゃない。
私たちを支えてくれた人たちがいた。
そして何より、
私たち自身も必死に生きてきた。
その時間まで、
母の手柄にされてしまう気がするから。
だから調子に乗った母は苦手だ。
でも本当は、
母が嫌いだからじゃない。
私たちがここまで生きてこられた理由を、
勝手に一人の功績にしてほしくないだけだ。
母との話をまとめています
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