【連載小説・ページをめくるたび】第1話:サクラ・ディフレクション
【創作大賞2026 #エンタメ原作部門 応募作品】
空手の「剛」と体操の「柔」。二つの道を往く少女が、まだ見ぬ空を掴む物語。
四月の風は、期待と不安を煮詰めたような、少し鼻の奥がツンとする匂いがした。
川崎市立千年中学校。その校門をくぐった高橋彩夏の体には、新調したばかりの紺の制服が、まるで借り物の鎧みたいに重たくまとわりついていた 。
「高橋彩夏、今日から中学生……か。よしっ!」
気合を入れるように、小さく拳を握る。彩夏の将来の夢はアクション女優だ 。小一の時にテレビで見た一ノ瀬隼さんの、あの重力を無視したような華麗な動き。それを自分のものにするための三年間が、今ここから始まる 。
空から降ってくる桜の花びらは、彩夏にはただの情緒的な風景には見えなかった。それは空手の組手で飛んでくる突きや蹴り、あるいは回避すべき無数のピンクの弾丸だ 。彼女は無意識に、その「弾丸」をかわすように身を翻しながら、体育館へと向かった。
彩夏の回想メモ
「真っさらな上履きの白さが、なんだか自分だけ浮いているみたいで怖かった。でも、この靴を汚した数だけ、私は強くなれるのかな」(入学式の日の走り書き)
式典は、西原愛先生の明るい声と、校長先生の熱血なスピーチであっという間に過ぎていった 。その後、新しい教科書を受け取るために向かった図書室。そこは、外の騒がしさが嘘のように、静謐なインクと紙の匂いに支配されていた 。

そこで、彼女に出会った。
窓際の席で、山積みの教科書の隣、一冊の薄い本を食い入るように見つめている少女。 彼女の周囲だけ、時間が止まっているみたいだった。彫刻のような静けさを纏ったその横顔に、私はなぜか目を逸らせなくなった。
「あの……そこ、教科書の配布場所、だよね?」
声をかけると、彼女は驚いたように肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。穏やかで、でもどこか吸い込まれそうな深い瞳。それが、水原詩織との最初の視線交差だった 。
「あ……ごめんなさい。つい、ページをめくる手が止まらなくて」
詩織が控えめに、でもどこか誇らしげに見せてくれたのは、一冊の詩集だった 。
アクションと詩。
あまりに正反対な私たちを繋いだのは、春の光の中に舞う、一筋の静かな埃だった。
(つづく)
