【旅】人はなぜ旅をするのか。私が一人で空港に向かう朝の話。

はじめましての方、再訪してくださっている方、
ただ偶然に訪れて下さった方、
目を止めて下さりありがとうございます。
会社員をしながら自分のやりたい、行きたいを少しずつ叶えています。
昔は人とくらべていた。
でも、だって・・・。
今は小さな願望を少しずつ叶えていっぽいっぽ前に進んでいます。
この記事は私の旅への思いを記事にしました。
共感してもらえたら嬉しいです❤️
素敵な絵は いっぽびとさんから制作いただきました。
ご縁に心から感謝しております!
チェックインカウンターに並びながら、
ふと気づく。
私はいま、笑っている。
スーツケースを転がして、
ただ前を向いて歩いている。
それだけのことで胸の奥がじわっと温かくなる。
これはどういう感情だろう。
解放感? 罪悪感の裏返し?
それとも、もっと根っこにある、何か?
旅に出るたび私はこの問いを引きずっている。
人はなぜ旅をするのか。
哲学者たちは言う。
人間は本来「動物」であり、
定住は文明がもたらした「不自然な状態」だと。
アリストテレスは「人間は本性的にポリス的動物」と言ったが、
それよりずっと前、私たちの祖先は移動することで生きていた。
旅とは、ひょっとしたら
「本来の自分に戻る行為」なのかもしれない。
けれど・・・
月曜の朝にはまた会議がある。
締め切りがある。
チームがいる。
家族がいる、パートナーがいる。
それでも旅に出たくなるのは、なぜなのか。
この記事は、そんな問いを長年抱えてきた
40代・50代の「働くあなた」へ書きました。
■ はじめに—noteで読まれるクリエイターに学ぶ「共感される言葉」の作り方
まずひとつ、告白させてください。
この記事を書くにあたって、
noteで数万〜数十万スキを集めているクリエイターさんたちの記事を丹念に読んでみました。
みなさんに共通することがあります。
「等身大の正直さ」と「問いを手放さないこと」。
共感されるnote記事は、答えを提供しない。
読み手の心の中にある「言語化できていなかった何か」を、
ことばにしてあげる。
それだけで、人は「スキ」を押す。
「コメントを書く」、「フォローする」。
だから私もそうします。
noteの旅、その旅に彩りを与えてくれる仲間の スキ コメント
答えは出しません。
でも、あなたの中にある感覚を
少しだけ輪郭のはっきりしたものにしていただきたい。
その外輪が少しずつ明度を増していくといいな、という思いを込めて。
その一点のために この記事を書きます。
■ 会社員であること、自分であること—この二つを両立できると思っていなかった
私が初めて一人で海外に行ったのは20代でした。
それまで旅はいつも「誰かと一緒」だった。
家族旅行、友人旅行、夫婦旅行。
旅先でも「みんなが楽しいか」を先に気にしていた。
10代はアメリカホームステイなんてベタな夏休みを過ごしたりもしましたがみんなと一緒。
食べたいものより、メンバーが食べやすいものを選んでいた。
ある朝、鏡を見ながら思った。
私って、何が好きなんだろう。
仕事はそれなりにできる。
後輩もいる。
実績もある。
でも「自分が何に感動するか」を、
ずいぶん長いあいだ後回しにしてきた気がした。
会社員という肩書きは、ある種の「鎧」です。
組織の中にいると「自分の感情」より「最適解」を選ぶ癖がつく。
会議での発言も、評価されるかどうかで
フィルタリングする。
気づけば、プライベートでも同じことをしている。
旅に出ようと思ったのは、
そんな「鎧を脱ぐ練習」をしたかったからかもしれません。
でも最初は、なかなか決断できなかった。
「一人で行くなんて寂しくない?」
「何かあったら困るでしょ」
「せっかくならみんなで行こうよ」
そういう声は、外からじゃなくて自分の中から
聞こえてくるものでした。
■ パートナーのお見送り—愛情と自由は矛盾しない
スーツケースを準備して整えている私に
パートナーが「気をつけてね」と言う。
それだけ。
それだけで十分だと気づくのに何年もかかった。
「なんで一人で行くの」と言わない人と生きていることの、静かな幸福。
一人旅のお陰でパートナーとの関係が不思議と
深まった気がします。
空港に見送りに来てくれるパートナー。
一緒に行かないけどなんて愛が溢れているんだろう。
そしてもっと言いたいことは自分と繋がっていられる余白を許して私を信頼してくれている気がしていること。
依存していた部分が自立に変わって対等な感じがしてきた。
「あなたがいなければ何もできない」ではなく、
「あなたと一緒にいることを、私は選んでいる」という感覚。
それはきっと、旅が教えてくれたことのひとつ。
お見送りをする側も、される側も、それぞれの時間を持つ。
バラバラに生きているようで、また帰ってきたときに
「会いたかった」が生まれる。
旅は、関係性を試すのではなく育てるものだと
思っています。
その違った時間軸さえ愛おしい、私はそう思うのです。
■ 旅とはアウトプットである—インプットだと思っていた、あの頃の自分へ
「旅に行くと視野が広がるよね」という言葉を、私は長年信じていた。
でも今は違う見方をしています。
旅はインプットではなく、アウトプットだ、と。
どういうことか。
旅先では、日常の役割が剥ぎ取られます。
上司でもなく、妻でもなく、「誰かの母」でもない。
ただの「一人の人間」として見知らぬ場所に立つ。
そのとき初めて、自分の中にあったものが外に出てくる。
好奇心。
臆病さ。
美しいものへの欲望。
孤独への耐性。
言葉が通じない状況での底力。
他人への信頼の度合い。
これらは全部、もともと自分の中にあったもの。
旅はそれを「引き出す」装置として機能する。
パリのカフェで一人ぼんやりしながら、ふと涙が出てきたことがある。
何が悲しいわけでもない。
ただ、「ああ私、ちゃんと生きてたんだ」という
感覚が、どこかから溢れてきた。
あれは、何かを「インプット」した涙ではなかった。
自分の中にずっとあったものが、「出てきた」瞬間だったと思うのです。
私の自分史 悲しいパリストーリーは今後どこかで記事にしたいと思います。
▼ ここから先は有料記事です(100円)
旅のその先にあるもの
——気力・体力・やりたいことを、
自分の内側の声を聴きながら叶えていくプロセスを、
より具体的に書いています。
「40代・50代になってから、
どうやってやりたいことを叶えてきたか」
「内側の声を聴くとはどういうことか、その具体的な練習方法」
「旅の先に何を見たのか——私が見つけた、予想外の答え」
そして、あなたへの問いかけ。
ここまで無料で読んでくださったこと、
本当にありがとうございます。
続きは、100円という「旅の入場料」を払っていただいた方に
もう少し深いところで話したいと思います。
〈有料部分〉
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