【自己紹介】6年間完全不登校だった息子をきっかけに、私が「その子に合った接し方」にたどり着くまで
こんにちは。不登校専門カウンセラーさくらです。
このnoteを初めて読んでくださる親御さまへ。
ここでは、私がなぜ、不登校のお子さまには「みんな同じ接し方」ではなく、「その子に合った接し方」が大切だと考えるようになったのかを、お話しします。
それは、たくさんのお子さまと関わる中で、同じように接しても、お子さまによって反応がまったく違うことに気づいたからです。
私が不登校専門カウンセラーになったきっかけは、息子の不登校です。
息子は小学5年生から高校1年生まで、6年間、完全不登校でした。
私は名古屋在住で、元公務員です。
今でこそ、不登校の親御さまに、
「大丈夫ですよ。」
「お子さまは自分で動き出しますよ。」
とお伝えしていますが、息子が不登校になった当時の私は、とてもじゃないけど、そんな風には思えませんでした。
「どうしたら学校へ行くの?」
「このままで大丈夫なの?」
「勉強もしないで、この先どうなるの?」
明日が来るのが怖い。
「また学校に行かなかったらどうしよう。」
毎日、不安でいっぱいでした。
子どものためと思って、声をかける。
先回りする。学校の先生と協力して、何とか学校へ行かせようとする。
ゲームを欲しがれば、「このゲームを買ったら、学校に行くようになるかもしれない。」と買い与える。
でも、息子の要求がエスカレートすると、今度は、「学校にも行っていないのに、贅沢させたらいけない。」と小遣いを制限する。
親として、試行錯誤を繰り返しながら息子に振り回される日々でした。
すると、息子は親の目を盗んで家のお金を取るようになりました。
「こんな子に育てた覚えはない!」と大喧嘩になりました。
息子はどんどん話さなくなり、親子の会話もほとんどくなり、親子関係は悪化しました。
振り返れば、「息子のため。」
「学校に行ってくれるのなら。」と思いながら、不安だらけの私が安心したくて動いていたのもありました。
たくさん失敗しました。
「これは違うのかな。」
「じゃあ、どうしたらいいのだろう。」
悩み続けて、先が見えないまま、息子は中学3年を迎えました。
息子が自分から動いた日
息子の完全不登校は続いていました。
息子は学校を徹底的に嫌っていたので、私は学校に一切連絡をしていませんでした。
中学3年の秋が終わる頃、久しぶりに学校へ連絡すると、すでに私立高校の願書の締め切りが過ぎていました。息子は私立高校を受けることができませんでした。
「私が学校に連絡をしなかったせいで、息子の人生を狂わせてしまったかもしれない。」と、自分を責めました。
その後、先生から呼ばれ、息子と三者面談へ行きました。一度も袖を通していない、ちんちくりんになった制服を無理やり着せて、息子と学校へ行きました。
それだけでも私は、「よく頑張った。」と息子を褒めてあげたい気持ちでした。
でも、先生から出た最初の言葉は、
「勉強していますか?」でした。
うつむいた息子の手が震えていました。
息子には、行きたい公立高校がありました。でも先生からは、
「勉強をしていないのに、絶対受からない。」
と言われました。
私は、「もし不合格でも、学校の責任にはしません。全部、親の責任です。だから、この学校を受けさせてください。」とお願いしました。
それでも、息子は勉強を始めませんでした。
12月です。受験まで、もう時間がありません。「勉強しなくていいの?」
「受験するんでしょう?」
言いたくて仕方がありませんでした。
でも、言いませんでした。
ここで私が受験のことを言ったらおしまいだ。
今まで何度、親が先回りして墓穴を掘ってきたことか。
過去の苦い経験が役にたった時でした。
そして、お正月が明けた1月半ばごろ、息子が、ふと言ったのです。
「おっかぁ。どうやったら高校に合格するんだろう・・・」
驚きました。息子が、自分から動こうとしている。そこから家庭教師を探し、少しずつ勉強が始まりました。
そして息子は、志望校に合格しました。
「奇跡が起きた!」私は大喜びしました。
高校1年の4月。
「もう私は、不登校の親じゃない。」
そんな開放感でいっぱいでした。
ところが、ゴールデンウィークが明けると、息子は、
「もう学校には行かない。」と言いました。
「あんなに楽しそうに高校に行っていたのに・・・」
でも、それは私が、息子をそのように見ていただけだったのです。
高校に入って、たった1か月。二度目の不登校です。
私は、どん底に落ちました。なぜなら、受験というきっかけが、もう無いからです。
「この子は一生引きこもるのではないだろうか。」
不安しかなくて、息子と大喧嘩をしました。
修羅場のような時間を過ごす中で、やっと気づいたことがありました。
息子も息子なりに、苦しみながら一生懸命頑張ろうとしていたのだ。
それがわかったとき、「もう息子には何も言うまい。」と思いました。
学校に行かなくてもいい。ここにいてくれるだけでいい。
私は、息子と一緒にいる生活を受け入れました。
それから約半年後。息子が突然、
「今日、学校に行ってきた。」
と私に報告してくれました。
そして、その日をきっかけに、6年間の不登校が終わりました。
もちろん、それですべてが解決したわけではありません。
その後もいろいろなことがありました。
それでも息子は、自分のペースで一つずつ歩いていきました。
洋楽が好きで英語に興味を持ち、自分なりに勉強もしていたようです。
高校、大学へ進みました。TOEICは980点を取り、就職。
現在は海外赴任6年目になり、2026年には結婚しました。
あの頃の私に今の息子の姿を見せても、きっと信じられなかったと思います。
もちろん、子どもが歩いていく道は一人ひとり違います。
不登校の真っただ中にいると、今の子どもの姿がずっと続くように感じます。
でも、今はずっと続きません。
子どもは、自分のタイミングで動き出します。
私が孤独だったから、親御さまを一人にしたくなかった
ここからは、私の話です。
息子が高校へ行くようになってから、
「どうやって息子さんは不登校から脱出したの?」
と聞かれるようになり、仕事の合間にアメブロを書き始めました。
私自身、息子が不登校だった頃は、とても孤独でした。
誰にも苦しい気持ちをわかってもらえない。
誰に話したらいいのかもわからない。
息子の話を誰かにしても、返ってくるのは同情やアドバイス。
「こんな思いをするなら、話をしなければよかった。」
と悔やむことも何度もありました。
だから、不登校で悩んでいる親御さまには、
「一人じゃないよ。」
と感じてほしかったのです。
少しずつブログを読んでくださる方が増え、不登校で悩む親御さまと会って話をするようになりました。
当時の私はフルタイムで仕事をしていました。
平日は働き、週末に親御さまの相談を受ける。
多い日は、1日に4人の親御さまとお話ししたこともあります。
名古屋を中心に、北海道から九州、北陸まで足を運び、コロナ禍までにランチ会や親の集まりを60回以上開催しました。
それを13年間、完全ボランティアで続けました。
いろいろな親御さま、お子さまと出会いました。
仕事もあり、夫の交通事故や母の介護もあって、すごく忙しかったけれど、今の私にとって、この13年間はかけがえのない財産になりました。
「私はこうだった」だけではいけない
息子が高校に行き始めた頃の私は、息子の経験をもとに親御さまにお話ししていました。
ゲームばかりする。昼夜逆転がよくならない。そんなお話を聞くと、息子と似たような話もたくさんありました。
「うちの息子はこうだったよ。」
私は、自分の経験を伝えることが、親御さまの役に立つと思っていました。
でも、たくさんの親御さまの相談を受けるうちに、
「自分の話ばかりしていていいのだろうか。」
と思うようになりました。
親御さまのお話を、きちんと聞ける人になりたい。
そう思い、心理学を学び、先生について傾聴を学びました。
そして、カウンセラーとしての資格を取りました。
傾聴ができるようになってからは、親御さまから、「話を聞いてほしい」というご相談が以前より増えたことを実感しました。
まだ、コロナ禍前でオンラインがなく、対面ばかりでしたが、「学んでよかった。」と心から思いました。
ずっと感じていた「何か違う」
たくさんの親御さま、お子さまと関わる中で、もう一つ、なんとなく感じていたことがありました。
同じ不登校なのに、うちの息子と相談者のお子さまは何かが違う。
同じような悩みでも、同じように接して、うまくいく子もいれば、うまくいかない子もいる。
「子どもによって違うのかもしれない。」
でも、その違いが何なのか、私にはまだわかりませんでした。
そんなとき、ある出来事がありました。
「僕のこと嫌いになったの?」
息子は不登校の頃、ほとんど話をしない子でした。
そこで、あるお母さまに、
「うちの息子は親が話しかけても全然しゃべらないし、かえって険悪になったから、子どもにはあまり話しかけないほうがいいよ。」
とお伝えしました。
すると、しばらくして、そのお母さまから相談がありました。
お子さまから、
「お母さん、最近、僕に話しかけなくなったけど、僕のこと嫌いになったの?」
「僕は見捨てられたの?」
と言われたというのです。
私は驚きました。
「えっ、そんなふうに受け取る子がいるの?」
それまで、なんとなく感じていた、
「子どもによって違うのかもしれない。」
ということが、「ああ、これだったのか」と、はっきりしました。
息子に合った接し方が、ほかのお子さまにも合うわけではない。
自分と息子の経験だけで、
「不登校なら、こうしたほうがいい。」「私はこうしたよ」と伝えてはいけない。
息子の不登校の経験が、そのまま「不登校の経験」だと思い込んでいた私は、大きな衝撃を受けました。
「人って、こんなに違うんだ」
人の違いをもっと知りたい。
そう思い、私はプロファイリング分析を学びました。
ちょうどコロナ禍で対面のカウンセリングができなかった頃、オンラインで学ぶことができました。
すると、それまで私の中でしっくりこなかったことが、一つずつ理解できるようになりました。
「人って、こんなに違うんだ。」子どもの違いが明確にわかるようになり、本当に驚きました。
これが私の大きな転機になりました。
親御さまのお話を聞くときの見方も変わりました。
「不登校だから、こうしたほうがいい。」
ではなく、「このお子さまの場合は、どうなんだろう。」と考えられるようになりました。
同じ「学校へ行きたくない」という言葉でも、その子によって違います。
同じ「ほっといて」という言葉でも、その子によって受け取り方や親との距離の取り方は違います。
だから、誰かに合った接し方を、そのまま我が子に当てはめるのではなく、その子を見ていくことが大切なのです。
今は、親御さまのお話を聞きながら、お子さまの性質や特性も見て、その子に合った具体的な接し方をお伝えしています。
また、まずは自分の気持ちを話したい、不安が強い親御さまもいれば、
「我が子には、具体的にどうしたらいい?」と接し方を知りたい親御さまもいます。
親御さまも一人ひとり違います。
その方が今、何に困っているのかを大切にしながら、サポートしています。
息子の不登校から始まり、これまで17年間、不登校の親御さま、お子さまと関わってきました。
ご相談は、対面で600名以上。オンライン、メッセージを含め3万件以上になります。
息子の不登校。13年間のボランティア。傾聴。たくさんのお子さまとの出会い。そして、プロファイリング分析。すべてが、今の私の支援につながっています。
「我が子にはどうしたらいい?」がわかるように
お子さまが不登校になると、本当にいろいろなことで迷います。
ゲームは制限したほうがいい?
お風呂に入らないときは声をかけたほうがいい?
昼夜逆転は、なおしたほうがいい?
話してくれないとき、どうやって話しかける?
ネットや本で調べると、
「無理に学校に行かせなくてもいい」「見守りましょう。」「子どもを信じましょう。」いろいろな情報が出てきます。
でも、「それはわかったけど、我が子にはどうしたらいいの?」
と迷うことはありませんか?
私自身が、息子の不登校で無数に迷って悩んできました。
そして、たくさんのお子さまを見て、親御さまと関わってきたからこそ、
「どうしたらいい?」という一般論だけでは足りないと感じています。
大切なのは、「我が子にはどうしたらいい?」です。
このnoteでは、一つの記事で一つの悩みを取り上げながら、できるだけ具体的にお伝えしていきます。
「では、うちの子の場合はどうなの?」
そこまで考えられる場所にしていきます。
「このままでいいのかな?」
「私の接し方、間違っていないかな?」
そんなふうに迷ったときに、
「あ、ここを見てみよう。」
と思ってもらえるとうれしいです。
その子に合った接し方がわかると、親の迷いは減ります。
不登校の正解を、誰かの成功事例の中に探しに行かなくていい。
目の前のお子さまを見ながら、わが家の答えを見つけていけばいいのです。
これから、このnoteで一つずつお伝えしていきますね。
いつもあなたを応援しています。
さくら
