陸軍歩兵大尉・戦車長 西住小次郎

『今も変わらぬ愛と誠』
風薫る新緑のころに毎年、西住戦車長の慰霊祭がとり行われる。終戦60年の今年は,慰霊顕彰も68回を迎えた。生誕の地、甲佐町大字似田子に立派な西住戦車長碑があり、顕彰保存会(会長 田副敏郎氏)の熱心な支えが今日につながっている。国に殉じた郷土の誇りある偉人に対する敬虔な祭祀、変わらぬ姿は見事である。
『二十五で散りし胸像基台の碑文』
「陸軍歩兵大尉西住小次郎ハ甲佐町似田子ノ人 性寡黙沈勇ニシテ面モ明朗義務心厚ク孝心殊ニ深ク弟妹ヲ慈シミ又事ニ当ルヤ進ンデ難局ニ当ルノ気概ガアッタ 昭和九年六月陸軍士官学校ヲ卒業宇都宮歩兵第五十九連隊附トナリ 同年十月歩兵少尉ニ任官 満州事変ニ参加 昭和十一年一月ヨリ戦車操縦ヲ修行シ 同年八月久留米戦車第一連隊附ニ転ジ中尉ニ進級シタ 昭和十二年七月日華事変起ルヤ上海派遣軍ニ属シ 九月上旬呉淞ニ上陸シ 宝山城月浦鎮羅店鎮大場鎮ニ力戦奮闘蘇州河ニ進出 反転シテ南翔ヲ屠リ南京攻略戦ニ参加 更ニ徐州ニ向ヒ進撃中 昭和十三年五月十七日 宿県南方黄大庄付近ニ於テ『クリーク』ニ遭遇戦車ヲ出テ渡河点ヲ偵察 攻撃中ノ中隊長ニ意見具申ニ赴カントスル刹那 右大腿部ニ重傷ヲ受ケ護送中戦車内ニ於テ護国ノ神トナル 以上真ニ鬼神ヲ泣カシムル大尉ノ行動ハ将ニ軍人ノ亀鑑ト云フベク 茲ニ顕彰碑ヲ建テ後世ニ伝ヘントス」と碑文に刻まれている。
西住戦車長の武勳は誠に抜群であったが、こればかりで軍神とまで讃えられたのでは決してなかった。むしろこの若い将校の人となり、特に、菊池24代に亘る勤王の精神に培われた誠忠無比の純真さと時と所とを問わず、自己を陶冶し常日頃の修養を怠らず、正しい道をふみ、軍人としての本分をつくすのみならず、孝心篤く、朋友、部下の信頼を受け、人間愛に富み、しかも為すべきことをなし従容として死に就いた25歳の青年西住に軍神たるの真価を見出すのである。
碑文の意訳
「陸軍歩兵大尉 西住小次郎は熊本県上益城郡甲佐町似田子の人。性は寡黙沈勇にして、面も明朗。義務心が厚く、孝心は殊に深く、弟妹を慈しみ、また事に当るや進んで難局に当るの気概があった。昭和9年6月、陸軍士官学校を卒業。宇都宮歩兵第59連隊附となり、同年10月、歩兵少尉に任官。満州事変に参加。昭和11年1月より戦車操縦を修行し、同年8月、久留米戦車第一連隊附に転じ中尉に進級した。昭和12年7月、日華事変が起るや上海派遣軍に属し、9月上旬、呉淞に上陸し、宝山城、月浦鎮、羅店鎮、大場鎮に力戦奮闘、蘇州河に進出。反転して南翔を屠り南京攻略戦に参加。更に徐州に向い進撃中、昭和13年5月17日、宿県の南方、黄大庄付近に於て『クリーク(小川、堀)』に遭遇。戦車を出て渡河点を偵察。攻撃中の中隊長に意見具申に赴かんとする刹那、右大腿部に重傷を受け、護送中の戦車内に於て護国の神となる。以上、真に鬼神を泣かしむる大尉の行動は、将に軍人の亀鑑(手本、見本)というべく、ここに顕彰碑を建て後世に伝えんとす。」
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