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メタバースで「役割」を脱ぐ

こんにちは、さくらこです。

先日、Xでこんなポストをしたところ、思った以上に反応があったので、このことについて書いてみようと思います。

きっかけは「最近男性アバターを使っていないのは、日中で成人男性パワーを使い果たしているからだ」というポストを目にしたことでした。

わたしは女性ですが、わかるな~と共感するところがあったので上記のポストをしたところ、「わかる」「マジでこれ」「俺は人間パワーを使い果たして猫になっている」などの反応がありました。

この反応を見るに、メタバースの魅力のひとつに「役割を脱ぐことができる」という部分があるのではないかと思います。

社会を生きているときの「役割」

Xでは男女の対立が話題になることがままありますが、男性も女性も両方、それぞれに社会で生きているときに感じるプレッシャーがあるのだと思っています。

みんなそれぞれにその時に求められる「男性らしさ」「女性らしさ」あるいは「人間らしさ」に応えようという気持ちを持っていたり、または「そうせざるを得ない」と感じていたり。

その方がスムーズに社会が回るんだ、とか、そうした方が自分のやりたいことが叶えやすいから、とか、様々な理由でこのプレッシャーとともに生きているのだと思います。

このプレッシャーをきれいさっぱり消すことは、現代社会ではなかなか難しいことでしょう。
どうしても長年これでやってきてしまいましたから、親しくない人間同士が何かをやる場合のひとつの指標として「男性らしさ」「女性らしさ」「人間らしさ」みたいなものが用いられてしまいます。

けれど、それを一旦横に置ける場所があるとしたら?
わたしはそれこそが、メタバースという場所なのではないかと思います。

無意識下に感じる期待値

わたしは成人女性なので、普段過ごしていて「女性らしい優しさ」とか、「落ち着いた大人の対応」などを期待されていると感じるシーンがあります。
メタバースにおいてもこれは同じであることがあって、わたしを「優しい大人のお姉さん」だと思っている人からは、そのような役割を期待されているんだなと感じることがあります。

メインで使っているアバター(ポンデロニウム研究所様「桔梗」)

ですが……実は、大人のお姉さんだからといって、いつもいつでも人に優しくできるとは限りません!!衝撃の事実!!

でも、大人のお姉さんの姿を取っていると「優しさ」「穏やかさ」を期待されているなと感じることがめちゃくちゃ多いです。
これ自体は「優しい対応ができそう」「穏やかに会話ができそう」と感じてくれている評価でもあるので嬉しいことではあるのですが、この期待が少々重たいなと感じる日もあるわけです。

重たいなと感じる日は、「大人のお姉さん」以外の姿を取ります。
それは「わたしが考えた最強のイケメン」であったり、「小さくてかわいらしい少女」であったり、「ふわふわの毛玉」であったり、いろいろです。

これはわたしが考えた最強のイケメン(ひゅうがなつみかん様「碼希」)

とにかく、期待されているものとは違う姿を取ると、不思議なことに周囲から感じるプレッシャーもフラットになっていくのです。
「大人のお姉さんだから当然優しいだろう」みたいな期待をされているな、という感覚がかなり少なくなります。

期待されているものが重たいとき、それとはズレた姿を取ることで、いつも感じているプレッシャーを一旦横に置く。
アバターを自由に着替えられるメタバースでなら、それができるのです。

これは「男性らしさ」「人間らしさ」の部分でも、同じような効力を発揮しているのではないかと思います。

母と妻以外になりたくなった日

そもそもわたしがVtuberわたあめ子を始めた動機のひとつが、この「役割を脱げる場所を求めて」です。

わたあめ子のデビュー当時、わたしにとってはちょうど娘が小学校に上がったタイミングでした。
わたしは結婚を機に県をまたいで引っ越しをしており、そのため今まで遊んでいた友人などと気軽に会うことができなくなっていました。
リアル世界での人との関わりが苦手で、新たに友人を作るということもなかなか難しく、引っ越して以降のわたしの人生はほとんどが「妻として」「母として」「嫁として」という感じで「誰かにとっての○○」みたいな役割が振られているような感じでした。

母でも妻でもない、ただのわたしになりたい!

これは結婚や出産を経験した、多くの女性がぶつかる壁なのではないでしょうか。
そういう意味で女性の社会進出などはとてもいいことだなと個人的には思っていますが、わたしにとってはそれが社会進出ではなくてVtuberになることだったり、メタバースで交流をすることだったわけです。
見ようによってはこれも社会進出かなとも思います。

わたしにとって、まさにメタバースは「ただのわたし」を取り戻すためのステップを踏ませてくれた場所でした。

Vtuberは「母」や「妻」を脱ぐことができたので、その意味では自由に振舞うことができ、とても解放感がありました。
が、これはこれで「わたあめ子はこんなことしない!!」というキャラクターへの解釈で、もともと好きだった自分の趣味が楽しめなくなってしまったりもしました。

なので、「わたあめ子はしないけれどわたし個人は好きなこと、やりたいこと」をやるためにさくらことして分裂し……といういきさつで、なんだか一周まわったなという感じがしています。

結局「女性」であることも、「母」や「妻」であることも確かにわたしの一部で、切り離したりなくしたりすることはできないんだと思います。
だからこそ、メタバースでできる「一時的に役割を脱ぐ」「一旦横に置く」という方法は、自分のバランスを大きく崩さずにできる気分転換なのだと思います。

パワーを使い果たした日も、自分らしく

一日を過ごす中で、成人女性パワーを使い果たしても、成人男性パワーを使い果たしても、あるいは人間パワーを使い果たした日も。

メタバースにおいては、自分とは逆の性別になったり、ねこちゃんなどの動物として在ったり、あるいは道端の小石として過ごすなど、無限の選択肢があります。
かっこいいロボになってもよいし、ルンバになって部屋を徘徊してもいい。

人の形を保てない日も、無機物としてならみんなの楽しそうな様子を眺めたりできるかもしれない。
そんなたくさんの選択肢がある自由こそが、わたしがメタバースをこんなにも楽しんでしまう理由のひとつなのだと、そう思います。

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