☆【小説】「龍と空色の歌」第6話【創作大賞2025応募】006
第六話 裏切り
そうだ、電話をしよう。墨絵はバックからスマートフォンを取り出し、手に握り締め周りを見回した。店内には墨絵のテーブル以外誰もいない。社長はどうぞ、という仕草で促す。主任が会社にまだいるはずだ。そして直ぐに出るはずだ。墨絵の帰りを待っていてくれるはずだ。
「きっと電話に出やしないわよ。サラリーマンってどうしてああなのかしらね。説明出来ないことがあるとダンマリよ」
墨絵は社長の言葉も耳に入らない。正確には半分聞こえたのでムッとした。
コールを十回しても出ない。いったいどうしたんだろう。まだ夕方の五時過ぎだ。それに会社に誰もいないなんてありえない。
墨絵には全く理解できない話になってきた。
会社が突然消えて無くなってしまったかのようだ。会社にもう戻らなくても良いですって? ダンマリって何よ。説明もしないだなんて。番号違いではないかと確かめてもう一度かけてみる。今度も出ない。
墨絵はがっかりした気持ちに加えて悔しさがこみ上げてきた。
社長の顔を見ないようにスマートフォンをテーブルの下で両手で包み込むように握り直し、うつむき、見つめていた。悔しさが悲しさに変わりそうだ。
「永遠に話し中よ。おそらく」
その声に、はっとして墨絵は社長の顔を見つめてしまった。
社長は墨絵ににっこりと微笑んだ。
「電話くらい出ればいいのに。なんで男ってそうなのかなあ。あなたの上司は社長から金輪際あなたと話をしてはいけない。とでも言われたんでしょうね。真面目な主任さんね」 ちょっと待って。何で私が電話をかけた先が「主任」だって知っているの? 墨絵は社長の顔を見つめ直した。
いや、睨んでいた、はずだ。さすがに愛想の良い墨絵でも、きっと。
社長はそんな墨絵にかまわずにしゃべり出した。
「実は、先月まで他の子にお願いしてたんだけどバックレられちゃって。渡した契約金が高すぎたのかなぁ、そのお金で海外逃亡よ。逃亡といっても旅行に行ってそれっきり。たまんないわ、最近の若い子って義理も恩もあったもんじゃない」
待って本当に。なんで、なんで、私が主任に電話をかけたってわかるの?主任のことを知っているの?社長の話はそっちのけだ。社長はさらに続ける。
「……それで、昔の知り合いに頼んで候補を紹介してもらったの。その候補の中から柏木があなたを選んだ、ってわけ」
社長は柏木の方を見た。
「あの男見覚えないかしら、どうやったのか営業か何かのふりして一度あなたの会社であなたと話をしているはず──」
柏木は店のカウンターに座り、店員と話をしている。
「主任さんのことはあなたの会社から話を聞いただけよ。安心して」
墨絵があまりにも無反応だったためか社長が付け足した。全く納得はできない。混乱する情報ばかりだ。
仕方がなく墨絵は柏木を見つめた。この状況を理解する足しになるだろうか。
会社に出入りする人間は多い。なかなか端正な顔立ちをしている。どちらかというといい男だ。上品な感じの顔立ちだ。急に腕を掴まれたので驚いて顔をよく見ていなかった。でも、こんな男にあっていたら、きっと覚えている。そう墨絵が確信するくらいにはいい男だ。だが、どうしても初対面としか思えない。覚えていない。でも、そういえば懐かしい気もする。どうしてだろう。
「会ったことはないです」
「そう」
社長は柏木の方に向かって叫んだ。
「柏木、あなた面接さぼったの?」柏木はこっちを振り向いて「はあ?」という顔をしている。墨絵は柏木の方をぽかんと見つめたままだった。
「とぼけてるわね。完全に。あなた、あの男の面接受けてないでしょ」
「だから、会ったことはないですね。見たこともないと思います」
面接の話なんてどうだっていい。それに本人の意思も確認せず、勝手に連れて来て、面接を受ける義務が私にあるとは思えない。客観的な墨絵もそれには賛成だと言うと思う。
墨絵を見つめていた社長は、ま、いいかというような表情になった。
「ここにあなたがいてくれるだけでいいことにしましょう」
少し間を置いて社長は続ける。
「本当は柏木が面接をするのよ。その候補の性格やミッションの遂行能力を判断するの。でも面接をしないで決めるなんてどういうことかしら。私よりずっと慎重なはずなのに」
社長の冷静な表情に困惑の色が滲む。
墨絵は自分の話をしたい気分になった。そうだ、私にも主張させて欲しい。
「主任は、私の主任はいい人なんです。仕事で失敗する私にも優しく接してくれて」
なぜだかわからないけど何か話をしないと本当に主任がだんまりをして墨絵を裏切っている気になりそうだった。墨絵がいかに苦労して今の職場で自分の存在意義を確立しようと頑張ったか、それを傍で見ていてくれた。信頼していた主任。家族にもこんな話をしたことがない。始めてだ。そんな主任が私からの電話に出ないわけがない。
「そうね、墨絵さんに大変お優しい主任殿も結局はただのサラリーマンだったわけね。私の聞いたところでは、あなたの会社の社長の一言で、あなたのことを直ぐに放り出したらしいわよ。」
え、放り出したって? 墨絵は目眩がして来た。客観的な墨絵が飛び出して来た。「ほうら、やっぱり。変な会社にアポとるからよ。ひどい目にあってるじゃない」
社長は墨絵の動揺もかまわず続ける。
「あなたの大事な主任殿に、あなたの社長さんはこういったのよ。『君のボーナスを増やしておくから、何も言わずに認めて欲しい。君も彼女の融通が効かないところに辟易していたと聞いている』と。彼女からアクセスがあっても話をしてはいけない、と伝えたって話よ。ちょっとお伝えするのが辛いけど」
墨絵を見つめていた社長は、グラスの縁を人差指で触りながら続けた。
「自分の財布の中身のことしか心配しない薄っぺらい男が増えたわけよ。あなたの大事な主任さんは直ぐに了解したと聞いているわ。ま、あなたの主任さんも、会社も、本当のあなたのことなんて理解しようとせず、決めつけて判断した」
社長の話にはさりげなく、墨絵にとってはとてつもなく重要な情報が含まれていた。
主任が私を融通が効かないと思っている?
本当の話なのだろうか。信じられない。あんないい主任が。信頼していたのに。墨絵は心の中で叫んでいた。これは叫ぶしかない。わーっ。
「組織社会で部下にいい顔をする男は沢山いるわ。とっても沢山。最近は何かすると、なんちゃらハラスメントになっちゃうのかしら。でも、結局は自分の立場と自分の貰える金額のことしか考えていない。会社での自分の昇進の方が大事な部下の人生よりも大切な訳よ。そして、自分の上司からいつか自分が捨てられるんじゃないかと不安でたまらない。上司からのご褒美と部下の人生を天秤にかけて、結局、自分を、自分だけを守る道をとる」
なんだか頭に来る話の連続だ。
墨絵は思った。この社長は誰かに裏切られたのだろうか。だから卑屈になって、こんな事を言っているのじゃないのか?
私は裏切られた訳じゃない──
と、言い切れなくなって来た? うーん。
晴れきっていない墨絵の猜疑心とは裏腹に社長は機嫌良く酒を進めていった。
長いワイングラスに注がれていたのは日本酒だった。社長がお代わりを注文したときに茶色のボトルがテーブルに置かれていった。
クジラがラベルに描かれている。酔っているのか。
クジラの小さな瞳を見つめながら主任のこと、一緒に会社で仕事を教えてくれた同僚の男の子のことを墨絵は考えていた。
「その男は結局は、あなたを利用しただけなのかしら」と社長は言う。
男? 利用? 誰のこと? 主任? あの男の子?
何か喋らないとおかしくなりそうだ。
ここから先は
あなたのおかげで創作ができます。 ありがとうございます! 頂戴したチップはクリエイターとしての活動で大事に使わせていただきます。
