見出し画像

陽菜の物語 第3部 「プロフェッショナル編」 第22話

黄金色の休止符

【日時】 9月上旬。午前10時。
【場所】 佐久市内、黄金色の田んぼが広がる丘。  
【天気】 透き通るような秋晴れ。浅間山がくっきりと見える。

「陽菜さん、ちゃんと有給休暇を取りなさい。プロっていうのはね、自分の余白を管理できる人のことなんだよ。」
数日前、けにいにそう言われた時、陽菜は少し戸惑っていた。 ここのところ、正確な記録を書くことに必死だった陽菜にとって、名札を外した自分をどう過ごせばいいのか分からなくなっていたから。

そうして陽菜は今、愛用のギターを抱えて、独り丘の上に立っていた。 黄金色に色づき始めた稲穂が、風に揺れてサラサラと音を立てている。
(……歌わなきゃ。でも、何を?)
ベンチに座り、弦を弾いてみるけれど、指先がどこかぎこちない。
最近の陽菜の頭の中は、「この行動の根拠は?」「これは支援の成果か?」という理屈で埋め尽くされていた。 ポロン……。鳴らした音は、どこか正解を求めるような、硬い響きだった。

「……相変わらず、呼吸が浅いぞ。陽菜。」
不意に投げかけられた低い声に、陽菜は肩を跳ね上げた。 振り返ると、そこには使い込まれた一眼レフを首から下げた凌(りょう)がいた。陽菜に「世界を見る目」を教えた写真部の先輩であり、プロのフリーカメラマンだ。
「えええ〜っ!!凌先輩!? なんで佐久に……。」
「なんで、って仕事だよ。情報誌から『信州•佐久の秋』を撮ってくれっていうスポット依頼でな。そしたらこの辺に来るのは当たり前だろ。」

凌は無造作に陽菜の隣のベンチに腰を下ろした。 「さっきから見てたけど、お前の今の指、音楽を楽しんでるんじゃなくて、何かを計算してるみたいだったぞ。ピントが合ってないレンズで無理やりシャッターを切ってるみたいだ。
凌の言葉は、鋭いレンズのように陽菜の今の状態を射抜いた。
「……やっぱり、そう見えますか……私、ちゃんとやらなきゃって思えば思うほど、自分がどう歌いたいか分からなくなっちゃって。ミヤザワさんにも自分の感情でレンズを曇らせちゃいけないって言われちゃったし。」

その陽菜の言葉に、凌は考え込んでいるようだった。そして、しばらくして口を開いた。
「………いいか陽菜。鏡で例えてみろ。汚れた鏡には何も映らないけど、ピカピカに磨きすぎた鏡は、時として光を反射しすぎて相手の目を眩ませてしまうんだ。」
凌はカメラを構え、陽菜にレンズを向けた。
「お前が完璧なスタッフを演じようとすればするほど、相手はお前の顔色を見て、お前が欲しがる『正解の音』を鳴らそうとしちまうんじゃないか。それじゃあ、合奏なんてできないだろう?」
陽菜は、息が止まりそうになった。 自分が「五線譜」になろうと決めたあの決意。けれど、その五線譜が無機質な鉄の柵になってしまえば、メンバーという音符たちは、そこから動けなくなってしまうのだ。

「いいか。カメラのレンズはな、被写体と『つながる』ためにあるんだ。」 凌はシャッターを切った。カシャツ。
「お前の『地声』は、皆を怖がらせるノイズじゃない。皆が安心して自分の音を鳴らせるための、一番温かい『空気』なんだよ。」

風が、陽菜の髪を大きく揺らした。 陽菜は、ゆっくりと弦に指を置いた。
「……凌先輩。私、やっぱり歌いたいです。ポエムじゃない、あの日あそこで鳴っていた『本当の音』を、私の言葉で捕まえたいです。」

「ああ。……その意気だ。名札に頼るなよ。」
陽菜が鳴らしたコードは、さっきよりもずっと深く、優しく、秋の空に吸い込まれていった。
(第22話 完)

📎 「つながって、ひろがる」が私たちの合言葉。
この記事であなたとつながれたことがHappyです🌸もし少しでも心が動いたら、スキ❤️&フォローで、この輪をさらに広げる力を貸してください!