Rain drop Refrain
暖かい雨が降る日だった。
普段と違って少ししおらしい笑顔がくすぐったくて、気持ちを抑えられずに抱きしめた。
目が覚める。
「…。」
今、隣に君はいない。
あの時交わした「好きだよ」の言葉が呪縛のように身体を締め付ける。
1度は考えた、人生で1度セーブができるなら。
僕は間違いなくあの日にセーブをして、道を変えていたと思う。
「…レイ…。」
人工的な光に目が刺激される、表示された「5:25」の文字。
無機質な画面に広がる太陽の様な笑顔。
「…また寝るか…」
微睡みに身を任せながら、頭の中を走り抜ける分岐点の2日。
太陽が否応なしに肌を指す夏の日。
空港にスーツケースを持つ僕と、手をキュッと握ってくる君。
「向こう行って寂しくならない?大丈夫?」
普段通りの明るい声は少し震えていて
「…大丈夫じゃないかも。」
なんておどけて、笑うことしか出来なかった。
会社の新規事業。
新しいプロジェクトで、千葉から南に下って鹿児島に。
周りの期待とは裏腹に、自分の気分は下がる一方。当たり前だ。
隣を向くと、今にも泣きそうなのを耐えている君がいて、人生はときおり残酷な道を進まないとダメということを実感する。
「…2年くらい、だと思うから。」
絞り出した言葉。期限付きの単身赴任。
気休めの言葉にすらならない。
「…そうだね、2年間だから。」
人間100年のうちの2年。たかが2年。
…されど2年。
落とした言葉に残した気持ち。
ワガママを言えるほど社会は甘くない。
「…頑張ってね!」
普段と違う笑顔。
下地に貼り付けただけの。でも、今できる精一杯の笑顔だ。
「…いってきます。」
優しさとは時折鋭い刃となって、
心を傷つけることも。ある。
暖かな雨が降る春の日。
一世一代の大勝負に出た日。
出会った時から、必然的に伝えることになっていたんだと思う。
「…清宮さん。」
「…なに?」
このセリフなら、とか、言い回しは、とか。
沢山悩んで、考えて、これと決めた言葉は無くて。
「…好きです。」
心の底から思ったことが、思いのほかシンプルに出てきた。
「…私も、好き。」
珍しくしおらしく笑う君。その目に浮かんでいた涙。安心した。
「…付き合ってください。」
「…私でいいの?」
決まり文句だ。
「あなた以外、考えられない。」
僕はいつかあなたの、恋人になりたい。
そう思っていて。それが叶った日。
自然と身体が動いて、彼女の身体を優しく、強く抱き締めた。
無機質なアラームの音。
何も暖かみもない音。
無理やりに頭を引っ張られたように意識が覚醒する。
約束の日が、今日。本当だったら、帰れる日。
結局帰れなかった。
思いのほかプロジェクトが難航した。
何の変哲もない平日。
外を見ると雨が降っていた。
「…。」
雨は、最悪だ。靴が濡れて、スーツが汚れる。
視界も曇って、大切なものを見失いそうな気がする。
適当に支度を済ませ、携帯を開く。
「過去の通知はありません」
「…。」
レイを裏切ったんだから、当たり前だ。
こうなることは薄々わかっていて、
連絡をする勇気が湧かなかった。
結局、連絡を入れたのは一昨日。
普段はすぐにLINEに反応する君。
「ごめん。まだもう少し戻れない。」
この短文に、返事も、既読もつかなかった。
これまでのトークを振り返る。
最後に話したのだって、ほんの少し前。
くだらない話だ、今日はこんなことがあった。とか、食べたご飯はこれ、とか。
くだらない話が、僕たちを繋げてくれていたんだと今ならわかる。
君の事だ、忙しいから見れない、ということは無い。それくらいマメにメッセージをくれる。
だからこそ、2日も何も無いことは異質で、繋ぎ止めていた日常と、心が壊れそうになる。
気持ちと比例するように雨は強くなる。
ぽつりぽつりと降っていたはずなのに、いつの間にか滝のように雨が降っていた。
仕事中も、休みの時間も、携帯を気にかけていたけど通知に清宮レイの名前は現れなかった。
気持ちとは裏腹に仕事は比較的順調で、それが余計に気持ちが悪い。
早く帰りたいから、といえば説明がつくが。
現状帰ったところで何も得はない。
いつの間にか終業時間を迎えていて、定時より少し遅い時間に仮の帰路に着く。
本当なら、今頃成田空港に着いていて、君と会って、それから、それから…
何がしたいと言うより、
ただ会いたい。ただ話したい。
それだけでよかった。
「おかえり!」
仮の家に着いた時、君がいるなんて思ってなかった。
「…え?なんで…?」
「帰ってこれないなら、こっちから行っちゃえって!」
確か1度、郵便で何かを送った時に…。
そこで住所が貼られていたから。君はそう言った。
「…でも、雨…」
その頃、雨は弱く、優しく包み込むような強さになっていた。
「おうちの前の屋根の所で待ってたから大丈夫!」
それでも、髪の先は湿ってるし、足元も濡れている。
「ねね、早く中入れ…てっ…もう…。」
人目も気にせず、君をまた、抱きしめた。
「…ごめん、ごめん。」
謝ることしか出来ない自分。
「…ばか、謝らなくていいのに…」
涙を流しながら力強く抱き締め返してくる。
とても、暖かくて、幸せだった。
「…結局どれくらいかかりそうなの?」
家の中で、ふたりきり。
無機質な部屋に、初めて光が灯ったような気がする。
「…詳しくは分かんないけど、でももうすぐ。」
「…そっか。」
その時の君は少ししおらしく笑っていて、なんだか胸の奥がくすぐったく感じて。
こんなに幸せを感じてしまっていいのだろうか。
少しだけ不安になる。
「…こっちに着いた時さ、ちょうど飛行機が着陸する頃に雨が弱くなったの。」
おもむろに話し始める。
「…思えば、私たちって、雨に恵まれてる気がするなぁ。なんて。」
目を細めながら、感じる。
大切な日には、いつも雨が降っていて。
「…私はね、雨って縁起いいと思ってるから。」
だってこんなに幸せになれるから、と、彼女は言った。
2人で1つの傘に入るのも、出かけられなくて家にいるのも。雨は人の距離を近くしてくれる。
「…悪くないかも。ね。」
「もうすぐで成田に向かいます。」
あれから2ヶ月ほどでやっと帰れることに。
プロジェクトも無事に遂行して、もう思い残すことはない。
帰ったら、どうしようか。まず、何をしようか。
「好きだよ」を交わしあった君と、もう一度、
今度は…。
「空港で待ってる!何時頃着く!?」
数分たたず返信が来る。
離陸して、成田までは約2時間程。
着くのは夕方頃。搭乗のアナウンスがちょうど流れてきた。
早く帰りたい、早く。
はやる気持ちを抑えて、飛行機に乗り込む。
鹿児島の天気は晴れていた。
「ただいま。」
「おかえり!!」
出口の前に君がいて、今度は向こうから抱きしめられた。
「…へへ、会いたかったよぉ…」
「…俺も。すごい会いたかった。」
2年。と、少し。
長くて、暗くて、希望があまり見えなかった。
でも今こうやって、君がいる。
「よし!帰ろっか!」
手を引きながら、歩いていく。
「…途中で寄り道してもいい?」
「え!いいよ!お腹すいた!?」
大切なものを買いに行きたくて。
生憎、2年分働き詰めで、お金ならある。
「…雨降ってる。」
千葉では、弱めの雨が降っていた。
暖かくて、僕たちを包み込んでくれるような雨。
「…もう!じゃあこの傘入って!」
小さな小さな折り畳み傘、肩が触れる距離感で。
今度は僕が、君を連れて行く。
優しく降り注ぐ雨粒に、想い出と、希望を映し出しながら。
