苦しみの意味を見つけたとき、人生が変わった
「どうして、こんなにも苦しいんだろう」
「これは、神さまが与えた“試練”なのかな……?」
そんなふうに思ったこと、ありませんか?
人生には、ときに理不尽に思えるような出来事がやってきます。
耐えられないほどの悲しみや、理由のわからない苦しみ。
それが長く続くと、わたしたちはつい、
「これは誰かのせいだ」と感じたくなるものです。
答えを求めてさまよった日々
わたしも、長いあいだ「なぜこんなに生きるのが苦しいのか」と
悩み続けていました。
答えを探して、たくさんの本を読み、人に会い、
自分を変えようともがき続けた。
けれど、どこまでいっても、納得できる答えは見つけられなかったのです。
どれだけ外の世界を探しても、真理にはたどり着けなかった。
そんな日々に疲れ果て、ふと力が抜けたとき──
不思議な静けさがやってきました。
その瞬間、わたしは理解したのです。
真理は、外にあるものではなく、
私自身が“気づく”ことでしか出会えないものなのだと。
どんな言葉も、真理そのものを表すことはできません。
言葉はあくまで道しるべであり、
その先にある“気づき”へ導くための方便なのです。
そしてもう一つ──
どれだけ自分の力で何とかしようとしても、限界があるということ。
「わたし」という小さな存在の力で生きようとするほど、
世界と切り離され、苦しみは深まっていく。
そう気づいたとき、初めて心が静かにサレンダーしました。
“私”という個が生きているのではなく、
神が“私という個”を通して生きているのだと。
魂の視点に気づいたとき
その静けさの中で、
わたしの内側から、ひとつの感覚が静かに広がっていきました。
わたしをつくり出している意識──それは、神のエネルギーそのもの。
その神のひとしずくが、“魂”として分かれ、
いま、わたしという肉体を通してこの世界を体験している。
わたしという個は、神の意識がマインドというエネルギーをまとって現れた姿。光の源は同じであり、分かたれたことなど一度もないのです。
そしてその神の意識が、ひとつの“魂”としてこの世界に降り立ち、
わたしという個を通して人生を体験している──
それが、今ここに生きる“わたし”の本当の姿なのです。
苦しみの正体
その気づきは、わたしの中の意識を静かに変えていきました。
すべての出来事が、わたしを導くための流れだったのかもしれない──
そう思えたとき、心の奥で深い納得が広がっていきました。
その流れのすべては、魂の意図のもとにあった。
魂が選んだことは、わたしが選んだこと。
この世界を創っていたのは、わたし自身だった。
外側に求めていた“神”は、
本当は、わたしの内側に──
いえ、わたしそのものとして存在していたのです。
そう気づいた瞬間、
世界の見え方が変わり始めました。
わたしは、ただ傷つけられる被害者じゃなかった。
ただ翻弄され、苦しめられていたわけでもなかった。
これは、わたしという魂が、
“わたし自身”を通して体験してきた学びのギフトだったのです。
愛がわたしを呼び覚ましていた
わたしを苦しめていたのは、
わたしを呼び覚ます“愛”でした。
魂は知っていたのです。
「きっとこの体験を通して、
もっと深く“愛”を知ることができる」と。
そして、
「本当の自分に還るためには、この道が必要だった」と。
わたしたちは、どんなときも深い部分で
本当の自分──魂として在るのです。
目には見えなくても、感じられなくても──
その奥ではいつも、
大いなる存在=本当の自分の愛に包まれているのです。
苦しみを通して知ったのは、
「わたしはずっと愛されていた」という真実でした。
新たな歩みへ
思い通りにいかなくても、
完璧にできなくても、涙の日があっても──
すべては、“わたし”という人生を通して、
魂が“愛を深く知る”ために選んだ体験でした。
だから──
もう責めなくていい。
誰かのせいにしなくていい。
あなたはもう、十分に頑張ってきた。
これからは、
あなたの魂が見たいその景色を、一緒に歩いていこう。
せっかくこの世界に身体をもって生まれてきたのだから。
感じて、動いて、体験して。
やりたいことがあるなら、思いきってやってみよう。
この世界は、魂が“愛を知り、愛を生きる”ために選んだ体験の舞台。
恐れずに生きていこう。
あなたの光が、この世界をやさしく照らしていくから──。
