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終わりのない部屋

風が吹く。
生命が芽吹き、育まれる春の風だ。

この日、僕は好きな人を捕らえようと思った。

綺麗な部屋を用意した。
あとはここに来てもらうだけだ。

そうしたら、鍵をかけて2人でお茶をする。

誰もノックしない、誰も訪ねてこない。

2人の静かな時間を過ごせる。

終わりも、別れも、いらない。

夢のようだ。

あの人は喜んでくれるだろうか。

僕はその人の足取りを追った。
いつもの帰り道を追う。

狙うのは部屋のドアを開けたら、押し入って捕獲する。

僕は黒い手袋を付けた拳をぎゅっと握りしめた。

あの人の部屋のドアが開く。
僕は勢いよく飛び込んだ。

ドサッと玄関に倒れこむ。

しかし、下にあの人はいない。

僕は倒れたまま、振り返る。

扉を開けたまま、ドアに寄りかかるように身を預けて、僕を見下ろしている。

「…これは、その名の如く“突撃訪問”ですね」

その顔は微笑を浮かべているのに、目は冷ややかに黒かった。

失敗した僕は、慌てて立ち上がり逃げようとしたが、目の前で扉は閉められた。

「せっかく、いらっしゃったのです。中へどうぞ?」

意外な提案に目を見開く。

僕「…いいの?」

「ええ」

僕「…お邪魔します」

靴を脱いで奥に進む。

整然とした部屋を見渡した。

白を基調にした空間は静かで、奥の白いドアが目に入る。

それだけが、この部屋で唯ー“奥”を感じさせた。

ガチャリと鍵をかける音が妙に大きく響いて、振り返る。

静かな足取りで、この人はキッチンへ向かった。

インスタントコーヒーが入ったカップにお湯が注がれる。

「どうぞ、おかけください」

その声は落ち着いていて、飛びかかられた人の言動にしてはおかしいと僕も分かっていた。

だって、面識はない。

僕はその場に小さく座った。

これから警察を呼ばれるのかもしれない。

だけど、そんなことをされるくらいなら…いっそここを“綺麗な部屋”の代わりにすればいいのではないか?

そうだ、鍵は閉めていた。

あとは、この人をここから出さなければ、計画はそんなに狂ってない。

しかもコーヒーを淹れてくれてる。

思い描いてたお茶の時間じゃないか。

そう考え始めると、気持ちが高揚し嬉しさが込み上げてきた。

僕「いきなり押しかけてごめんなさい!
本当は声をかけようと思ったんだけど、足がもつれて倒れ込んでしまったんだ」

「あなたには初対面かもしれないけど、僕はあなたを知ってて」

「それで今日は話しかけようと、様子を見てたらタイミング逃してる内に家までついてしまって!」

「本当にごめんね!」

少し無理はあるけど、これで押し通そう。

その人はマグカップを2つ持って、僕の前のソファに座った。

「そうでしたか。どうぞ」

コーヒーが目の前に置かれる。

芳ばしい香りが、動かない空気の中で、ゆっくりと広がっていく。

僕「…いただきます」

思いの外、美味しいコーヒーに肩の力が抜ける。

僕「美味しいね」

その人はカップから上る湯気の向こうで微笑んだ。

「そうですね。
皆さん、そう仰います」

その言葉が、少しだけ気にかかった。

僕「…友達、多いんだ」

それは嫉妬のような感情だった。

見つめている時には、友達と話しているところなんて見たことがなかったのに。

「友達、というより……獲物でしょうか」

その人は僕に言うというより、小さく呟くようにカップを見ていた。

僕「獲物?」

再び微笑むその人は、今度は僕を見て言った。

「ええ。神経剤が入っています。
獲物を捕まえるために」

“どうして”という言葉は必要なかった。

すでに理由は言っていたから。

この人は僕を捕まえるために、神経剤を使ったということだろう。

僕「僕も君を捕まえたくて、綺麗な部屋を用意したんだ!
そこで一緒に過ごさない?」

僕はテンションが上がって、明るくハッキリと誘った。

その人は少し驚いたように目を瞬く。

けれど、納得したように微笑む。

「そうでしたか。
…ですが、私は静けさを好みます」

僕「あ、そうなんだ。分かった。小さく話すよ」

舌の先が少し痺れてきた気がする。

僕「ねえ、話せなくなる訳じゃないよね。首から下は大人しくするから…もっと話せない?」

遠目から見てるだけの僕は、今やっと好きな人が目の前にいて話せることに喜びを隠せなかった。

「…それでは落ち着ける部屋に
行きましょうか」

その人は僕の側に来ると、そっと肩を抱く。

手の当たる部分から鼓動が聞こえるように、そのぬくもりしか感じられない。

「薬が効いてますので、倒れると危ないです。
捕まってください」

優しい声かけに頷くことしかできない。

その人の言う通り、足元は少しおぼつかない。

だけど、それを力強く支えてくれる腕に心だけが跳ね上がっていた。

目の前の白いドアが開かれる。

時が止まったような空間は、本当に静かだった。

だけど、僕には誤算だった。

その静かな空間には、既に先客が座っていた。

力なく椅子に座る男は、こちらを見ることもなく口からは唾液が流れていた。

僕「…誰?」

その人は僕を近くの椅子に座らせると、男の所へ行き、口もとをタオルで拭う。

「…獲物です」

短い言葉には何の説明も足されない。

妙な怒りが湧いてきた。

僕「…捨ててよ。
僕が来たんだから、もう要らないでしょ!」

その人は僕を振り返り、口元に人差し指を立てる。

「…お静かに。
ここは静かに話せる空間です。
外の音は中に入りませんし、中の空気も動かないよう空調は止めています」

その人は僕に優しく微笑む。

「大丈夫です。
あなたも毎日いっしょにコーヒーを飲めば、静かに過ごせます。
そして私のいない時間には友達が欲しくなるでしょう」

それは僕の思っている綺麗な部屋の過ごし方ではなかった。

「そう思って“あなた”を捕らえたのです。
彼の“友達”として」

僕の過ごしたい綺麗な部屋には、僕とその人だけ。

友達なんていらない。

2人でずっと話をして、愛を育てていくものだ。

だって、動けない、話せないなら、どうやって育めばいい?

顔に汗がつたう。

気持ちを伝えようと口を開いたが、舌はもつれて上手く話せない。

僕「れぇ…ふぇやかえよ」

“部屋を変えよう?

僕の用意した綺麗な部屋に。

そこなら君の思う静かな空間もあると思う。

僕たちは少し部屋の考え方が違うだけで、上手くいくと思うんだ。

ねえ、いつまでその男を見てるんだ。

こっちを見てくれよ”

伝えたい言葉が出ないことが悲しくて、涙が流れた。

涙に気付いたその人は指先ですくう。

「大丈夫です。
ここは静かで安全です。
これからは何も考えず、一緒に過ごしましょう」

繰り返される「大丈夫」の言葉が少しずつ胸に落ちてくる。

この人に任せれば大丈夫なのかもしれない。

僕の気持ちを見透かしたように、その人は微笑む。

「おかわりのコーヒーを持ってきますね」

静かに扉が閉まった。

その静かすぎる空間は、時を止めたように僕の気持ちを鎮めた。

聞こえないけれど、今僕のためにコーヒーが淹れられている。

僕は待つだけでいい。



インターホンが鳴った。

宅配業者の声に扉を開けると、体に衝撃が走った。

落ちる視線の先にスタンガンが見える。

男の息が荒い。

「ここは…あんたの居場所じゃない」

「俺の家で賑やかに過ごそう」

男はそう言って、私を肩に背負った。

——ああ、今度は“私”が運ばれる側なのだと、ぼんやり理解した。

その視線の先には白いドアが見える。

玄関のドアが閉まる。

私の静寂は、そこで終わった。

風が吹く。

その風の行く先を、私は知らない。

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