生まれる前の春ー風まかせ文芸部
畑からとってきたキャベツを抱えて、
彼女は笑った。
「今日は春玉ちゃんを
お迎えしたの」
「え、誰?」
「春キャベツ♪」
春キャベツを「春玉ちゃん」と呼ぶこの娘は、俺にとって「不思議ちゃん」
不思議ちゃんは畑からとる野菜を
リスペクトしていて、この間までキャベツのことを「甘藍さん」と呼んでいた。
調べてみたらキャベツの
和名だった。
「春玉ちゃんはね、
赤ちゃんみたいなの。
葉が柔らかくて瑞々しくて甘い⋯生まれたて」
「普通のキャベツは何なの?」
「冬玉ちゃん?
葉が1枚でもしっかりしててロールキャベツとか巻いて包める自立した大人だよ♪」
擬人化されたキャベツの
女性を思い浮かべた。
「冬玉ちゃんは自立して、
包んでくれるなんて、
本当の大人だな」
不思議ちゃんは楽しそうに笑う。
「うん。
春玉ちゃんは包むよりも、
見たままの姿が甘い赤ちゃん枠なの」
春キャベツを見ながら、
赤ちゃんを思い描く。
彼女の手の中で春キャベツは、
塩昆布と和え物になっていた。
「一口どうぞ」
彼女の菜箸から、口へとキャベツが運ばれる。
俺達の関係に名前はまだない。
「⋯美味い」
白紙の関係は生まれたてにもならない赤ちゃん未満。
「うん、春玉ちゃんの可愛さが染みてる!」
喜ぶ不思議ちゃんの笑顔は、
この関係に名前をつけようとしない。
「⋯せめて生まれたい」
不思議ちゃんは笑顔のまま
首を傾げる。
「⋯何でもない」
畑に埋まっていれば、
いつか芽を出すことを願ってる。
今日もこの関係に水をやって
育てよう。
芽吹きの春を待つ。
お読みいただいて、ありがとうございました。本作は風まかせ文芸部さんの企画に参加しております。
あとがき
旬の野菜はその時々の美しさを見せてくれます。
手元に届くまでの成長を思い浮かべると感慨深く、お腹が温まるような気持ちです。
