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【生い立ち①】転職がコンプレックス→強みに変えられるまで


はじめまして!
榎本 沙奈(えのもとさな)です。
3歳と小1の娘を育てる2児の母です。

てっとり早く今やってることを知りたい人はこちらの記事を読んでください⬇︎


私は、和歌山県の海南市という和歌山市のひとつ南、関空まで車で40分の海沿いの地域に住んでます。有田みかんの取れる有田市が隣町です。

2016年頃〜2025年3月まで三重県の明和町という伊勢神宮から30分ほどの町に住んでいました。
子育てを三重県で経験し、

専業主婦から在宅ワークを叶え

三重で廃校に貸切キッズスペースを立ち上げ

ローンを組んでいた三重の家を売却し

和歌山へUターン移住
しました。

みかん畑が広がる地域

現在は 和歌山と三重で貸切りキッズスペース「遊び場カフェ」 を運営しながら、企業や自治体関連のSNS運用や個人事業主様のWEB活用サポートと居場所の立ち上げ伴走プロデュースをしています。


やっていること

①遊び場の運営/居場所作り伴走プロデュース

②SNS運用

  • 自治体のふるさと納税のSNS運用の立ち上げ〜運用(インタビュー、商品撮影、動画制作、画像編集、チラシ作成、企画、キャンペーン実施)

  • 企業のSNS運用:地域観光業、医療機器、起業家、食品、などを経験

③起業関連・WEB活用サポート

個人や教室、NPO団体などのWEB・SNS活用伴走サポート。
動線設計、動画制作、公式LINE構築、HP制作など

詳しい実績などはこちらをご覧ください↓



略歴

  • 和歌山県海南市出身

  • 2009年 和歌山県立桐蔭高等学校卒業

  • 2010年 森カフェをやりたくて、エコール辻大阪製菓マスターカレッジ卒業

  • 2010年〜2011年 まずはデザートを極めたくてホテルでパティシエ

  • 2011年〜2014年   森は無理だから庭カフェにしようと思い、庭設計のエクステリアプランナーに。

  • 2015年 そろそろカフェをやりたくてカフェで勤務、一日カフェを開いたりケーキを販売したり。その後病院で医師事務アシスタント。

  • 2016年 結婚を機に伊勢へ。日赤で医師事務。

  • 2019年 長女出産。三重県明和町にモデルハウス購入。

  • 2021年11月 次女出産。

  • 2022年8月 WEBデザインを学び始める。

  • 2022年12月 個人事業主として開業。

  • 2023年2月 パートをしつつ、企業・自治体のSNSやWEB活用サポートを開始。

  • 2023年7月旦那が出張中、私はワンオペで1歳4歳をみているときに救急車に運ばれる

  • 2024年3月 明和町めいわチャレンジフェスタ運営、キッズスペース制作

  • 2024年7月 資金ゼロから廃校に貸切りキッズスペースを立ち上げ

  • 2025年3月 三重→和歌山へUターン移住、三重和歌山の2拠点生活開始

  • 2025年10月 社会起業スクールSBCにてthreads講座開催。43名参加。

  • 2025年11月 海南市の古民家に【遊び場カフェhikata】を期間限定open

  • 三重の家引き渡し、2拠点生活終了

  • 2026年4月 居場所作り0→1セミナー2日間開催。65名申し込み

  • 2026年6月   居場所作り伴走サポート開始


今でこそ自分の好きなことを仕事にして
理想の働き方だね〜なんて言われますが

子どもを産む前は、正社員2年しかしたことない、だいたいパートか派遣か任期付きの働き方でした。転職回数も、10回以上。面接で転職がネックだねと言われるほど・・・。

この記事では私の人生を変えた出来事や、転職を繰り返して何もなかった私が、こどもを産んで専業主婦からでも好きなことを仕事にして、移住するまでを書いていきます。




口癖は「消えたい」

学生のころの私は「生きるのめんどくさい」って思ってました。

毎日なんとなく学校に行って、帰って、また次の日。しんどい。

楽しいことなんて特にないし、
「もう早く消えたい」っていうのが口癖。

中学や高校の時、陸上で全国大会へという目標があったから、毎日積み上げる意識しかしていなくて大丈夫だったけど、

目標がない時の私は基本「めんどくさい。」


一冊の本との出会い


あるとき、一冊の本に出会って、
その中に書いてあった言葉が私の中でガツンときたんです。

「運がいいと思えばよくなるし
運が悪いと思えば悪くなる。」

え?自分次第なの?


例えば、AさんとBさんのチケットがハズレだったとする。

Aさんはチケットが外れて運が悪かったと思い、その一日をズーンとした気持ちで過ごす。

Bさんはチケットが外れたけど、その日にいつもいけない素敵なカフェにいけて、素敵な彼に出会う。
その場合、Bさんはチケットが外れたことがラッキーになる。

Aさんも気持ちを切り替えて出かけたら素敵なカフェを見つけられたかも。

つまり、チケットが外れた
という事象は人の考え方次第でラッキーにも、残念にもなる。

もしすべてをポジティブに変換できたら…

全部をポジティブに変換できたら、毎日が最高な日になるってこと?

それは生きていたい!!


好きなことを増やしていった日々

そこから、私は毎日が最高な日になるように好きなことを増やすようにしました。

たとえばアーティストの「ゆず」にハマって、路上ライブのアーティストを追っかけたり、自分でギター弾いてみたり、ライブに行ったり。

中学の授業が終わったらダッシュで帰って、和歌山から天王寺まで路上ライブを聴きに行ったり。

イベントに行くのも好きで、
ロハスフェスタとか雑貨マルシェに行くと芝生でピクニックしたり、かわいいものが溢れていて、ワクワクして、「こんな世界があるんだ〜!」って感じで。

ライブやイベントに参加するために生きてたいと思うようになりました。


私が【好きなことを仕事にする】に強い想いがある理由はこういった経験からです。




進学校にいくも、勉強をしない日々。

高校卒業後、辻調グループの製菓の専門学校へ。

和歌山の人はわかると思いますが、桐蔭から進学しない人なんて、ほぼいませんでした。40人近く×8クラスの300人くらいのうちたった4人の中の1人でした。

同級生は阪大や、関関同立にいくような子がうようよ…理系は医師になった子もたくさんいる。
そんな学校での私は進級が危うく、呼び出されるほどの生徒でした。

私は陸上を誰にも邪魔されたくなくて
環境がよさそうな学校に行っただけで

勉強したくて行ったわけではなかったので
卒業できるギリギリラインを攻めて
残りの時間は陸上にそそいでいました。


目標を叶える力の原点


中学の時から1人で朝練を始めたり、
高校でも1人で始めたり、
当時から目標を決めると1人でコツコツやるタイプ。
目標がないと、消えたくなるからw

中学で全国大会に出て、
高校でも頑張っていましたが結局それは叶わず。

でも、近畿大会でビリから何番目だった私が、高三のときには本気で決勝を目指せるくらいまでは行けました。

なにより先生たちが特別メニューを考えてくれたり、休みの日に大学の練習まで連れて行ってくれたり、誰も行けると思ってなかった全国大会に、「もしかしたら行けるかも?」と周りに思わせられるくらい成長できた、この過程で得られたものは今もめちゃくちゃいきています。


全国に行く選手と、県止まりの私。
何が違うのか?

これを徹底的に細分化して、全国へ行く人が出来て私に出来ないことがあればそれを練習して出来るようにする。

たとえば彼女は懸垂を10回できる。
私は1回も出来なかった。

どっちがいい記録を出すと思う?
彼女に決まっている。


だから私は懸垂を10回出来るようになるまで
毎日居残り練習をした。

彼女は練習終わりに筋トレをしているらしい。
私はみんなと帰っている。

次の日から私は居残りして筋トレをする。


さらには彼女よりも、多い回数する。

これをひたすら繰り返し、徐々に隙間をうめていく。


このときの経験は今も私の原点で、たいていのことはこのやり方で泥臭く努力を積み重ねてきました。
先生にも最高に恵まれて、高校では本当に素晴らしい経験ができました。


そういえば当時の顧問の先生が言っていた言葉、
継続は力なり
だった。

ほんとに私の芯かも。

自然の中でカフェをするのが夢


陸上を引退したら、目標がなくなってしまった。

これはいけない。

学生の時から、絵本や本が好きで、軽井沢の作家の森村桂さんの本を買った影響で、森の中で季節を感じながらおいしいお菓子を焼いて、絵を描く仕事ができたら幸せだな〜と憧れていました。

そこから「庭カフェをしたい」という夢を持って学び、まずは腕を磨くため卒業後は大阪のホテルでパティシエをしていました。

しかし、都会での暮らしが合わず過労や心身の不調から退職。


その後は和歌山に戻り、自然を求めて庭のエクステリアプランナーとして働きました。


3DのCADを使って、庭のイメージ図を作成したり、打ち合わせをしたり。

私はでも、図面を作るよりもどうやったらお客さんにわかりやすく伝えられるか、一般のお客さんを増やすにはどうしたらいいかが気になり、当時なかった施工写真集を作ったり、自ら名乗りでてHPの更新を担当したりしていました。

これがWebデザインっぽい仕事の初めかも。


エクステリアプランナーは、本当にたのしかったんですが、毎朝片道1時間かけて車で通勤するのがキツくなってきて、ずっと細かい図面を睨みつけながら仕事するので、目がどんどん悪くなってしまい、カフェの夢も捨てきれず…

そろそろ本格的に
「自分のカフェをつくりたい」と思い、

その挑戦をするために、カフェで働きながら、1日限りのカフェをしたりしました。

当時の1日カフェのフライヤー


1日カフェ開店


30人くらいの人が来てくれ、売り上げも35,000円ほどで、カフェにしてはまずまず。

皿盛りデザート。アイシングクッキーやチョコソースの絵を描いたりしていた。

でもしんどすぎて、これを毎日して暮らしていくのは無理だなと思った。カフェでは生きていけない。生活できない。

当時の私は辻調仕込みの完璧主義で、作業場は超綺麗に、お菓子も少しでも失敗したら廃棄、仕込みの半分は売り物にならなかったり。

さらに、資金不足も重なりあきらめることに。

この頃は起業はどうやったらできるのか?
どこで学べるのか?
そういった情報がまったくわからず、ただただもがいていました。

テイクアウト用のお菓子




カフェを諦め安定した仕事へ


そこからは全く違うジャンルで、医師の秘書やアシスタントをしました。

パソコンを日常的に使う仕事で、医師の診察の補助をするんですが、

これ、パティシエとちょっと似てて。

パティシエも、周りの人の動作を見て次の作業の準備したりするんですが、医師事務補助も先生の右腕になったつもりであれやこれや準備するという感じで。なんだかんだ向いてるかも、この仕事だったらずっとやっててもいいかも。そう思っていました。

このとき初めて公的な場所で働いて、有給休暇というものが、自分の都合で本当に休めるんだと知りました。(それまでは病気のときくらいしか使われなかった)それくらい飲食の現場は、働く環境が過酷なイメージがあります・・。

実家から近い場所だったのと定時で上がれたので、その頃は時間に余裕があって、絵を描いたり、趣味のカフェ巡りや、写真のコンテストに出したりしていました。

細かい線の、森の絵が好きだった


でもずっと起業したいと思ってアイデアを貯めてきた私にとっては、マニュアル化された仕事をし続けることで頭が働かなくなり、だんだん自分で考えることがうまくできなくなってきました。

ただ、マニュアルになっていないものをマニュアル化することは好きだったので、医療時代はひたすらにPCでマニュアルを作成していました。
このころから資料作ったりは、好きだな〜と思っていました。

そしてこの医療系の仕事のときに
結婚・出産を経験し、三重県に引っ越すことに。


ここから苦悩の日々が始まります。



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https://note.com/sanadesign/n/n19706554f83e?sub_rt=share_pb

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