【ベーカー街探偵団の事件簿③】トパーズの魔眼前編
第一章 森の奥の招待
1888年12月、ロンドンは冬の闇に沈んでいた。
テムズ川から立ち昇る霧は街路を覆い、ガス灯の明かりさえも黄色く滲んで、まるで溺れかけた魂のようだった。
前回の事件……青い瞳とサファイヤをめぐる狂気の陰謀から数ヶ月が経ち、エドマンド・アーサー・ウィンダムは日常に戻っていた。
しかし、彼の心には拭いがたい不安が残っていた。蛇の叡智団の影は、本当に消えたのだろうか。
そんなある日の午後、エドマンドの下宿に一通の手紙が届いた。
封蝋には見覚えのある紋章が刻まれている。
彼の恩師、サー・ジョージ・ハロウェイからの招待状だった。
「親愛なるエドマンド」と、几帳面な筆跡で綴られた手紙は始まっていた。
「私の郊外の屋敷で、古き友人たちとささやかな晩餐会を催そうと思う。君の顔を久しぶりに見たいのだ。できれば、トーマス・グレイ医師もご一緒にいかがだろうか。森の静寂と暖炉の炎は、都会の喧騒に疲れた心を癒してくれるはずだ」
エドマンドは微笑んだ。サー・ジョージは彼が医学を学んでいた頃の師であり、小柄で頭頂部が薄くなってはいたが、その鋭くも温かな知性は今でも多くの人々に尊敬されていた。快活で思慮深く、常に学生たちを励ましてくれた恩師だった。
「行くべきだと思うか、トーマス?」
エドマンドは手紙を見せた。
トーマス・グレイは眼鏡越しにその手紙を読み、頷いた。
「もちろんだ。君の恩師なら、私も一度お会いしたいと思っていた。それに、ロンドンの霧から逃れるには良い機会じゃないか」
しかし、シャーロット・ウィンダムは納得しなかった。
13歳の姪は、叔父の診療所を訪れた際にこの話を聞きつけると、すぐに反論した。
「私も行きます、エドマンド叔父様。前回の事件では、私とヘンリー兄さんも十分に役立ったはずです」
彼女の青い瞳は決意に満ちていた。
聡明で勇敢な少女は、もはや単なる好奇心旺盛な子供ではなかった。
前回の事件で彼女が見せた機転と勇気を、エドマンドは忘れていなかった。
「シャーロッティ、今回はただの晩餐会だ。危険なことは何もない」
エドマンドは優しく諭した。
「それでも」シャーロットは頑として譲らなかった。
「叔父様、私たちは前回の事件で学びました。平穏に見える場所にこそ、闇が潜んでいるということを」
エドマンドは溜息をついた。彼女の言葉には一理あった。結局、シャーロットとヘンリーも同行することになった。
三日後の午後、彼らはロンドンを離れ、馬車に揺られて郊外へ向かった。
街の喧騒が徐々に遠ざかり、やがて深い森に囲まれた道へと入っていく。冬木立の枝は天を覆い、陽光を遮って薄暗い廊下のような風景を作り出していた。
「不気味な場所ですね」シャーロットが窓の外を見ながら呟いた。
「古い森だからな」トーマスが答えた。「このあたりは古代ローマ時代から人が住んでいたと言われている。伝説や民話も多い土地だ」
ヘンリーは無言で指輪を見つめていた。彼の指にはめられたサファイヤの指輪……前回の事件で彼が引き継いだ、青い瞳の者の宿命を象徴する宝石だった。16歳の青年は、自分の運命に今も葛藤していた。
やがて、森の奥深くに屋敷が現れた。
ハロウェイ邸は古いジョージア様式の建物で、蔦が壁を這い、煙突からは白い煙が立ち昇っていた。
暖炉の火が灯されているのだろう。石造りの門をくぐると、管理の行き届いた庭園が広がり、冬のバラが静かに咲いていた。
玄関で彼らを出迎えたのは、サー・ジョージ・ハロウェイその人だった。
確かに小柄で、頭頂部は以前より薄くなっていたが、その目は相変わらず知性と温かみに満ちていた。
「エドマンド! よく来てくれた」
恩師は両手を広げて歓迎した。
「そして、こちらがトーマス・グレイ医師か。お会いできて光栄です。こちらの若い方々は?」
「私の姪のシャーロットと、甥のヘンリーです」エドマンドが紹介した。
「おお、若い探偵たちだ!」
サー・ジョージは目を細めた。
「エドマンドから君たちの活躍を聞いているよ。さあ、寒いだろう。中へお入りなさい」
屋敷の中は暖かく、暖炉の火が踊っていた。
書斎には古い書物が並び、壁には先祖の肖像画が掛けられている。
サー・ジョージは彼らを客間へ案内し、温かい紅茶を振る舞った。
「今夜は他にも何人かの客人が来る予定だ」
サー・ジョージは語った。
「古い友人たちだよ。エドマンド、君も何人かは知っているはずだ」
晩餐の準備が整うまでの間、サー・ジョージは彼らに屋敷を案内した。
図書室、音楽室、そして小さな温室。
どの部屋も趣味良く整えられ、長年の歳月を感じさせる落ち着いた雰囲気があった。
「この屋敷は17世紀から我が家に伝わるものでね」サー・ジョージは誇らしげに語った。
「代々、医師や学者を輩出してきた家系なんだ。そして、いくつかの家宝もある」
彼は書斎の暖炉の上を指差した。
そこには、ガラスケースに収められた見事なブローチが飾られていた。
大粒のトパーズを中心に、細かな金細工が施された豪華な装飾品だった。淡い黄金色の宝石は、暖炉の光を受けて内側から輝いているように見えた。
「美しい……」シャーロットが息を呑んだ。
「これが我が家の家宝、トパーズのブローチだ」
サー・ジョージは優しく微笑んだ。
「18世紀に、私の先祖がインドから持ち帰ったものだと言われている。ただ、このブローチには奇妙な伝説がある」
「伝説ですか?」エドマンドが尋ねた。
「ああ」サー・ジョージは頷いた。「このトパーズを真に所有する者には、莫大な財宝の隠し場所を示す地図が授けられる、という伝説だ。もちろん、私はそんな迷信は信じていないがね。しかし、代々この家に伝わる話なんだ」
トーマスは科学者らしい懐疑的な目でブローチを観察した。
「興味深い伝説ですが、おそらく家宝の価値を高めるための創作でしょう」
「私もそう思う」
サー・ジョージは笑った。
「だが、この宝石の美しさだけでも十分に価値がある」
その時、遠くで鐘の音が鳴った。晩餐の時間が近づいているのだ。
第二章 甥の闖入
晩餐の席は華やかだった。
大きなテーブルには銀の燭台が並び、蝋燭の炎が揺れている。
サー・ジョージの友人たちが集まり、医学や科学、文学について和やかに語り合っていた。
エドマンドは久しぶりに学生時代の雰囲気を思い出し、心から寛いでいた。
ローストビーフが運ばれ、赤ワインが注がれる。
会話は弾み、笑い声が響いた。
シャーロットとヘンリーも、大人たちの議論に興味深く耳を傾けていた。
しかし、デザートが運ばれた頃、突然玄関の扉が激しく叩かれた。
ドン、ドン、ドン!
執拗で、まるで何かに取り憑かれたような叩き方だった。
会話が止まり、緊張が走る。
「誰だろう?」
サー・ジョージは眉をひそめた。
「こんな夜更けに、招待していない客人が来るとは……」
執事が玄関へ向かったが、扉が開かれる前に、それは内側から押し開けられた。
現れたのは、30代後半と思われる男性だった。痩せこけた顔、落ち窪んだ目、乱れた服装。彼の目には狂気じみた光があり、手は小刻みに震えていた。
「叔父上……」男は低い声で言った。
サー・ジョージの顔色が変わった。
「ヒューバート? お前、どうしてここに?」
ヒューバート……それがこの男の名前らしい……は部屋に入ってきた。
彼の視線は、暖炉の上のトパーズのブローチに釘付けになっていた。
「叔父上、頼みがあるんです」
ヒューバートは震える声で言った。
「私には……私にはもう時間がないんです。あの、あのブローチを……」
「ヒューバート」
サー・ジョージは立ち上がり、厳しい声で言った。「お前の借金の話は知っている。だが、家宝を売り払うことなどできない」
「借金じゃない!」ヒューバートは叫んだ。
「伝説です、あの伝説! トパーズには財宝の地図が……もし、もしその財宝を手に入れれば、私は全て返済できる。新しい人生を始められる!」
「それは迷信だ」
サー・ジョージは悲しそうに首を振った。
「ヒューバート、お前は賭け事で身を滅ぼした。私は何度も警告した。だが、お前は聞かなかった」
「違う!」
ヒューバートは激昂した。
「あなたは何も分かっていない! 私には方法があるんです。あのトパーズの秘密を解く方法が! ある人物から聞いたんです、青い瞳を持つ者なら、宝石の真の力を解放できると!」
エドマンドとトーマスは顔を見合わせた。青い瞳……それは前回の事件に関わる言葉だった。
ヘンリーは思わず自分の手を見た。サファイヤの指輪が、まるで呼応するように淡く光っているように見えた。
「ヒューバート、落ち着きなさい」
エドマンドが立ち上がって言った。
「あなたは疲れている。まず休んで」
「黙れ!」
ヒューバートは叫び、突然ブローチに向かって走り出した。
「止めろ!」
サー・ジョージが叫んだ。
エドマンドとトーマスは咄嗟にヒューバートを取り押さえようとした。
激しい取っ組み合いが始まる。テーブルが揺れ、グラスが倒れる。
シャーロットは素早く他の客人たちを遠ざけた。
ヒューバートは驚くべき力で抵抗した。
まるで狂気が彼に超人的な力を与えているかのようだった。
しかし、最終的にエドマンドとトーマス、そして駆けつけた執事によって、彼は床に押さえつけられた。
「離せ! 離せ!」ヒューバートは叫び続けた。
「お前たちには分からない! あのトパーズは呪われている! ら本当の所有者に返さなければ、恐ろしいことが起こる!」
「何を言っている?」
サー・ジョージが尋ねた。
ヒューバートの目が、突然恐怖に歪んだ。彼は何かを見たかのように震え始めた。
「来る……蛇が来る……」彼は囁いた。
「黄金の鱗を持つ蛇が……トパーズを求めて……」
そして、彼は突然笑い出した。狂気じみた、恐ろしい笑い声だった。
「お前たちは皆、呪われる! トパーズの呪いから逃れられる者はいない! 明日の朝日を見ることができる者がいるだろうか!」
エドマンドとトーマスは顔を見合わせた。この男は完全に正気を失っているように見えた。
「彼を部屋に運びなさい」
サー・ジョージが執事に命じた。
「鍵をかけて、朝になったら医者を呼ぶ」
ヒューバートは連れ出される際も、呪いの言葉を吐き続けた。
「呪われよ! 皆呪われよ! トパーズは血を求めている!」
彼の声は廊下に響き、やがて遠ざかっていった。
晩餐の席には重苦しい沈黙が降りた。誰もが動揺し、言葉を失っていた。
「申し訳ない」
サー・ジョージは疲れた様子で言った。
「私の甥が、皆さんに不快な思いをさせてしまった」
「いえ」
エドマンドは恩師の肩に手を置いた。
「あなたの責任ではありません」
しかし、シャーロットの目は暖炉の上のトパーズのブローチに注がれていた。美しい宝石は、蝋燭の光の中で不吉に輝いているように見えた。
その夜、誰もよく眠れなかった。
第三章 朝の惨劇
翌朝、屋敷は異様な静けさに包まれていた。冬の森を渡る風が、木々を揺らす音だけが聞こえる。
エドマンドは早くに目を覚ました。
窓の外を見ると、庭には薄く霜が降りていた。彼は昨夜のヒューバートの言葉を思い返していた。
青い瞳、トパーズの呪い、蛇……それらは前回の事件と何か関係があるのだろうか?
廊下に出ると、トーマスも起きていた。
「よく眠れなかったようだな」
トーマスが言った。
「ああ」
エドマンドは頷いた。
「君もか」
「昨夜の騒ぎは尋常ではなかった。あの男、ヒューバートは明らかに精神的に不安定だ。しかし、彼の言葉の中には気になる要素がある」
「青い瞳、か」エドマンドは低く言った。
二人が階段を降りようとした時、下から悲鳴が聞こえた。女中の悲鳴だった。
「何事だ!」
二人は駆け下りた。玄関ホールには、顔を真っ青にした女中と、青ざめた表情の執事が立っていた。
「旦那様を……すぐに旦那様を!」女中は震えながら言った。
サー・ジョージが寝間着姿で現れた。「どうした?」
執事は震える手で外を指差した。「庭で……ヒューバート様が...」
全員で庭に出た。朝の冷たい空気が肌を刺す。そして、彼らは見た。
バラ園の中央に、ヒューバートの遺体が横たわっていた。
彼は仰向けに倒れており、目は見開かれ、顔は恐怖に歪んでいた。口は大きく開き、まるで叫びながら死んだかのようだった。そして、最も不気味だったのは、彼の首に巻きついた痕だった。
「絞殺?」トーマスが近づいて検分した。
「いや、これは……」
首には奇妙な痕が残っていた。まるで大きな蛇が巻きついたかのような、螺旋状の赤い痕だった。しかし、それだけではない。その痕の中には、小さな穿刺創が二つあった。
「蛇に噛まれた?」
エドマンドが眉をひそめた。
「しかし、この時期、この場所に毒蛇がいるとは考えにくい」
「体温は低下している」
トーマスは医師として冷静に観察を続けた。
「死後数時間は経過しているようだ。おそらく深夜から未明の間に……」
サー・ジョージは顔を覆った。
「なんということだ...ヒューバート……」
シャーロットとヘンリーも庭に出てきた。
シャーロットは遺体を見て顔を背けたが、すぐに決意を固めたように前を向いた。
「叔父様、これは事故ではありませんね」彼女は言った。
「ああ」
エドマンドは頷いた。
「しかし、殺人だとすれば、極めて奇妙な方法だ」
ヘンリーは黙って遺体を見つめていた。彼の指のサファイヤが、朝日を受けて青く輝いていた。
「昨夜、彼は鍵のかかった部屋にいたはずです」
執事が震える声で言った。
「どうやって外に出たのか……」
「まず警察を呼ぶべきだ」トーマスが提案した。
「それから、彼の部屋を調べる必要がある」
一行は屋敷に戻り、まず警察に連絡を取った。
しかし、この郊外の地では警察が到着するまでに時間がかかるだろう。その間に、彼らは独自の調査を始めることにした。
ヒューバートが閉じ込められていた部屋へ向かった。扉には外側から鍵がかかっていた。執事が鍵を開け、中に入る。
部屋は荒らされていた。家具は倒れ、カーテンは引き裂かれている。窓は開いていた……内側から。
「窓から逃げ出したのか」
エドマンドは窓辺に近づいた。
「しかし、ここは二階だ。飛び降りるのは危険だが、不可能ではない」
窓の外を見ると、下には茂みがあった。その枝が何本か折れている。
「彼はここから飛び降り、バラ園へ向かった」
トーマスが推理した。
「しかし、なぜ? 何に追われていたのか?」
シャーロットが床に落ちていた紙片を拾い上げた。
「叔父様、これを」
それは古ぼけた地図の断片だった。複雑な線と記号が描かれており、何かの場所を示しているようだった。そして、その中央には、トパーズの絵が描かれていた。
「これは……」
エドマンドは地図を凝視した。
「彼が言っていた財宝の地図か?」
「しかし、これだけでは何も分からない」
トーマスは言った。
「断片に過ぎない」
ヘンリーが突然、口を開いた。「昨夜、彼は『青い瞳を持つ者なら宝石の真の力を解放できる』と言いました」
全員が彼を見た。
「つまり」
ヘンリーは続けた。
「彼は僕のことを知っていた。私がサファイヤの指輪を持っていることを」
「まさか」エドマンドは眉をひそめた。
「しかし、それを彼に教えたのは誰だ?」
その時、下から執事の声が響いた。
「エドマンド様! 来客です!」
一行は階下へ急いだ。
玄関には、黒いコートを着た痩せた男性が立っていた。彼の目は鋭く、口元には冷たい笑みが浮かんでいた。
「初めまして」男は丁寧に頭を下げた。
「私はセバスチャン・ヴェイルと申します。ヒューバート・ハロウェイ氏の債権者の代理人です。彼の死を聞きつけて参りました」
「早いですね」
トーマスが疑わしげに言った。
「まだ警察にも連絡したばかりなのに」
セバスチャン・ヴェイルは微笑んだ。
「私どもは、ヒューバート氏の動向を常に把握しておりました。彼には多額の借金がありましたので」
「それで、何の用です?」
サー・ジョージが厳しく尋ねた。
「債務の件ですが」
ヴェイルは言った。
「ヒューバート氏は亡くなられましたが、彼の残した債務は消えません。そして、彼は生前、ある担保を提示していました」
「担保?」
ヴェイルの目がトパーズのブローチに向けられた。
「あの家宝を担保として、彼は最後の融資を受けようとしていたのです。つまり、法的には、あのトパーズは今や私どもの所有物ということになります」
「何だと!」サー・ジョージは憤慨した。「ヒューバートにはそんな権限はない!」
「それは裁判で決めることになりますね」
ヴェイルは冷たく微笑んだ。
「しかし、もし私どもが譲歩するとすれば……あのトパーズに関する、ある情報と引き換えになるでしょう」
「情報?」
エドマンドが尋ねた。
「ええ」
ヴェイルは声を落とした。
「トパーズの呪い、そして、蛇の叡智団との繋がりについてです」
その名前を聞いた瞬間、エドマンドとトーマスは凍りついた。
蛇の叡智団……前回の事件で彼らが戦った、あの秘密結社が、またも姿を現したのだ。
第四章 呪いの系譜
応接室で、セバスチャン・ヴェイルは落ち着いた様子で座っていた。
エドマンド、トーマス、サー・ジョージ、そしてシャーロットとヘンリーが彼を囲んでいた。
「蛇の叡智団について、何を知っているのですか?」
エドマンドが直截に尋ねた。
ヴェイルは紅茶を一口飲んでから答えた。
「ああ、あなた方が以前、彼らと関わりを持ったことは存じております、ウィンダム医師。サミュエル・モルデカイの狂気の実験を阻止したと」
「では、あなたも彼らの一員なのか?」
トーマスが警戒した声で言った。
「いいえ」
ヴェイルは首を横に振った。
「私は単なる債権回収業者です。しかし、商売柄、様々な秘密に触れることになります。ヒューバート・ハロウェイが関わっていた人々の中に、蛇の叡智団の残党がいたのです」
「残党?」
「モルデカイの逮捕後、組織は分裂しました。しかし、完全に消滅したわけではありません。新たな指導者の下、彼らは活動を続けています。そして、彼らの新たな目標の一つが……トパーズです」
サー・ジョージが前のめりになった。
「なぜトパーズが? 前回の事件はサファイヤと青い瞳に関するものだったはずだ」
「確かに」
ヴェイルは頷いた。
「しかし、蛇の叡智団の研究は、特定の宝石と人間の瞳の色との関係性全般に及んでいます。サファイヤと青い瞳、エメラルドと緑の瞳、そして……」
「トパーズと黄金の瞳」
シャーロットが息を呑んだ。
「その通りです、お嬢さん」
ヴェイルは微笑んだ。
「伝説によれば、トパーズのブローチを真に所有できるのは、黄金の瞳を持つ者だけだと。そして、その者だけが、ブローチに隠された秘密を解き明かすことができる」
「しかし、黄金の瞳など聞いたことがない」
トーマスが反論した。
「医学的にも、そのような瞳の色は」
「稀ですが、存在します」
ヴェイルは遮った。
「極めて稀な遺伝的特徴です。琥珀色、あるいは黄金色と形容される瞳を持つ人々が、歴史上、確かに存在しました。そして、ハロウェイ家の先祖の中にも、そのような者がいたと記録されています」
サー・ジョージは驚いた表情を見せた。
「私の先祖に?」
「18世紀、インドからこのトパーズを持ち帰ったとされるあなたの曾祖父、サー・エドワード・ハロウェイは、黄金の瞳を持っていたと文献に記されています」
ヴェイルは古い書類を取り出した。
「そして、彼は実際に、トパーズを使って何らかの秘密を発見したようです。その秘密が、財宝の伝説の元になった」
「では、その秘密とは何なのですか?」
エドマンドが尋ねた。
ヴェイルは肩をすくめた。
「それは分かりません。しかし、蛇の叡智団は、それが彼らの究極の目的……人類の進化に関わる重要な知識だと信じています」
「馬鹿げている」
トーマスは吐き捨てた。
「宝石に神秘的な力があるなど、非科学的だ」
「しかし、前回の事件で見たものは?」
ヘンリーが静かに言った。彼は自分の指輪を見つめていた。
「このサファイヤには、確かに何かがある。科学では説明できない何かが」
沈黙が降りた。誰もその事実を否定できなかった。
「ヒューバートは、どこでこの情報を得たのですか?」
エドマンドが尋ねた。
「彼は賭博場で、ある人物と出会いました」
ヴェイルは答えた。
「その人物は、トパーズの秘密を教え、ヒューバートに青い瞳を持つ者を探すよう唆したのです。おそらく、その人物こそが蛇の叡智団の工作員だったのでしょう」
「つまり」
シャーロットが推理した。
「ヒューバートさんは利用されていた。彼を通じて、蛇の叡智団はこの屋敷に接近し、トパーズを手に入れようとした」
「そして、用済みになったヒューバートは……」
エドマンドは暗い表情で言った。
「殺された」
トーマスが続けた。
「しかし、あの殺害方法は異常だ。蛇の痕のような絞殺痕、毒の痕跡...まるで本当に大蛇に襲われたかのような」
「蛇の叡智団は、その名の通り、蛇を神聖視しています」
ヴェイルは言った。
「彼らの儀式や処刑方法にも、蛇が用いられるという噂があります」
その時、窓の外から警察の馬車が到着する音が聞こえた。
「警察が来たようですね」
ヴェイルは立ち上がった。
「私は今日のところは退散します。しかし、覚えておいてください。トパーズをめぐる争いは、まだ始まったばかりです。蛇の叡智団は、必ずこの屋敷を再び狙うでしょう」
彼は扉へ向かったが、最後に振り返った。
「一つ、忠告を。昨夜、ヒューバートは『黄金の鱗を持つ蛇』と言いました。それは蛇の叡智団の新しい指導者の異名です。その者は、極めて危険で、そして……」
ヴェイルは声を落とした。
「その者自身が、黄金の瞳を持っていると言われています」
その言葉を残して、彼は去っていった。
エドマンドたちは顔を見合わせた。事態は予想以上に複雑で、危険だった。
やがて、警察の捜査官が入ってきた。しかし、彼らの説明を聞いても、田舎の警察官たちには事件の真相を理解する術がなかった。蛇による殺人など、彼らには信じられなかった。
「恐らく、何者かが特殊な道具を使って絞殺し、それを蛇の仕業に見せかけたのでしょう」主任捜査官は結論づけた。「動機は不明ですが、ヒューバート氏の借金問題に関連しているかもしれません」
エドマンドはそれ以上、警察に説明する気になれなかった。蛇の叡智団について話しても、理解されないだろう。
警察が遺体を運び出した後、屋敷には重苦しい空気が漂った。
サー・ジョージは書斎にこもり、トパーズのブローチを見つめていた。
「私のせいだ」彼は呟いた。「このブローチを持っていたがために、ヒューバートは死んだ」
「違います」
エドマンドは恩師の肩に手を置いた。
「ヒューバートを殺したのは、彼の欲望と、それを利用した者たちです」
「しかし、もしヴェイルの言うことが本当なら」
サー・ジョージは顔を上げた。
「蛇の叡智団は、まだこのトパーズを狙っている。私は、皆を危険に晒している」
「ならば」
トーマスが言った。
「私たちがその謎を解き明かすしかありません。トパーズの真の秘密を知り、蛇の叡智団より先にそれを確保する」
「しかし、どうやって?」
サー・ジョージが尋ねた。
「私には黄金の瞳はない。このブローチの秘密を解く術がない」
シャーロットが思案顔で言った。
「以前の事件で、レイラ・セレスティア……虹夫人が、薬草で瞳の色を変えていたことを思い出してください。もし、そのような方法で一時的に黄金の瞳を作ることができれば……」
「危険だ」
エドマンドは即座に反対した。
「虹夫人の薬は、副作用があるかもしれない」
「しかし、それが唯一の方法かもしれません」
ヘンリーが言った。
「僕のサファイヤは青い瞳と反応した。ならば、トパーズも黄金の瞳と何らかの反応を起こすはずです」
その夜、彼らは長い議論を続けた。そして、一つの結論に達した。
彼らは、かつて虹夫人と接触していた人物……前回の事件で協力してくれた情報屋……に連絡を取ることにした。もし誰かが瞳の色を変える薬草の知識を持っているとすれば、その者だろう。
しかし、その決断が、さらなる危険への扉を開くことになるとは、この時誰も気づいていなかった。
深夜、眠れないエドマンドは窓辺に立っていた。森の闇の中に、何か動くものが見えた気がした。
黄金色の光が、木々の間で瞬いた。
そして、どこからともなく、蛇の鱗が擦れ合うような音が聞こえた。
彼らは、すでに監視されていた。
続く
(第3作「トパーズの魔眼」は、この後も展開していきます。虹夫人の再登場、黄金の瞳を持つ蛇の叡智団の新指導者との対決、そしてトパーズに隠された驚くべき秘密が明らかになっていきます)
