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48歳の女性編集者が気を遣われまくっていて気まずい。

はじめましての人も、お久しぶりの人もこんにちは。
編集部の松永です!
まずは簡単に自己紹介をさせてください。

私は新卒でサンクチュアリ出版に入社し、総務部→営業部→編集部の流れで12年、その後フリーランスで3年ほどお世話になりました。
子育てもあり仕事からすっかり離れていたんだけど、去年復職。
今は、サンクチュアリ出版専属のフリー編集者のような形で働かせてもらってます。

実に十数年ぶりの編集職なんだけど、いやぁ、厳しい。たいへん厳しい。
出版をとりまく環境が変わりすぎていて、ゼロからのスタートと言っていいほど。なんなら知識があるだけに、それらが足枷になってる。

十数年前の古びたカーナビがずっと私に話しかけてくるような。
「200メートル先、右折です」
と言われて曲がろうとしたら道は草ボーボーで覆われていて、頭上には新しい高速道路が走ってる。

それくらい道すじもスピードも変わっている。
ゼロどころか、マイナスからのスタートに近いのかも。

復職してから苦しみながらも『捨てないレシピ『日本史の詰んだ人図鑑』と2冊の本を企画、編集担当させてもらい、今も新しい児童書の出版に向けて日々奮闘中です。

さて、話を本題に近づけます。

本を出すための第一関門。
それはなんと言っても「企画を通すこと」。
初手にして、いきなりラスボスきた!

出版社や編集者のタイプにもよると思うけど、何十本と考えてようやく1本企画が通る、なんてこともめずらしくない。
私自身も10本思いついて、「これはいける」と企画書まで書くのは2本くらい。
実際に本になるのは、そのうち1冊。

頭の中だけで消えていく企画が圧倒的に多い。
企画打率1割。プロ野球選手だったら2軍すら危うい。ただ、編集者は案外そんなもんだったりする。たぶん。

サンクチュアリ出版では副社長、編集長、営業部長の3名が集まる会議で企画通過の最終決定が行われる。
この場へ唐突に企画を持っていくのは、予選をすっ飛ばして優勝決定戦に放り込まれるようなもので、ボコされる可能性が非常に高い。

なので、事前にもっと気楽に
「こんな企画を考えてるんだけど、どう思う?」
「この企画、もうちょっとブラッシュアップしたいんだけど」
と編集部みんなに相談できる場を、編集会議という形で月に1回設けている。

事件は、その編集会議の場で起こった。

ある企画案を思いついた私は、ちょっとワクワクしていた。
「作るのは大変そうだけど、これはうまくいけば良いシリーズものになるかも」
そんな気がしていたからだ。
さっそく編集部のみんなに相談してみる。

「作るのは大変そうなんだけど、固定ニーズはありそうだなって」
みんな「……」

「類似した本も意外と出ていないし」
みんな「……」

「やるなら同時に複数冊発売できたらなって」
みんな「……」

みんな、いるーーーー?

東京って、こんな静かだったんか。図書館の方がまだ雑音あるて。
さっきまで楽しく雑談してたのに、みんなのうつむき加減が半端ない。
誰とも目が合わない。私と目が合ったら石にでもなるんかな。こんなところでメデューサの気分を味わうなんて。

沈黙を破ったのは、年上デザイナーのIさん。
Iさん「作るのが大変って言ってたけど、どのへんが大変そう?」
「確認を取らなきゃいけない関係者が多そうで」

続いて、自分の子どもでもおかしくない年齢の女性編集者Oさん。
Oさん「このコンセプト、学生時代に学校側からよく言われていました」
「そうなんだ。やっぱり大事なんだね」

そして、私と入れ替わるように入社した女性編集者Yさん。
Yさん「書店のどの棚に置くのか、ですよね」
「だよね。語学書とか、学参あたりになるのかな」

……。みんな、ぜんぜん企画そのものについて触れない。

「おもしろい」も
「つまらない」も
「ちょっと違う」もない。
外堀だけをものすごいゆっくり埋めていく。
本丸だけがぽっかり空いている。誰もいっさい近づかない。

このとき、私ははっきり自覚した。

「この企画、つまんないんだ…!」

と同時に
「私もそんな立場になってしまったんか」
とも。

立場というか、年齢というか。
こういう話は聞いたことがあった。
年上の人に気を遣って、意見が言いづらい。
「こりゃダメだ。話にならない」と思ったとしても、言えない。
本人には見えないところにそっと、しかし、ベッタリと取扱注意のシールが貼られている。

それが私自身の身に起こった。
しかも気を遣われる側の立場で。
自分ではまだ気を遣う側のつもりでいたのに、会社に戻ってきたら気を遣われる側になってた。
まぁそうか。私、48歳だし仕方ない。
会社勤めしてなくても、年齢だけはしっかり重ねてるんだったわ。

沈黙が続く中、3秒あまりでこれらのことをざっと考え、私はできるだけ気まずくならないような表情と声色で編集部のみんなにこう言う。
「ありがとうございます〜。もうちょっと考えてみますね!」

そのまま電車で帰路に着いた。
座席にかけていつものように本を開いたけど、一文字も頭に入ってこない。
同じフレーズを何度も繰り返し読んでいる。
ぐるぐると感情がうごめいているのがわかる。呼吸も浅い。
観念して本と目を閉じ、自分の感情と向き合う。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。
気を遣われる年齢になるって、みんなに等しく訪れることじゃん。
むしろこの状況に気づけた私、えらすぎると思うよ。客観的に見て、自分を褒めた方がいい。

そして若かった頃の自分を振り返る。気を遣う側だった年齢の自分。
……。
思い出せない。四半世紀前のことだから当然か。

いや、待てよ。

私ってそもそも気を遣ってきたこと、あったんかな?

気を遣ってきた記憶をたぐりよせるつもりが、
傍若無人にふるまってきた自分しかよみがえってこないんだが!

若かった頃の私は誰に対しても
「そもそもニーズあります?」
「この手の企画はありふれているから差別化が難しい」
みたいなことを、わりと普通に言っていた気がする。いや、気がするんじゃない。確実に言っていた。

そのときの私はたぶん自分のことを
「嘘をつけない正直な若手」
くらいに思ってたんだと思う。
白黒つけたい。グレーは嫌。

まわりをいっさい見ずに、自分が正しい、自分はよく分かっていると、どんな場面でも全力ストレートボールを投げまくっていた。
暴投して周囲が迷惑を被っていても、それに気づきもせず。

若さゆえだと思っていたけど、今回の編集会議でよく分かった。
私が単純に未熟だったんだわ。
今いる編集部のみんなは私にそれをしなかった。
言葉を選び、ダメだとは言わないまま、少しずつ別の話を重ねていって、気づいたら企画の弱さを突きつけられるような流れ。

私を腫れ物扱いしてるんじゃなく、みんなめちゃくちゃ優しいだけ。
私が若い頃に持ち合わせていなかった「人を傷つけない伝え方」を年齢関係なく標準装備してる。

「48歳にもなると、こんなに気を遣われるんだ」と感じたのは勝手な被害妄想で、自分の感情にちゃんと向き合ってみると、私がショックを受けたのは「気を遣われたこと」じゃなくて、みんなの優しさに触れて、「若い頃の自分がどれだけ人に気を遣ってこなかったか」に気づいてしまったからだったんだよな。

編集部のみんなから、私自身に赤字を入れてもらった気分だ。
削ったほうがいい思い込みがあって、
認めざるをえない未熟さがあって、
見直したほうがいい受け取り方があった。

48歳、出戻り女性編集者。
まだまだ私には赤字がたくさん残っている。
校了できるのは、当分先になりそうだな。

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