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文豪異聞禄宮沢賢治版「鶴の恩返し」注文の多い機織り小屋

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導入

昔話は、語り直すたびに、
その時代の心を映す鏡になります。

もし宮沢賢治が「鶴の恩返し」を書いたなら、
それはきっと、
単なる恩返しの物語では終わらないでしょう。

人の欲望。
自然のいのち。
そして、祈り。

今回は賢治の世界観を借りて、
あの有名な昔話をもう一度歩いてみます。


第一章 雪の林


雪の森と暖かな灯火

雪の降る晩でありました。

山の奥へ炭を売りに出た若い男は、帰り道をまちがえて、見知らぬ林の中へ入りこんでしまいました。

木々はみな白くこごえ、枝からは粉のような雪が落ちてきます。

そのたびに、ひのきや松の枝が凍って

カチ、カチ

と小さく鳴りました。

空気はつめたく、けれども硝子のように透きとおっていて、男の足音だけがやけにはっきり耳へ返ってきました。

男は腹もへっていましたし、肩にかついだ炭俵もずいぶん重くなっていました。

「どこでもいいから、灯りのあるところへ出たいものだ」

そう思って歩いていると、林の奥にぽうっと黄色い光が見えました。

近づいてみると、小さな家がありました。

機織り小屋のようでもあり、西洋の店のようでもある、どこか奇妙な家でした。

戸の上には札がかかっていました。

「どうぞお入りください。旅のお方、大歓迎。」

男はほっとして戸を開けました。

中は思いのほかあたたかく、白い湯気のようなものが立っていました。

次の戸には、また札がありました。

「どうかここで、町のけはいをお脱ぎください。」

男は苦笑しました。

その次の戸には、こう書いてありました。

「どうか欲ばりな心を、ここでお捨てください。」

男はその札を見て、なぜか胸の奥が少し冷たくなりました。

けれどもいちばん奥の戸には、やさしい字でこう書いてありました。

「ほんとうにお困りの方なら、どうぞお入りください。」

男はその戸を開けました。


第二章 娘


山小屋の夜の温もり

戸をあけると、炉の火が赤く燃えていました。

その前に、一人の娘が坐っていました。

着物は雪のように白く、肩には月の光のような淡い影がかかっていました。

顔立ちは人間の娘のようでありながら、どこか鳥が遠くを見るときのような、澄んだ寂しさがありました。

娘は男を見ると、少し驚いたように言いました。

「どうしてここまで来たのです」

男は道に迷った事情を話しました。

娘はしばらく黙って聞いていましたが、やがて静かに言いました。

「あなたは去年の冬、罠にかかった鶴を助けた人ですね」

男はそのとき、思い出しました。

雪の野原で、一羽の鶴を逃がしてやったことを。

娘はそれ以上は言いませんでした。

ただ男に温かい粥をすすめ、夜が明ける前に小屋を出るように言いました。

「ここは、人をもてなす家のように見えますが、
ほんとうはそうではないのです」

男にはその意味が、よく分かりませんでした。


第三章 機織り


雪の中の扉前の男

それから数日後、男の家を一人の娘が訪ねてきました。

「あの晩のお礼に、しばらくここで働かせてください」

男は驚きましたが、ひとり暮らしの寒い家に人の声がするのはありがたいことでした。

娘はよく働きました。

水を汲み、火をおこし、畑を手伝い、そしてある日こう言いました。

「どうか機をひとつ貸してください。
布を織りますから。

けれども、織っているあいだは
決して中を見ないでください」

男はうなずきました。

やがて機織り部屋から、かすかな音が聞こえてきました。

トントン。

キシ、キシ。

その音は、ただの機織りの音ではありませんでした。

雪が枝から落ちる音。
遠い川の氷がひびく音。
夜空を渡る鳥の羽音。

そんなものまで、いっしょに織りこまれているようでした。

できあがった布は、見たこともないものでした。

それは白でも銀でもなく、

まるで 氷長石(ムーンストーン)の霧 のように
淡く、冷たい光を放っていました。

町へ持っていくと、たいへん高く売れました。

男は大層よろこびました。


第四章 修羅


長い夜と欲望の先に

はじめのうち、男はただ感心していました。

けれども二度、三度と布が売れるうちに、胸の奥に妙な熱が生まれてきました。

もう一反あれば、屋根を直せる。

もう一反あれば、畑を広げられる。

もう一反あれば、この貧しい暮らしを終われる。

男は言いました。

「もう一度だけ織ってくれないか」

娘は静かにうなずきました。

けれどもそのたびに娘はやせ細り、声も弱くなっていきました。

それでも男は言いました。

「この前より、もっとすばらしい布ができるだろう」

その言葉を口にしたとき、男の胸の中には奇妙な札が並んでいました。

もっと。

まだ足りない。

もう少し。

男はふと、あの森の小屋のことを思い出しました。

あそこにも、たくさんの札がありました。

けれども今、自分の胸にかかっている札は、
あれよりもずっと冷たく、ずっと底なしのものでした。

その夜、男は外へ出ました。

雪の空には星が静かに光っていました。

男は思いました。

ああ、ぼくは修羅だ。

こんなに卑しくて、
こんなに恐ろしい生きものだったのか。


第五章 雪と祈り


雪の中の織姫と男

雪の深い夜でした。

林の奥で、ひのきや松の枝が凍って

カチ、カチ

と小さく鳴りました。

機織り部屋から聞こえる音は、もう木の音ではありませんでした。

ビリ、ビリ。

トントン。

キシ、キシ。

それは、柔らかなものを裂くような音でした。

男は立ち上がりました。

見てはならない。
そう思いながらも、戸のすきまへ手をかけました。

中には娘はおりませんでした。

ただ一羽の鶴が、月の光の中で、自分の羽を一本ずつ抜き、それを機へ織りこんでいました。

羽が抜かれるたび、白い羽毛がふわりと浮かび、糸の中へ吸いこまれていきました。

その布は、

凍った窒素の光 のように
静かに輝いていました。

男はその場に崩れ落ちました。

鶴はふり向きました。

その眼は、あの炉の前に座っていた娘の眼と少しも変わりませんでした。

「見てしまいましたね」

男は声をふるわせました。

「すまない。ぼくはこんなつもりでは」

鶴は静かに言いました。

「ええ。
人はたいてい、最初からこんなつもりではないのです」

そして続けました。

「けれども人の『もっと』という心は、
雪より冷たく、
風より深く、
ほかのいのちを削ってしまうことがあります」

夜明けが近づいていました。

東の空が、紙を透かしたように青くなりました。

鶴は小さく鳴き、戸を開けました。

そして白い朝の光の中へ、静かに飛び立っていきました。

あとには一反の布が残されていました。

それは売るための布ではありませんでした。

見ていると、胸の奥の深いところが

しん

と冷えてくるような布でした。

男はその布を抱え、雪の中に膝をつきました。

空にはまだ、夜の名残の星がいくつか残っていました。

男は小さな声で言いました。

「どうかこの布が、
いつか、ほんとうの誰かの幸になりますように」

雪は

しん、しん

と降りつづいていました。

その祈りを、林ぜんたいが静かに聞いているようでした。


あとがき

昔話は、語り直すたびに違う顔を見せます。

もし宮沢賢治が「鶴の恩返し」を書いたなら、
それはきっと、
恩と罰の物語ではなく、

人の欲望と、
それでも残る祈りの物語になったのではないでしょうか。


次回予告

今回で、文豪異聞禄「鶴の恩返し篇」は、
五人の文豪による語り直しがすべて出そろいました。

同じ昔話でも、
書き手が変わるだけで、物語の光り方は大きく変わります。

狂気の美。
静かな祈り。
そして、人間という存在の不思議。

次回は、
「鶴の恩返し篇」を終えてのあとがき回として、

五人の文豪が描いた世界をあらためて振り返りながら、
この連作がどのように生まれたのか、
そして昔話を「語り直す」という試みについて、少しだけお話ししようと思います。

文豪たちの声が去ったあと、
物語の余韻だけが、静かに残っています。

その余白を、もう一度だけ眺めてみましょう。

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