生きる意味より、最後にどう死にたいのか
16歳ぐらいの頃、生きる意味について考えたことがある。誰でもこれぐらいの年齢になるとなんか哲学者みてーにグダグダ考えるものではないか?で、このときに出した結論というのが今まで一切変わってない。
「生きる意味より死ぬ直前にどうやって満足して死ぬかでは?」
これである。つまり、望む死に方から逆算したらいいんじゃね?戦法である
ただこれが考えてみると相当なハードモードであった
自殺→自殺したくなるような苦しみ抱えてるからBAD
病死→絶対苦しんで死んでるからBAD
事故死→絶対未練残してるわーBAD
他殺→これも未練!!!BAD!!
まぁ他にも過労死とかいっぱいあるが、こういったものを全部回避した上で「寿命を全うした上で、死ぬ直前満足して死ぬ」ということ達成せねばなるまい。これが無茶苦茶難しい。特に病死の回避。
で、どうゆう死に方なら満足して死ねるのか?だが
「大型犬を飼っていて~、庭付きの一軒家・・子供は男の子と女の子二人で・・・愛する旦那さんと子供や孫に看取られて死ぬの・・♥」
こうゆう、幸せな家庭・・♥ 系が何百回シュミレートしても思いつかなかったのだ。
この時点ではなんで俺がこうゆう幸せな家庭を作って死にたいと思えなかったのか、全くわからなかったんだが今思うと当然の話。
小さい頃に親父が不倫しまくってそれに追い詰められた母親が俺を連れて何回か無理心中しようとしたみたいなことがあり、まぁこの頃の記憶はほぼ抹消されているんだが。俺の中に「幸せな家庭なんて存在しない」という闇みたいなのがあったんだろう。
しばらく何回シュミレートしても「幸せな死に方」というのが思いつかなかったんだが18ぐらいの頃にこれだ!と思ったのが
「知らんやつたくさんに囲まれて死にたい」
いいだろうか
知らんやつというのは、なんか町中で内臓が爆発して突然死して通行人に看取られたいとかそうゆうのではなく
まー、例えば俺がなんらかの行為(カウンセラーとか)で助けた人を弟子にしたりして
そうゆう人たくさん+その弟子が助けた人たくさん+その弟子の弟子たくさん
みたいな
もうここまで輪が広がってくると俺を看取ろうとして殺到する人の中には
「誰やねんお前!!」
みたいな全然知らん人が混じってくるはずである。
なんかこれがいいなって思ったんだよね。
自分でも何言ってるかわからないがついてきているか?読者よ・・
俺が直接関わったわけでもない人が「えぇっ!?あの人が死んでしまうのかい?!」みたいな感じで看取りにきたら、なんか「やってやった」って思って死ねると思うんだよね
この「やってやった」というのは「爪痕残してやった」感に近い。
満足して死ぬためには、なにか自分が満足する形でこの世界に爪痕を残してやらないといけないのだ。
というわけで、俺は今後も最高の死に方を目指して生きるわけだ
