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50代 無職|私がおじいちゃんになったら

数日前、娘がわが家にやってきました。

娘は27歳。今年結婚して、今は私の家から1時間ほどのところに住んでいます。
だいたい月に一度くらいはふらっと帰ってくるので、またいつものような感じかな、と思っていました。

娘はダイニングテーブルで、私の前に座ると
「お父さん。ちょっと、これ開けてみて」
と言って、洋菓子でも入っていそうな花柄の箱を差し出してきました。

お、スイーツでも買ってきてくれたのかな?と一瞬思いました。

開けてみると、中には白黒の写真が入っていました。

エコー写真でした。
赤ちゃんができたそうです。
私にそれを報告しに来てくれたのです。

「そうかそうか!よかったな~!」
私はそう言って、また写真を眺めながら、

「ああ、自分もおじいちゃんになるのかあ」
と、なんだか不思議な気持ちになりました。

しかし私の横にいる妻は、私のように驚きのリアクションがありません。

「あれ?もしかして知ってたの?」
と聞くと、
「うんうん、先に聞いてた」
だって。なんじゃそりゃ。

性別はまだ分かりません。
とにかく、無事に生まれてきてほしいと思います。

〈街路樹のセミを見ながら〉
翌朝、電車で横浜駅へ行き、そこからみなとみらい方面へぶらぶら散歩してみました。

真夏の午前中。
みなとみらいは、この数十年で急速に開発された、商業施設やオフィスビルが立ち並ぶ地区ですが、ところどころにはきれいに手入れされた植樹もあります。

ビルの合間に植えられた木々の周辺では、たくさんのセミが鳴いていました。
近年開発された一帯ですから、ずっと昔からそこに立っているような大木ではなく、比較的若そうな木が多いのですが、そんな木々からセミの合唱が聞こえてきます。

鳴き声のする木のそばへ行き、しばらくセミを探して、木を見上げてみました。
55歳にもなって、少年に戻ったような気分です。
私は子どもの頃、虫取りが大好きでした。
夏休みになると、虫かごと網を持って、セミやカマキリ、クワガタなんかを探して歩き回っていました。

そんなことを思い出しながら、木に止まったセミを見つけ、私はふとその一生のことを考えました。

セミは、何年ものあいだ土の中で幼虫として過ごし、最後に地上へ出て羽化します。
そして大きな声で鳴き、繁殖活動をして、その生涯を終えます。
私たちが普段目にするセミの姿は、その長い一生の最後、ほんのわずかな期間なんですよね。

そう思うと、目の前で鳴いている一匹のセミも、少し違って見えてきます。
今まさに、一世一代、最後の役目を果たさんとしているところなのでしょう。

そして、もうひとつ気になったことがありました。

ここは、みなとみらいです。
セミが何年も地中で過ごしているあいだに、地表が舗装されたり、建物が建ったりすることもあるでしょう。
そうなったら、地中のセミはどうなるんだろう?

満を持して地上へ出ようとしたら、構造物があって出られず、そこで死んでしまうのか。
それとも、表層が土のところまで地中を横に移動するものなのか。

実際のところは分かりません。
少し調べた限りでは、この点に関する答えは見つかりませんでした。

ただ、もし何年も土の中で過ごした末に、地上へ出ることができないまま一生を終えるセミがいるのだとしたら、なんだか少し切ないなと思いました。

結局、成虫になることは叶わず、誰にも知られないまま土の中で生涯が終わってしまう。
そう考えると、今目の前で鳴いているセミは、無事に地上までたどり着いた運のいいセミなのかな、と。

そんなことを、街路樹の下で一人考えていました。
すぐ横のオフィスビルの中では、私と同年代の人たちがきっとバリバリ働いているわけですが、私はというと、そのすぐそばで、こんなしょうもないことを考えている。

まったくもって非生産的ですが、まあ、それはそれで。

〈一緒に不思議がるおじいちゃんでいたい〉
木に止まったセミを見つけ、写真を撮ろうと、そっと忍び足で近づく私。

するといつの間にか、私の隣に小学校1年生くらいの男の子がピッタリくっついて、私の視線の先を見つめています。
少し離れたところで、お母さんらしき女性がその姿を見守っています。

「そうだ。自分にも孫ができるんだ」
私はセミを眺めながら、そのうち孫と一緒にセミを追う日が来るのかな、と少し想像しました。

男の子か女の子かはまだ分かりません。
そもそも、虫に興味を持つ子なのかも分かりません。

でも、一緒に散歩していてセミの抜け殻を見つければ、
「これ何?」
と聞いてくるかもしれない。
セミの鳴き声がする方を、一緒に見上げることもあるかもしれません。

子どもって、いろいろなものに興味を持ちますよね。
大人にとっては見慣れてしまって、何も考えずに通り過ぎてしまうようなものでも、子どもにとっては初めて見るものばかりです。
「なんで?」
「どうして?」
「これは何?」
そんな疑問が次々に出てくる。

でも大人になるにつれて、そういう純粋な好奇心は少しずつ失われていくものです。

だから、もし孫が何かを不思議に思ったとき、
「これはこうと決まってるんだよ」
「そういうものなんだよ」
と簡単に片づけるおじいちゃんには、私はなりたくないな、と思います。

「なんでだろうね」
と、一緒に考えてみたい。

もしかすると、こちらが今まで一度も考えたことのないような疑問を投げかけてくるかもしれません。
それも面白そうです。

これからの時代、知りたいことの答えや成果物だけなら、AIで手に入れること自体は簡単でしょう。

だからこそ、そんな好奇心や探究心は、むしろこれから大切になっていくような気がします。
別にそれは、将来、経済的に成功するためではありません。
単純に、人生を面白くするためです。

世の中には、自分が知らないことが山ほどある。
それを面白がれること。
何かを見て、不思議だと思えること。
そういう感覚は、人の人生を少し豊かにしてくれるんじゃないかと思っています。

もちろん、これから生まれてくる孫がどんな子なのかは分かりません。
私の考え方を教えたいとも思いません。
ただ、もし何かに興味を持ったら、その好奇心の芽を摘まずに、一緒に面白がれるおじいちゃんではいたいかな。

セミを見つけたら、一緒に木を見上げる。
分からないことがあったら、どうしてそうなっているのか一緒に考えてみる。

まあ、あまり変なことまで教えると、
「ねえお父さん、暇だからって余計なこと教えないで」
と娘に怒られるかもしれませんが笑


夏の朝、ビルの狭間。


このとき撮ったセミ。私の隣には、知らない男の子がいます笑

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