死亡届を出した日が、めいの誕生日だった
今日、ようやく市役所に
めいの死亡届を出してきた。
本当は、ずっと行けなかった。
手続き上では、
届けを出すまでめいは“生きている”ことになる。
もちろん、そんなことで現実が変わるわけじゃない。
もう会えないことも、
もう抱きしめられないことも、
分かってる。
それでも私は、
その“まだ生きていることになっている”時間を、
どこか手放したくなかった。
死亡届を出すことが、
めいの存在を社会的にも終わらせてしまう気がして。
書類ひとつで、
「この子はもういません」と
認めることになる気がして。
だから、行けなかった。
まだ、
めいとの生活をやり直したいと思っていた。
もっと早く気付いていれば。
あの日、違う判断をしていれば。
もっとこうしていれば。
そんな“もう戻れない”ばかりを抱えながら、
私はずっと、
心のどこかで
めいとの時間をやり直したかった。
でも今日、
なんとなく踏ん切りがついて、
ようやく市役所に向かった。
そして、気付いた。
今日、
めいの誕生日だった。
あまりにも出来すぎていて、
一瞬、息が止まった。
どうして今日だったんだろう。
私が、
いつまでも「やり直したい」と思っているから、
めいがわざとこの日を選ばせて、
“もう終わりなんだよ”
って伝えたのかなって思った。
ちゃんと前に進んでって、
そう言われた気がして、
苦しかった。
でも同時に、
もしかしたら違うのかもしれないとも思った。
終わりの日じゃなくて、
“めいが生まれてきて、
私と出会って、
生きた日々が確かにあった”
そう思い出させるための日だったのかもしれない。
死亡届を出した日なのに、
ただ終わりを告げる日じゃなくて、
めいがこの世に来てくれた始まりの日でもあった。
終わりと始まりが重なったその日に、
私はやっと、
めいの一生を
“後悔だけ”じゃなく見ようとしているのかもしれない。
正直、
今でもやり直したい。
できるなら最初から、
もう一度めいとの毎日を生きたい。
でも、
やり直せないからこそ、
あの日々は
本当に大切だったんだと思う。
今日の手続きは、
めいを終わらせるためじゃなくて、
めいが確かに生きて、
私の人生にいてくれたことを、
ちゃんと抱えながら生きていくための
ひとつの節目だったのかもしれない。
寂しい。
会いたい。
できるなら、
今すぐもう一度、
いつもの場所にいてほしい。
それでも、
めいが生まれてきてくれた日と重なった今日だからこそ思う。
めい、
生まれてきてくれてありがとう。
そして、
私のところに来てくれて、
本当にありがとう。
