さよならが言えないままに
風まかせ文芸部企画参加作品
☕️さよならが言えないまま
―まえがき―
行きつけの喫茶店には、誰にも語られない物語がある。
窓際の席、ひとりの客、そして香る珈琲。
それだけで、人の心は少しだけ、何かを思い出すのかもしれない。
ー本文ー
行きつけの喫茶店で、僕はいつもの珈琲を注文する。
窓際の席が僕の場所。
今朝は、先客がいた。
他の席に座り、落ち着かない僕は、マスターに聞いた。
「あの客はいつからそこにいるの?」
マスターは、小一時間前からだと言う。
そんなに前からあそこにいるなんて、誰かを待っているのかな。
僕は想像を巡らした。
――さよならが言えないまま、その場所にいるのだろうか。
僕は、そこの席に座る女性になぜか惹かれた。
僕は、好きな本を珈琲を飲みながら読むのが好きだ。
夢中になって本を読み進めていると、ふと顔をあげた。
その女性はいなかった。
ふふ、なんだ、風のように行っちゃった。
僕の一瞬の思いも、風に飛んでいったかな。
次の日も、僕は喫茶店に行った。
いつもの席に座り、いつものように珈琲を注文して本を読む。
僕のルーティンは変わらない。
マスターが言った。
「あの昨日の女性、近くに勤めているみたいで、夕方また来てたよ。」
僕はその女性のことが頭の中に残った。
また、ここで会えるかもしれない。
そんな期待をした。
夕方、もう一度喫茶店に行ってみた。
すると、彼女は僕の席に座っていた。
僕は思い切って声をかけた。
「あの、僕、いつもその席に座っていて……あ、いや、どいてとかじゃなくて……その……」
彼女はキョトンとした顔で僕を見た。
その美しさに頬が赤くなり、僕はどうしたことか、
「ご一緒させていただいていいですか?」と口走っていた。
彼女は少し困惑していたが、「どうぞ」と言った。
僕はナンパしたんじゃないんです、と心の声だけがこだました。
「この間は何かあったんですか?」
なんと初対面にもかかわらず、失礼な質問をしてしまった。
彼女は少し考えてから言った。
「その日、なかなか気持ちの整理がつかなくて。
頭をすっきりさせようと来ただけ。深い意味はないの。
それより、あなた、私のことが気になっていらっしゃるの?」
僕は直球を受けて沈んだ。
マスターが笑いながら言った。
「こいつ、女性が苦手でうまくしゃべれないんですよ。
良かったら、珈琲のお代わりサービスしますんで、話を聞いてやってください。」
彼女は僕の顔を見て、ふっと笑った。
「夕食はまだ?」
僕はこくんと頷く。
「ここのおすすめは?」
「オムライスです」
彼女はマスターにオムライスを注文し、
僕らはそれを食べながら話をした。
――もう、ずっと前から恋人だったように。
―あとがき―
誰かを好きになる瞬間は、いつも突然だ。
それは、風のように通りすぎる“さよなら”の気配の中に、
小さな“はじまり”が潜んでいるのかもしれない。
今日も珈琲の香りが、二人をそっと包んでいる。
※この物語はフィクションです。
風まかせ文芸部のお題に書かせて頂きました。
iさん、お題をありがとうございます。
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