TESEを受けた日。希望は、手術室の外で終わった
前回の記事では、妻からの電話で私が無精子症だと知った日のことを書いた。
今日は、その後に受けたTESEのことを書く。
最初に断っておくと、これは医療情報ではない。治療を勧める記事でも、誰かの選択を評価する記事でもない。あくまで、私という一人の男性が、男性不妊と診断され、TESEを受け、そこで何も見つからなかった日の記録だ。治療の判断や検査については、必ず専門の医師に相談してほしい。
無精子症だとわかったあと、私たち夫婦に残された希望はTESEだった。
精巣内精子採取術。
当時の私には、その言葉がとても怖かった。冷静に見れば医療行為の名前でしかない。けれど、自分の体にそれが行われると思った瞬間、急に現実味が増した。
睾丸を切り開く。
この一文だけで、何度も息が詰まった。男として、という言い方が正しいのかはわからない。でも、私にとってそこは、自尊心や尊厳と深く結びついている場所だった。
そこを切る。
しかも、そこまでしても、見つかるかどうかはわからない。
それでも、私はやるしかなかった。他に進む道が見えなかったからだ。
手術の日まで、私はできることを全部やろうとした。運動をした。もともと酒をたくさん飲むタイプではなかったが、飲むのをやめた。サプリも試した。睡眠も気をつけた。
生活習慣で何かが劇的に変わると本気で信じていた、というより、何もしないまま当日を迎えるのが怖かったのだと思う。
「あれをやっておけばよかった」と思いたくなかった。
たとえ結果が同じでも、自分にできることを何もせずに終わるのだけは嫌だった。今思えば、それは希望というより、後悔から逃げるための準備だったのかもしれない。
当日は、妻と一緒に病院へ行った。
妻はずっと優しかった。責める言葉は一度もなかった。怒ることも、泣き叫ぶこともなかった。ただ、私の隣にいてくれた。
その優しさが、ありがたかった。
そして、苦しかった。
私は弱音を吐けなかった。本当は怖かった。ものすごく怖かった。けれど、妻のほうがつらいはずだと思っていた。私の体が原因で、妻の人生に大きな影を落としている。そう思うと、自分が怖がる資格なんてないように感じた。
だから私は、平気なふりをした。
大丈夫そうな顔をして、医師の説明を聞いた。落ち着いている夫の顔をして、手続きをした。今ならわかる。あれは強さではない。ただ、壊れないように表面を固めていただけだ。
手術そのものについて、細かく書くつもりはない。
覚えているのは、病院の空気の冷たさと、自分の体が自分のものではないように感じたことだ。横になり、処置を受ける側になると、人は急に無力になる。
それまで私は、仕事をして、家に帰り、妻と話し、普通に生活していた。自分の人生を自分で動かしている気でいた。でもその日だけは、自分の体の中に、人生の続きを決める答えがあるかどうかを、ただ待つことしかできなかった。
待っている時間は、不思議なくらい長かった。
時計を見ても、何も進んでいないように感じた。けれど、自分のいない場所では、たしかに何かが進んでいる。その事実だけが怖かった。人生の大事な分岐点なのに、私は何もできない。祈ることすら、うまくできなかった。
精子が見つかるかもしれない。
精子細胞だけでも見つかるかもしれない。
そう思っていた。思いたかった。
期待しすぎると傷つくから、期待しないようにしようとも考えた。でも、そんな器用なことはできなかった。希望は勝手に残る。頭でどれだけブレーキをかけても、心のどこかが勝手に未来を想像してしまう。
結果は、だめだった。
精子も、精子細胞も、見つからなかった。
その瞬間、私は「終わった」と思った。
大げさではなく、本当にそう思った。何かが派手に崩れたというより、静かに電気が消えたような感じだった。最初から薄暗かった部屋の、最後の小さな灯りまで消えたような感覚だった。
木場クリニックの院長先生は、とても優しい方だった。結果がだめだったときも、少しだけ慰めてくださった。その距離感が、ちょうどよかった。
過剰に励まされても、たぶんつらかったと思う。「まだ大丈夫」と言われても、私は受け取れなかったはずだ。逆に事務的すぎても耐えられなかったかもしれない。
少しだけ、そっと手を添えるような言葉だった。
あのときの私は、慰められたいのに、慰められすぎたくなかった。そんな面倒な状態だったと思う。結果は変わらない。だからこそ、言葉の量や温度が少し違うだけで、こちらの心は簡単に崩れてしまう。
あの先生は、きっと多くの絶望を見届けてきたのだと思う。だから、患者の前で希望を雑に扱わない距離感を知っていたのかもしれない。
病院を出たあと、私は妻にまた言った。
「離婚してほしい」
泣きながらそう言った記憶がある。
今思い返しても、ひどい言葉だと思う。妻を自由にしたかった。私と一緒にいることで、妻が子どものいる人生を失ってしまうなら、せめて私から離れてほしいと思った。
でも、その言葉は同時に、妻の覚悟を否定する言葉でもあったのかもしれない。
妻は、私を責めなかった。
「もしダメだったとしても、私はあなたと一生死ぬまで一緒にいるよ」
そう言ってくれた。
この言葉に、私は今でも頭が上がらない。
救われた。
でも、救われたからこそ、背負うものも決まった気がした。私はこの人を幸せにしなければいけない。子どもがいない人生になってしまったとしても、それでもこの人が私といてよかったと思えるようにしなければいけない。
それは美しい決意というより、祈りに近かった。
妻のその言葉は、私にとって祝福のようでもあり、重い約束のようでもあった。ありがたいのに苦しい。救われたのに、申し訳なさが深くなる。矛盾しているけれど、あのときの感情は本当にそうだった。
私は妻に感謝していた。同時に、妻の優しさに甘えてしまう自分が怖かった。もしこの人が怒ってくれたら、責めてくれたら、少しは罰を受けた気になれたのかもしれない。でも妻はそうしなかった。だから私は、自分で自分を責め続けるしかなかった。
TESEでつらかったのは、結果だけではない。
術後の痛みもかなりきつかった。麻酔が切れてから、強い痛みが続いた。一日中、睾丸をつねられているような感覚が、しばらく消えなかった。
ただ、体の痛みよりも、心の痛みのほうが扱いに困った。
体の痛みは、時間がたてば少しずつ薄くなる。歩き方を工夫したり、横になったり、薬を飲んだり、現実的な対処がある。
でも、心の痛みはどこに置けばいいのかわからなかった。
「男として終わった」とまでは言いたくない。けれど、あの日の私は、そう感じてしまっていた。子どもを望む妻に対して、私は何も渡せなかった。夫として、何もできなかった。
もちろん、今の私なら少し違う言い方をする。
人の価値は、子どもを持てるかどうかで決まらない。男性の価値も、精子があるかどうかで決まらない。そんなことは頭ではわかっている。
でも、当時の私は、その言葉を自分に向けることができなかった。
正しい言葉は、たしかに大事だ。
「子どもがいなくても幸せになれる」
「夫婦の価値は、子どもの有無だけで決まらない」
「治療をやめることは負けではない」
全部、本当にそうだと思う。今の私は、そういう言葉に救われる日もある。
でも、あの日の私は違った。正しい言葉が、すぐに心まで届くわけではなかった。頭ではわかる。けれど、体の奥のほうが納得してくれない。そういう種類の痛みだった。
男性不妊のつらさは、ここにあると思う。体の問題でありながら、心の奥にある「自分は夫としてどうなのか」という場所まで揺らしてくる。検査結果の紙に書かれた文字が、人格の評価のように見えてしまう。本当は違う。違うのに、そう感じてしまう。
私はその感覚を、長い間うまく言葉にできなかった。
だから、この文章もきれいな答えとして書いているわけではない。まだ整理しきれていないものを、できるだけそのまま置いている。似た経験をした人が読んだとき、「そう感じてもいいのか」と少しだけ息をつけるなら、それでいい。
少なくとも、私はあの日の自分にそう言ってあげたかった。
当時の私は、同じ立場の男性の言葉をほとんど見つけられなかった。妻側の苦しみはもちろん大きい。けれど、男性側もまた、静かに壊れていることがある。平気な顔をして会社に行き、何もなかったように会話をして、夜だけ一人で沈む。そういう人は、きっと私だけではないと思う。
誰にも言えないまま耐えている人に、あなたの痛みは小さくないと伝えたい。
その一文を置くために、私はこの話を公開している。
遠回りでも、それが今の私の役目だと思っている。
私はTESEの結果を受けて、治療をやめることにした。というより、やめるしかなかった。
「子どもを持たないことにした」とは、今でも言えない。
私たちは選んだのではない。選べなかった。少なくとも私は、そう感じている。
諦めたという感覚しかなかった。
やめる決断には、罪悪感しかなかった。
妻への申し訳なさは、今も完全には消えていない。たぶん、一生消えないと思う。
それでも私たちは、夫婦を続けている。
子どもがいない人生を、明るく受け入れたわけではない。何もなかったことにしたわけでもない。あの日の痛みを、きれいな思い出に変えたわけでもない。
ただ、二人で生活を続けてきた。
ご飯を食べて、仕事に行って、休みの日に出かけて、くだらない話をして、時々どうしようもなく羨ましくなって、それでもまた家に帰る。
そうやって、夫婦で生きてきた。
たぶん、私たちの生活は外から見れば普通だと思う。特別に暗いわけでもないし、毎日泣いているわけでもない。旅行にも行く。おいしいものも食べる。くだらないことで笑う日もある。
けれど、その普通の生活の奥には、いつも小さな空白がある。子どもがいる友人の話を聞いたとき、親子連れを見たとき、ふとした瞬間にその空白が顔を出す。
それでも、空白がある人生は、空っぽの人生ではない。そう思える日と、まだそう思えない日を行き来しながら、私たちは今日まで来た。
もし今、この記事を読んでいる人の中に、これからTESEを受ける人がいるなら、私は簡単に「大丈夫」とは言えない。
大丈夫ではないかもしれない。怖いと思う。結果を待つ時間は、苦しいと思う。
男性側の不妊は、なかなか人に話せない。話した瞬間、自分の尊厳が壊れてしまうように感じる人もいると思う。私もそうだった。誰にも言えなかった。
だからせめて、ここには書いておきたい。
怖いと思っていい。
弱音を吐いていい。
妻や夫やパートナーのほうがつらいはずだと思って、自分の痛みを全部飲み込まなくてもいい。
あの日の私は、それができなかった。でも、本当はできたほうがよかったのだと思う。
夫婦で背負うと決めたなら、自分の痛みも差し出さないと、相手は一緒に背負えない。私はそのことに、ずいぶん後になって気づいた。
あの日の私に言えるなら、たぶんこう言う。
怖いなら、怖いと言っていい。
「俺が原因だから」と全部を一人で抱え込むことは、責任を取っているようで、実は相手を遠ざけてしまうこともある。夫婦でいるというのは、強い側が弱い側を支えることだけではない。二人とも弱いまま、それでも隣に座ることなのだと思う。
TESEの日、私の希望は手術室の外で終わった。
でも、夫婦はそこで終わらなかった。
そこから始まったものが、明るい物語だったとはまだ言えない。今も納得し続けている途中だ。
それでも、あの日に終わった希望とは別の形で、私たちは今日も一緒にいる。
それだけは、今の私が確かに言えることだ。
