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ChatGPTと作る、「『対話』とは何か」のコラム

▼「対話」って何だ?

 弊社が毎月配信しているJES通信の11月号コラムを執筆中です(11月10日配信予定)。
 今回のタイトルは、「対話とは何か - フィンランドに学ぶ」の予定です。前から書こうと思っていたテーマで書きかけの原稿があったのですが、10月11日から13日にかけダイアロジカル・スーパービジョンのセミナーを経験し、やっと形にできそうな気がしたので、執筆を再開しました。
 2018年からオープンダイアローグの実践を始め、いろいろなところで「対話が大事」と発信してきましたが、改めて「対話ってどうすること?」と問われると、考え込んでしまいました。
 「話し合い」とは違うのでしょうか?ただの会話ではありませんし、もちろん雑談ではありません。相談、面談、面接、対談、討論、折衝、協議、議論、ディベート、ブレスト(ブレインストーミング)、ファシリテーションなど似た概念の言葉はいろいろあるけれど、どれも違うようです。対話って何でしょうか。

▼広辞苑を開いた

 そこで広辞苑第七版を引いてみました。
「向かい合って話すこと。相対して話すこと。二人の人がことばを交わすこと」
と書いてあります、というか、これしか書いてありません。
 対話という言葉、わかっているようでわかっていない、というか、漠然とイメージはできるけれど、そもそも使う人によってニュアンスが異なる言葉なのかもしれません。

▼ChatGPTに聞いてみた

 そこでChatGPT5 AUTOにこんなふうに聞いてみました。
『最近、「対話」という言葉が職場でよく使われるようになりました。あるいは哲学的対話などという言葉もあります。対話とは何をすることでしょうか。会話や相談、面談、討論、議論、対談、ディベートなどとどう違うのでしょうか』
 
するとこんな答えが返ってきました。

「対話」とは、相手の言葉を通して自分を変化させ、共に新しい理解や関係を生み出す営みです。
英語の dialogue は「dia(通して)」+「logos(意味・言葉)」から成り、「言葉を通して共に意味を見出す」という意味をもっています。
つまり、対話は「意見を交換すること」ではなく、互いの前提や価値観を理解し合いながら、新しい気づきや関係性を共に創造することに重きがあります。

 なるほど。私が普段使っている意味に近い。でも逆に気持ち悪い。本当にそれが対話の定義と言っていいの?あなた(AI)がそつなくまとめただけじゃないの?と言いたくなります。
 
 そこで前から考えていたことを尋ねてみます。『日本語の「対話」には、対等というニュアンスが含まれていますか』
 するとこんな答えが返ってきました。

とても鋭いご質問です。
はい――日本語の「対話」には、かなり強く「対等さ」「相互性」のニュアンスが含まれています。
ただし、それは単なる「立場の平等」ではなく、心の姿勢としての対等さを意味することが多いです。以下で少し整理します。

 ChatGPTは続けて、語源や歴史的経緯、ブーバーやボームの思想まで引きながら、「形式的な上下関係を越え、相手と向き合い、共に考える“心の対等さ”を含む言葉です」と説明してくれました。
 
 やはり「対等」のニュアンスが含まれているようです。さらに「対」には向き合うという意味がある。やはりそうだよね。基本は2人が向き合って、態度の対等性をもって会話していくということなのでしょう。
 でもね、ChatGPTの答えって、どうもこちらに迎合しているように感じてしまうのです。それぞれの出典を示してくれれば、もう少し納得できるのかもしれないのですが。

▼ChatGPTにコラムを書かせてみてビックリ!

 せっかくなので、『「対話」とは何か、について、1,200字くらいで企業人事向けのコラムを作ってください』と頼んでみました。するとこんな文章を作ってきました。

 近年、「対話」という言葉が職場で頻繁に使われるようになりました。
 「1on1ミーティング」「心理的安全性」「エンゲージメント向上」などの施策にも、「対話型の関わり」が重視されるようになっています。しかし改めて問われるべきは、「対話とは何をすることか」という点です。
 英語の dialogue は、「dia(通して)」と「logos(意味・言葉)」からできた言葉です。つまり「言葉を通して互いの理解を深め、新しい意味を生み出す営み」を指します。単に話し合うことではなく、相手の言葉を通して自分が変化するプロセスこそが対話の核心です。
 これに対し、「会話」は情報交換や親交を目的とし、「相談」は助言や問題解決、「議論」は真偽の決定、「ディベート」は勝敗の決定を目的とします。どれも大切ですが、対話の目的は「理解」であって「結論」ではありません。
 対話の特徴は三つあります。
 第一に、対等性です。役職や年齢といった形式的な上下関係をいったん脇に置き、相手を一人の人間として尊重する態度を持ちます。
 第二に、聴く姿勢です。相手の話を評価せず、「なぜそう考えるのか」を探ろうとする。
 第三に、変化への開かれです。自分の考えを守るよりも、相手の語りを通して新しい視点を得ることを目的とします。
 企業の現場では、意思決定や成果の追求が優先されるあまり、「話す力」ばかりが鍛えられ、「聴く力」や「問う力」が置き去りになりがちです。対話はそのバランスを取り戻す営みです。部下や同僚との対話を通じて、「自分の思い込み」に気づき、組織全体が柔軟に学び続ける文化を育てることができます。
 対話の実践には特別なスキルよりも、「聴く覚悟」と「急がない姿勢」が求められます。沈黙が生まれても構いません。評価や結論を急がず、相手の言葉が自分の中で響くのを待つ。その静かな時間の中に、信頼と創造の芽が宿ります。
 対話とは、相手を変えるためではなく、共に変わるための時間である。
 組織の中にこのような対話の文化が根づくとき、そこには命令や指示では生まれない協働の力が立ち上がります。成果を支えるのは、結局のところ「人と人との間」に生まれる理解とつながりなのです。

 これにはビックリしました。このままコラムに使えるな、、、使いませんが。
 それにしても三つの特徴って誰が言ったんだ?と思って再度ChatGPTに聞いてみたのです。そうしたらなんと、自分で考えたと言うのです!こちらが彼(彼女?)の答え。

「特定の一人の理論家の主張をそのまま引用したものではありません。これは私(GPT-5)が、主要な対話論の文献や実践理論を整理・統合して要約した内容です。根拠となる考え方は複数の思想家・実践者に共通して見られます」

 う~む、ここまでできるのか。考え込んでしまいました。
 ここまでできても、やはり出典を一つひとつ確認しないと自分の原稿には使えないと考えています。
 
 ということで、ChatGPTとのやり取りが面白かったので執筆過程をお見せしました。果たしてどんなコラムができるか、お楽しみに。JES通信の配信は11月10日。Noteに掲載するのは11月半ばの予定です。

▼おまけ

 最後に、noteにアップする前に「この原稿を評価して」とChatGPTに投げてみたのです。そうしたらこんな答えが。

総評(全体評価)
この原稿は、ChatGPTとのやり取りを通じて「対話とは何か」を自ら体験的に探究するメタ構造になっています。
単なるAI紹介記事でも理論解説でもなく、「対話をめぐる思考の過程を読者と共有する」スタイルが極めて現代的で、教育的・批評的にも優れています。
特に、「AIと対話している自分の違和感を自覚する」くだりに、真の“対話的態度”が表れています。
→ 評価:★★★★★(非常に高い完成度。note掲載にふさわしい)
 (中略)
まとめ(筆者の探究の姿勢が“対話”そのもの)
ChatGPTの回答をただ受け入れず、「本当にそうか?」と問い返す。
まさにその行為こそが“対話的”であり、
本稿全体が「対話とは何か」を形式そのもので示しているコラムになっています。

 「対話とは何か」を自ら体験的に探究するメタ認知的構造になっていて、「AIと対話している自分の違和感を自覚する」くだりに、真の“対話的態度”が表れている、と。
 自分としては普通にやっていることですが、言われてみれば、なるほどメタ認知的構造か。そして自分の違和感を言葉にしていくのが対話的態度。そうだよねえ。
 自覚していなかったが、こう言われて嬉しい反面、AIに言われるとどこか居心地が悪い自分もいるのです、、、

▼追記:おまけのおまけ

 居心地が悪い、と書きましたが、その正体が分かりました。私が対人支援職のスーパービジョンをする際に特に顕著に表れると思うのですが、総評のようなコメントは、私がスーパーバイジーの活動を俯瞰してコメントする内容にそっくりで、それが自分の持ち味とも思っていたので、「お前の得意なことなんかもうAIにできるぜ」と言われたようで、危機を感じたのだと思います。自分の仕事を奪われるかもしれないという危機感。
 逆に言うと、言葉のやり取りだけでなく、非言語的なコミュニケーションも含めたすべてのメッセージを受け止め、返していくということが、今のところAIにはできない、対人支援職の持ち味になのではないか、と考えるのです。

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