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AI時代だからこそ、「審神」が必要になる!?

最近、AIの進歩には本当に驚かされます。

文章を書けば、人が書いたものと区別がつかない。

(芥川賞作家も一部AIを活用していた例がありましたよね。)

写真を作れば、本当に撮影したように見える。

動画や音声まで、本物そっくりに作れる時代になりました。

音楽だって作ってしまいます。

一方で、「これは本当に本物なのだろうか?」と感じる場面も増えています。

いわゆるフェイク画像やディープフェイクです。

では、これからの時代に必要なのは、「AIを使わないこと」でしょうか。

そうではないですよね。

AIはとても優れた道具です。

仕事の効率も上がりますし、新しい発想を与えてくれることもあります。

問題なのはAIではなく、それを受け取る私たちの姿勢でしょう。

以前の記事で、「リテラシー」と「審神」について書きました。

リテラシーとは、情報を正しく理解し、判断し、活用する力です。

これまでは、それで十分だったかもしれません。

しかしAIの時代になると、「本物らしく見える偽物」が大量に生まれます。

写真が本物かどうか。

動画が本物かどうか。

文章が人間のものかAIのものか。

そうした「真偽」を見極めることももちろん大切です。

でも、その一歩先も考えたいと思います。

それは、

「この情報は、自分に何をもたらすのだろう?」

という問いです。

たとえ本物の写真だったとしても、人の恐怖や怒りをあおる目的で使われているかもしれません。

逆に、AIが作った文章でも、私たちに気付きを与え、より良い方向へ導いてくれることもあります。

つまり、本物か偽物かだけでは、本質は見えてきません。

昔、審神者は、神託が本当に神意なのか、それとも人の思い込みなのかを見極める役割を担っていました。

そして今、私たちは毎日、大量の情報やAIが生み出すコンテンツに囲まれて暮らしています。

これからは、一人ひとりが「審神者」になる時代なのかも知れません。

もちろん、特別な能力を身につけるという意味ではありません。

情報を鵜呑みにせず、否定から入るのでもなく、

「これは本当に大切なことだろうか。」

「自分は何に心を動かされているのだろう。」

そんな問いを持ちながら、一歩立ち止まること。

それが現代における「審神」ではないでしょうか。

AIは、これから更に進化していくでしょう。

だからこそ、人間にしかできない役割があります。

それは、多くの答えの中から正解を探すことではなく、本質を見極めることです。

AIは、我々の代わりに考えてくれるかも知れません。
多くの答えを出してくれるかも知れません。

でも、AIの答えの多くは、「最もありそう」なこと。
確率からの答えです。

審神者は、「最も調和する」ものを見出します。

しかし、「何を信じ、何を大切にして生きるか」を決めるのは、これからも我々人間自身です。

AIが進化するほど、「審神」という古くから日本にあった知恵が、むしろ、これから必要になるような気がします。

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