装丁はアート。 サムネはエール。
買うつもりが無かった本に吸い込まれることがある(よね)
すでに読んだ記憶があったり、中にはもう同じ本を持っているのにまた手に取ってしまうことも。
分かっている。
私も(あなたも)装丁に吸い寄せられている。
先日、書店で吸い寄せられたのはこちらのシリーズだった。
【2025年新潮文庫の100冊】
— 新潮文庫 (@shinchobunko) August 10, 2025
この夏限定のプレミアムカバーはもう手に入れましたか?
今年のラインナップは『こころ』『金閣寺』『注文の多い料理店』『人間失格』『ようこそ地球さん』『砂の女』『ロリータ』『オズの魔法使い』です!
8冊並べてみるとこのような感じに!この夏に是非! pic.twitter.com/Y7CEgLFxJt
厚めの紙に凹凸があり、タイトルと作家名だけが光っているシンプルなデザインだったけれど、並んでいるととても綺麗だった。

好きな青。
つい全シリーズ揃えたくなるのだけれど、夏目漱石の『こころ』はもう持ってるしなぁ……と見送った。
その『こころ』はDEATH NOTEの作者、小畑健のイラストに一目惚れして、この暗い目をしたロン毛を是非とも我が家にお招きしたいと連れ帰った。
ちなみにそれから数年後、文豪ストレイドッグスの作者、朝霧カフカによる『人間失格』のロン毛もお持ち帰りしている。

また別の日。
首根っこを掴まれて、両頬をグッと挟まれて「こっち見ろ」と刮目させられたのがこの本。

それは私の大好きな小説を特集した雑誌だったのだけれど、これまでに『芸術新潮』なんて手に取ったことがなかった。(芸術には疎い方)
初めて手に取った芸術専門の本は、表紙の描き方や、物語に出てくる舞台巡り、江戸時代の浮世絵まで、これまで知ることのなかった世界にほんの少し足を踏み入れる事ができて、胸の中にワクワクとした気持ちが広がっていくのを感じた。
装丁はひとつのアートで、読者が一番最初に見るものだから、ものすごくこだわって作られている。
でもね、でもよ。
作者が自由に装丁を選べる訳ではないはず。
夏目漱石も太宰治も、「こんなアニメみたいな絵は好かん」と本当は思っているかもしれないし、どんなに素晴らしいアートを用意したって(作家目線での)not for meは起こり得ると思うんだ。
装丁は作品の顔であり、アートでもあるから、作者の意図に沿わないこともきっとある。
そして私(たち)が日々noteに綴っている文章にも、脳内では色があったり空気があったり世界観がある。
最後まで書き切って、それから1番上まで戻って【記事に合う画像を選ぶ】をタップする。
そこに広がるたくさんの画像。
今書いた文章にぴったりと合うサムネイルを探している時は、キラキラ光るたくさんの宝箱から自分(の作品)に1番合う宝石を選んでいる気持ちになる。
noteの装丁は自由だ。作者の意図する画像を自分で選べるから、not for meが起こりにくい。
そこに並んでいるたくさんのイラストや写真や画像は、誰かがどこかで撮影したり、AIで生成したり、canvaなどで作ったこだわりのものだ。
きっと誰かの文章に合うといいなと思ってくれているだろう。
私はnoteを始めて1年半が経ったけれど、サムネ画像を自分で作って誰かに使ってもらうということを、ほんの数回しかしていない。
私が文章を書くことに集中している秋の夜長に、また別の誰かがそこに彩をくれる画像を作ってフォトギャラリーに追加してくれている。
そうしてその2つがnoteの中で出会った時、1つの作品が完成する。サムネは私にとって最後の1ピースを埋める作業。
私はいつもサムネ画像から彩とエールをもらって、noteという宝箱を輝かせている。
そして画像を使うという事が、その画像を作った人へのエールになっているならなお嬉しい。
(ちなみにこれがいい!と選んだ画像の右下に知っている方の名前があったりすると嬉しさも倍増する。)
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