見出し画像

はじめの一歩からすっ転ぶ

桜のつぼみがようやく柔らかくなるころだった。パリパリッと音が鳴りそうなくらい硬いスーツに身を包み、さらに硬くなった肩をいからせて集団の中に立っていた。

名前を呼ばれて前に出ていくのはまるで表彰式のようだったけだったけれど、上司が「おめでとう」と言いながら渡してくれたのは配属先が書かれた紙だった。


新社会人の私が、これから始まる。
今日から大人の仲間入り。
髪も服も黒くして、かっこいい大人の女性になるんだ。


「君が来てくれてよかったよ」「いきなり大活躍だね!」「いい子が来てくれたなぁ」とか言われちゃったりしてぐふふふふ。翌朝の挨拶を考えながら、遠足前の子どもみたいに興奮して眠りについた。






翌朝。
私は回る天井を見ていた。

ウグイスの下手くそな声で目が覚めた時にはすでに目の前がぐるんぐるんに回っていた。階段を降りることもままならず、両親に担がれてようやく1階のリビングにたどり着いた時には意識が朦朧としていた。

体温39度。

風邪をひいたらしい。


1階の仏間にひかれた布団に横たわり、回る視界の中で携帯電話を手に取って会社に電話をかけた。

上司は心配そうにしながらも「休みの連絡もらったの、君で5人目。」とため息をついて電話を切った。


いやいやいやいや、ちょっと待って。本当に風邪なの。他の4人は知らないけれど、もしかして退職代行使いたい感じかもしれないけど、私は本当に今日から頑張りたいと思ってウキウキワクワクしてたの……!!

熱のせいだと思うけど、情緒がおかしくなって涙が出てきた。意地でも治す。すぐに治して取り戻す。明日は出社するから!と天井を睨みつけながら涙を重力に任せて流しっぱなしにしておいた。





──翌日。

体温39度。



なんでっ!!!!
また会社に電話をかけた。

上司は「配属先が心配?」と聞いてきた。いやだから違うんだって。本当に熱出てるんです。どうやったら信じてもらえる?「明日には、明日には治ると思うので、本当にやる気あるんです!」と伝えて電話を切った。


電話を終えてからすぐに親に病院に連れて行ってもらった。解熱剤を出してもらえればきっと。きっと明日には治る。そう信じて。



ところが、3日目になっても4日目になっても天井は回り続け、熱も下がらず、ほとんど何も食べられなくなった。ついに人事部の部長から直々に電話がかかってきた。「本当に熱なんです……下がらないんです」と説明してるのに、力説すればするほど嘘くさい響きに聞こえてくる。「病院に行って診断書書いてもらうので信じてください」と告げて電話を切った。

再び病院に行き、原因究明にあたる医師に体を任せ蛍光灯をぼーっと見ていた。ついでに点滴を受けることになり、今ごろ同期たちはどうしているだろう、と考えた。

「君みたいな子が来てくれてよかったよ」「いきなり大活躍だね」そんな台詞はもう別の誰かに与えられたのだろうか?それと同時に「あの子全然来ないね」「辞めたんじゃない?」なんて、私のことを蔑んでたりするのだろうか。


就活の時に読んだ本に「第一印象が9割」って書いてあった。スタートダッシュをみんなと一緒にきれなかった。


点滴で補給された水分が瞳にまで回って溢れ出した。






「はしかです。」

「はしか!?」

「はしかです。」

「えっ子どもの頃に予防接種してるんじゃ?」

「いえ、1990年より前に生まれた方は不十分です。子どもの頃にもかかっていないようですね。大人がはしかにかかると重症化しやすく、症状もかなり重いです。10日間は自宅から出ないでくださいね。」



10日。あと1週間も……!?っていうかなんで、今、はしか?目の前が真っ暗になった。それだけの時間があったら同期たちとの差はどのぐらいついてしまうんだろう……?どうせかかるなら春休みとかにして欲しかった。入社式の翌日から10日も来ない新社会の出来上がり。気持ちは焦るばかりで、でも誰にもどうしようもできなかった。



帰り道、車の中から滲む景色を見ていた。
そして途中で気がついた。


「どこ行くの……?」


自宅に帰る道じゃなかった。母はどこに行こうとしているんだろう?くるくる回る視界と頭でぼーっとしながら、どうでもいいかと思った。



「見て。」
しばらく行った先で車を停めて母が口を開いた。窓の外がピンク色に染まっていた。自宅からほんの少し足を伸ばした公園は、桜がもう咲いていた。


「桜咲いたの知らなかったでしょ?降りれないからここから見るだけだけどね。……大丈夫だよ。仕事始まって忙しくなったら、はじめの一歩なんてみんな忘れちゃうから。これからこれから!」じゃ、帰ろっか。そう言って、車は今度はちゃんと自宅に向かって走り出した。



毎年、桜の枝がピンク色に染まるころにはそわそわする。パリパリの制服・パリパリのスーツの子たちを見ると眩しくて目を細める。

今か今かと桜の枝に目をやり、一番最初に花開いた枝先を写真に撮る。それから何日かして満開の桜を目にした時、「一番最初に咲いた花はどれだったでしょうか?」と自分に問いかける。


くるくると舞い散る花びらか、今なお枝にしがみついて咲き誇る花びらか、川面に光る花びらか。



答えなど誰にも分かるはずがないし、そんなことはどうでもいいことだと、もう私は分かっている。



#春になると思い出すこと



▷仕事の思い出こちらも


いいなと思ったら応援しよう!

本田すのう 本田すのうは皆様からのご支援で活動を続けています。