靴を脱ぐように、私は言葉を置く #マスクドnote2 _19

いい玄関は、空気に似ている。
同じような間取り、似たようなドアの色、どこも似たようなチャイムの音。それでも、あそこの玄関は「あれ? 一番わくわくするぞ」ってなるし、となりの家では「え、なにこの匂い、帰って来るのがご褒美みたいだ」となる。結局、建物の形じゃないところで勝負がついている。
文章も、よく似ていると思う。
構成がすごいとか、テーマが深いとか、語彙が豊かとか、そういうラベルの手前で、「なんか好き」「なんか違う」がある。
たとえばさ、出だしひとつで、「もうちょっと読んでいたい」が決まったり。きちんと整えられてるけど、整えすぎると、まるでモデルルームの玄関のようで、すべての靴が新品の飾りに見える。
で、私はマットのことを考えている。(唐突やな、おい)
玄関マットって、不思議なやつだ。外の土を受け止めるのに、内側の空気まで少し連れてくる。読んでいて、「うまいなあ」とドアの外を見上げていたら、次の一文で家の奥に引き込まれる、そんな文章に出会うことがある。あれが最高だ。
でも一方で、「この文章、ドアノブで遊んでるな」と感じることもある。
つまり、本音や核心を開けないまま、「ほら、中を覗きたいでしょ?」ってカチャカチャやってる。でも、ドアノブって、遊ぶためのものじゃない。回した先に、景色があるから意味がある。文章も同じで、もったいぶってるだけじゃ読者は離れる。あなたが見てる部屋を、こっちに手渡してくれないと、ただの演出で終わってしまう。
だから私は、玄関をくぐって、マットを踏んで、ドアを開けるように書く。
テクニックとか、映える構成とか、もちろん大事だけど、それよりも「自分がどんな玄関を面白いと思ってるか」にちゃんと向き合うほうが、ずっと強い武器になる。
たまに、「そんな細かいとこ気にしてどうする」とか、「本筋じゃない」とか言われる。でもね、私は思ってる。
細かいところこそが、読者を足止めする。
「なんか、好きだなあ」。その「なんか」のために、あなたの文章は開く。
▼企画概要はこちら
▼他の皆様の作品は下記マガジンで読めます
いいなと思ったら応援しよう!
本田すのうは皆様からのご支援で活動を続けています。