安全保障と「リヴァイアサン」
退職したので、まあ、いいかと思うが、読売新聞一面の「地球を読む」というコラムに北村滋が安全保障について書いているのを読んで、彼がホッブズの「リヴァイアサン」を論拠にしていることに、当然ながら疑問を持つ訳で、引用すると以下の通り。

〈英国の哲学者ホッブズは、著書「リヴァイアサン」で、公権力のない自然状態では人間の生活が孤独で貧しく、つらく残忍で短くなると論じた。彼はこの論理を国内秩序にとどまらず、剣を構えて向き合う剣闘士のごとき主権者同士の関係にも当てはめた。国家が存在し、法の支配が維持されるからこそ、人権は保障され、市場は機能し、環境政策も継続できるのだ。安全保障が崩壊してしまった社会では、持続可能性そのものが成立しないということである〉
国際関係論では、ホッブズは今でも重要な参照先であることは知っている。すなわち、国際政治は「アナーキー」である、が、ゆえに各国は自国の安全を自力で確保しなければならない 、ところが相手の意図を信用できない、よって軍事力を保持する必要がある、というごく単純な論だ。
ところがこの、「万人の万人に対する闘争」というホッブズの仮説は人類学、考古学においてはほぼ否定されている。狩猟採集社会や初期農耕社会では一様に暴力が支配的であったのではなく、協力・互酬・調停のシステムが発達していた例が多いし、「自然状態=恒常的内戦」という「リヴァイアサン」のイメージは当時、17世紀イギリスの内戦や、絶対王権の正当化という政治的な要請に応じた仮説だったことが明らかになっている。
古いんだよ、お前たちは、と言いたくなる議論が読売新聞の一面に載っていた。
