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漠然とした不安からくる嫉妬


あの感情は要らなかったよね。そう思うことが生きていると多々ある。

昨日から『嫌われる勇気』でお馴染みの、古賀史健さんの『意味よさらば』を読んでいる。高校時代の同級生とのエピソードが出てきた。部活と受験について親友との思い出を交えながら綴られている。

古賀さんも親友もサッカー部。親友は受験のために夏のインターハイ後に引退し、古賀さんは冬の選手権までサッカーを続けた。ボクが卒業した高校も冬の選手権に出場した。レギュラーの中には同じクラスの同級生がいた。

彼は入学当初から文武両道を画に描いたような存在だった。クラスはもちろん学年でも目立っていた。非モテの陰キャでもなかったが、今風に言えばスクールカーストの上位にいたわけではないボクは嫉妬したのは言うまでもない。

今となっては比べる必要もないと思うが、当時は対抗心を燃やしていた。スポーツでは逆立ちしても勝てないので、勉強で1点でもいい成績を残してやろうと躍起になったが、天は二物を与えるもので敵わなかった。悔しさよりも、「もともと頭がいいんだもんな」と白旗を上げるしかなかった。

一時的に逆転することはあったが、最終的にはまた引き離されたように記憶している。彼は悲願だった全国大会に出場し、思い通りの進路に進んだ。降参したにも関わらず、ボクが浪人したことも影響していると思うが、劣等感に苛まれ酷く落ち込んだ記憶がある。

一方的にこちらから燃やしたライバル心はなんだったのか。学内試験ではモチベーションのひとつにはなっただろうが、彼が理想の進学先に進んだとてボクの人生には影響はない。それなのに現役で、輝かしい未来に進む彼が羨ましくて仕方がなかった。

ここ最近、ようやく同僚がボクよりも給料をもらっていようが、出世をしようが、いい車に乗っていようが、どうでもいいと思うようになった。なぜなら繰り返しになるが、それらによってボクの人生が変わるわけではないからだ。他人にフォーカスしている暇はない。とにかく自分を癒し、愛さなければならない。そのための時間を他人に割いている余裕はないと気付いたからだ。

矢印を自分に向けるようになってから不必要なジェラシーは薄れてきた。もちろん人間なので羨むこともある。特に春は昇進の時期。昨日も自分以外の人間が昇進した。これまでは何故?と負の感情に包まれたが、今回は心から拍手を送れた。どうしてか?ボクに影響がないからだ。間接的には上司になるわけで、評価する側とされる側になる。気を使わないわけではないが、それはもう仕方がない。ゴマをする暇があるならば、自分を磨けばいいだけだ。

よそ見はしない。自分だけを見て、楽しく生きていく。覚悟は決まっている。

思いのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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