ユニ被り
その日、私は少しだけ機嫌が良かった。
日曜日の午後だった。妻と息子と三人でショッピングモールへ出かけた。特に目的はない。ただ家にいると息子がスマホばかり見ているし、妻は「せっかくの休みなんだから」と言うので、なんとなく出かけたのだ。
私は最近買ったお気に入りのTシャツを着ていた。
深いネイビーの生地に、小さなクジラの刺繍が胸元に入っている。
店員からは、
「これ、限定モデルなんですよ」
と言われた。
限定。
その言葉に弱い。
五十代になっても、人は意外とそういうものに弱い。
エスカレーターを降りた瞬間だった。
向こうから歩いてきた男を見て、私は固まった。
同じTシャツ。
同じネイビー。
同じクジラ。
同じ場所の刺繍。
しかも同年代。
まるで鏡だった。
男も私を見た。
そして同じように固まった。
数秒の沈黙。
妻が吹き出した。
「いるんだね」
私は苦笑いした。
男も苦笑いした。
お互い何も言わない。
しかし心の中では確実に同じことを考えていた。
「限定じゃなかったのか」
である。
男は気まずそうに会釈をした。
私も会釈を返した。
すると男の奥さんらしき人が、
「お父さん、仲間見つけたの?」
と言った。
周囲が笑った。
私は少し恥ずかしくなった。
しかし不思議なことに、その瞬間からその男に親近感を覚えた。
知らない人なのに。
ただ同じ服を着ているだけなのに。
人間とは妙な生き物だ。
私はふと思った。
若い頃の私は「人と違うこと」に価値があると思っていた。
誰とも違う人生。
誰とも違う仕事。
誰とも違う考え方。
そればかり追いかけていた。
しかし五十代になると少し見方が変わる。
同じことで笑える人がいる。
同じ失敗をする人がいる。
同じ悩みを抱えている人がいる。
それだけで少し安心する。
男が通り過ぎるとき、小さく言った。
「お互いセンスいいですね」
私は笑った。
「限定仲間ですね」
男も笑った。
そして去っていった。
ほんの十秒の出来事だった。
しかし妙に心に残った。
帰り道。
息子が言った。
「今日のおじさん面白かったね」
「そうだな」
「でもさ」
息子は少し考えてから続けた。
「同じ服ってそんなに嫌?」
私は答えに困った。
若い頃なら嫌だったかもしれない。
でも今は違う。
むしろ少し嬉しかった。
「嫌じゃないな」
私は言った。
「なんで?」
「同じ服を着ていても、人は同じ人生を生きていないからだよ」
息子は、
「ふーん」
と言ってスマホを見始めた。
たぶん意味は伝わっていない。
でもそれでいい。
人生の言葉は、あとになって効いてくる。
家に帰り、Tシャツを脱いだ。
クジラの刺繍を見ながら、私は少し笑った。
限定品だと思っていたものが、実はそうでもなかった。
でも考えてみれば、それは人生によく似ている。
自分だけが苦労していると思っていたことも、案外みんな経験している。
自分だけが失敗したと思っていたことも、案外みんなやらかしている。
だから人は生きていけるのだ。
その夜、私は手帳にこう書いた。
「人と違うことが価値なのではない。人と同じであることを笑える余裕こそが価値なのだ。」
そしてもう一つ。
「人生はユニークでなくていい。ユニ被りしても、物語だけは誰とも被らない。」
窓の外では夏の風が静かに吹いていた。
どこかで、あのクジラTシャツのおじさんも同じ風を感じているかもしれない。
そう思うと、少しだけ世界が面白く見えた。
