おとしもの「転落」 #チャレがや企画

「おとしもの」
「落としたよ」
高校の校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下で、夏芽は声を掛けられた。振り返るとスヌーピーのハンカチを差し出しながら、柔らかな微笑みを浮かべる男子生徒が立っていた。頬に一粒、ピンクペッパーのようなニキビをつけている。それが可愛くておかしくて、夏芽はクスッと笑った。白いシャツのボタンを胸元まで開けて、ストライプのネクタイをわざとだらしなく締めているくせに。
「ありがとう」と言うのが一瞬遅れた。
「オレ、おかしい?」
頬のピンクペッパーが不満そうに揺れた。
「ううん、ありがとう」
渡り廊下に桜の花びらを散らす一陣の風が吹き抜けていった⋯⋯ような気がした。
それから斗真と夏芽が、付き合い出すのに時間はかからなかった。自転車で二人乗りをして公園に行った。夏休みには電車で鎌倉の海へ行き赤く染まる夕焼けを眺め、冬休みにはディズニーランドでミッキーマウスと写真を撮った。春休みには映画館で悲しい場面なのにポップコーンをほおばった。
高校生の恋は刹那な時の流れのように、大学進学を境に、あっという間に終わったけれど、あの淡い思い出は、夏芽の胸の底にピンク色のまま色褪せないで今も沈んでいる。
それから夏芽は物を落とすようになった。帰りの通勤電車の中で斗真に似ている人を見つけると、ホームに降りてから、その人の七歩先で、何かを落とす。行きのホームではダメだ。混雑していて夏芽も物も、もみくちゃになって終わるだけだ。
二、三歩先ではダメだ。気づかれずに踏みつけるだけかもしれない。十歩先では他の人が拾ってしまう可能性が高い。
落とす物は、どうでもいい物が良かった。飽きた安いピアス、書けなくなったボールペン、期限切れのチケット、似合わないリップ、用無しのキーホルダー⋯⋯。
「落としましたよ」
斗真に似た他人が、今日も夏芽を呼び止める。
「ありがとうございます」
それだけ。
でも夏芽は、その遊びが好きだった。ほんの少し胸の奥がざわつく。残業で疲れた心に、あの日々の淡いピンク色が蘇る。
その日、夏芽はちょっと高級な万年筆を落とした。ペン先が割れて、もう細い文字が上手く書けなくなっていたから。夏芽の背後で、コロコロとホームの上を万年筆が転がっていく音が聞こえた。
ーー失敗だったかしら。
振り返って万年筆の行方を確認しようとした時、声を掛けられた。
「落としたよ」
「えっ?」
ーー万年筆は、もっともっと先へ転がって線路に落ちたはずじゃ⋯⋯。
「落としたよ、夏芽」
「⋯⋯」
頬にピンクペッパーがついている斗真が立っていた。その手には、あの日のスヌーピーのハンカチが握られている。
「嘘⋯⋯」
「だって、落としたから」
柔らかな微笑みもそのままだ。
「私、落としていない⋯⋯」
「落としたよ、ほら」
斗真は夏芽の足元を指差した。彼女の耳から全ての音が消えていく。ホームのアナウンスも電車が滑り込んでくる音も雑踏も⋯⋯
「さあ、一緒に行こう」
斗真は静かに言って、夏芽に手を差し出した。
「斗真、あなた、あなた死んだはずじゃ⋯⋯」
ーー大学四年生の春、このホームで他の女と一緒に居たのが悔しくて、私は斗真に携帯を投げた。
「拾って! 斗真」
「夏芽!」
驚いて大きく目を見開いたままで斗真は、流線形を描いて飛んだ夏芽の携帯を掴もうとジャンプした。そして、そのまま線路に転落した。夏芽の耳にあの日の電車の急ブレーキの音だけが響きわたる。
「ずっと待ってた」
「斗真、私⋯⋯何を落としたの?」
「ほら」
斗真は再び夏芽の足元を指差した。
「影」
了
#チャレがや企画
初めて参加させて頂きます。こんなので、いいですか?(笑)
よろしくお願いしますm(__)m
