おとしもの2「記憶操作」#チャレがや企画

「おとしもの」
「落とし物が届いています」
その電話は、夫が死んで三年目の春にかかってきた。
携帯も財布も美咲の手元にある。
「どんな落とし物ですか?」
彼女が訊ねると電話の向こうで、若い声の警察官が言いづらそうに言った。
「電話ではお話しにくいので、一度こちらへ来て頂けますか」
ただの落とし物なのに、告げられた場所は交番ではなく警察署だった。『田島』と名乗った電話の警察官の後について、安っぽい床を歩き応接室へ入った。
低いテーブルの上に、時間が止まったかのように、一冊の大学ノートが置かれていた。
「これを河川敷で見つけた方が届けてくださいました」
表紙には見覚えのある字で『おとしもの』と書かれている。美咲の心臓が一度、大きく波打った。夫の字に間違いなかった。三年前に事故で亡くなった夫、貴樹の。
「中をご覧になりますか」
「⋯⋯」
無言で首を縦に振っていた。だが、ページを開く指先の震えは止まらない。
一ページ目には日付が記されていた。亡くなる一週間前。
『今日も人を殺した』
「こ、これは夫が書いていた小説です」
訊かれてもいないのに、美咲は田島に哀願するように言っていた。続きをめくる。
二人目。
三人目。
ページをめくる度に『殺した』の文字が、精神の破綻を示すように乱れていく。どれも夫が亡くなる前に、近所で亡くなった人ばかりだった。
事故死。
病死。
自殺。
他殺を疑われた人は居ない。最後のページには短い文章が二行だけ。
『一番大切なものを落とした。
だから、もう終わりにする』
美咲の肩が小刻みに震えた。
「使ってください」
田島がティッシュの箱を彼女の前に置いた。それから遠慮がちな声で言った。
「持ち帰られますか」
美咲は静かに首を横に振った。
「いいえ、処分してください」
見たくなかった。夫が何者だったのか、知らないままでいたかった。
一ヶ月経っても、警察からの連絡はなかった。ただの妄想ノートとして処分されたのだろう。ほっと胸を撫でおろす美咲が居た。
その夜、白い封筒が郵便受けに入っていた。差し出し人はない。中には河川敷で誰かが、何かを書く後ろ姿の写真が一枚。その裏には一行だけ。
『あなたも、ちゃんと落としましたね』
意味が分からない。封筒ごと捨てようとしたら、中から小さな紙が一枚滑り落ちた。
『あの日、橋から落ちたのは僕じゃない。
落としたのは君だ』
美咲は息を止めた。三年前、酒に酔った夫は『別れて欲しい』と切り出した。激しい口論の末に家を飛び出した貴樹を追いかけて⋯⋯
橋の欄干に立っていた彼の背中を押した。
ーー落ちるわけがない。
そう思った。ほんの少し、突き飛ばしただけのつもりだったから。ところが、貴樹は美咲が思っていたよりも酔っていたのか、そのまま暗い川へ吸い込まれるように消えていった。
美咲は何もしなかった。あれは事故だったと記憶を少しづつ塗り替えた。警察も事故として処理をした。
ーー転んだ。
ーーあれは事故だった。
ーー酔っていた。
ーー私は止めようとした。
そう何度も繰り返すうちに、美咲は本当にそうだったと思うようになった。
ーー貴樹は何も落としてはいない。一番大切なものを落としたのは、私。
美咲は新しい大学ノートを開いた。日付を書く。
『人を殺していたのは、私。一番大切なものを落としたのも、私』
あの「おとしもの」と書かれたノートの文字と寸分違わぬ筆跡で。
河川敷で殺人記録を書いている女の写真を、美咲はこなごなに破り、ゴミ箱におとした。
了
誉めて頂いたので、調子づいて、またおとしてみました(笑)ノリやすいんです、私(笑)
よろしくお願いします。
