掌編小説「猫にこんばんは」#アマノ文筆クラブ

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「猫にこんばんは」
「この市は三十年後に消滅するよ」
田舎街に一つしかないシティホテルのバーカウンターで、丈の短いグラスに人差し指を入れて、氷をくるくるかき混ぜながら春輝が言った。
「え?何を突然言い出すの」
琥珀色のとろりとした液体が、溶けていく氷でさらさらと変化していくのと俯いた彼の顔を交互に眺めながら、興味もない話題に驚きを隠せないようなフリをしてみせた。
「昨年の新生児の数、知ってる?」
バーボンのロックを飲むのには、こんなに用心深いくせに春輝の話はいつも唐突だ。
「知らないわ」
「市役所の窓口に居て知らないのかよ」
「だって私は戸籍謄本や抄本の係だし、それに貴方と違って派遣の腰掛けだもん」
「戸籍謄本扱ってるのに?」
「貴方と違って人のプライバシーを覗いたりしません」
「何だよ、それ」
「あ〜、でも死亡した人のご遺族が取りに来る事が多いわね」
「結構、見てるんじゃん」
「でも今はマイナンバーカードさえあれば、コンビニでも取れるから」
「暇になった、ってわけか」
「まぁね」
だから、そろそろ考えてくれないかしら?そんな言葉をぐっと飲み込んだ。
「でさ、その新生児数なんだけど遂に500人を切ったんだよな~」
「ふ〜ん、そんなに少ないんだ」
「彼らが成人するのに18年かかるだろう?」
「そうね」
「その頃には都会の大学行ってて、この街には居ないよな」
「うーん、それに事故や病気で死んじゃう子だって居るわよね」
「そのまま都会で就職するのが殆どだろ?故郷に帰って来るのが一割とすると50人だ」
「えー、そんなに減っちゃうの」
「だから三十年後には、この市は消滅しちゃうのさ」
「他の市と合併するのは、どう?」
「この市に魅力があれば出来るかもな」
「うーん、何か夢も希望もない話ね」
「そうだな⋯」
「でも三十年後なんて生きてるかどうかさえ分かんないじゃない」
「まぁな」
「コロナみたいな病気がまた流行するかもしれないし、地球温暖化で地球自体がおかしくなってるかもよ」
「それじゃあ、余計に夢や希望もないじゃないか」
「私はいいの。裕福な家で飼われる猫に生まれ代わるから」
「あ〜、今に人よりも猫の数の方が増えてるかもな」
「そうでしょう?」
春輝の事は嫌いじゃないけど、この生産性もなければ、建設的でもない話にいい加減ケリを付けたかった。明日はせっかくの土曜日でお休みなのに、この人はいつまで三十年後の心配をしているのかしら。
「ふーっ。ちょっと失礼」
聞こえよがしにため息を付いてから、話題を変えるきっかけを作るために私は化粧室に立った。トイレの鏡に映る自分に薄い色のリップを塗ると春輝の隣に座り直した。
「だからさ」
「また市が消滅する話?」
ぶっきらぼうに話を遮ろうとした私に
「俺達付き合い出して、もう五年だよな」
「そうね」
だから何だと言うの。
「下の階に部屋を取ってある」
「え?」
「あのさ、市が消滅しないように俺達、協力しない?」
「え?」
春輝はスーツのジャケットから小さな箱を取り出すと
「指輪のサイズ8だよな」
「うん」
私の左手の薬指にキャッツアイのリングをはめた。
「猫好きなんだろ」
「うん」
春輝が混ぜたバーボンのロックから漂う甘美な香りが、私の鼻腔を付いた。
了

量産♪量産♪
甘野充さんの企画に2回目の参加をさせて頂きます。よろしくお願いします♡
